やるべきことを「やらなかった」、「やれなかった」菅首相の退陣(1)、(私たちは東日本大震災にいかに向き合うか、その31)

 8月26日、菅首相が記者会見で退陣表明した。3カ月前の「退陣表明」に引き続く2度目の態度表明だ。さすがに今度は本物らしくて、もう言を左右にして引き延ばすことは出来なくなった。「この3カ月は政治空白だったのでは」との記者質問に対して、菅首相は「原子力安全庁の創設など充実した期間だった」と反論した(居直った)。

また菅政権の全体評価としては、福島原発事故を未然に防げなかったことを禍根として挙げたものの、「厳しい環境の下でやるべきことをやった」と自画自賛した。その根拠としては、「脱原発依存」の方針提起、税と社会保障の一体改革の策定(消費税値上げ)、米軍の「トモダチ作戦」を通しての日米同盟の深化などを挙げた。(TPPについては触れなかった)。

地震津波原発事故という未曽有の複合災害に直面したこの時期は、いかなる政権といえども1年3カ月足らずの短期間で成果を上げることは困難だし、出来ることは限られている。だとすれば、菅首相の「やるべきこと」は、いうまでもなく原発事故の収束と被災者の救済であり、被災地の復旧と再建だったはずだ。だが、菅首相はどれもこれも「やらなかった」。いや「やれなかった」という方が正しいだろう。

原発事故の収束に関しては、世界でもはじめて原発3基が同時にメルトダウンするという「チエルノブイリ級以上」の危機レベルにあるにもかかわらず、その後の事故対策は、事実上「東電まかせ」となった。もともと政府の原子力安全・保安院原子力安全委員会が東電と「グル」の関係にあり、原子力の安全を担保する独立機能と権限を有していなかった。だから、事故の真相も放射能汚染・拡散の実態も情報公開されず、被災者は逃げまどう他はなく、多数が被曝せざるを得なかった。チエルノブイリに勝るとも劣らない大惨事であり、悲劇だというべきだ。

菅首相の「やるべきこと」は、原子力ムラの解体であり再編だった。それが長期的課題であり、多大の政治的エネルギーを必要とすることは誰にでも分かっている。だから「やるべきこと」はその端緒を切り開くことであり、「風穴」を開けることだった。まずは比較的少人数の原子力安全委員会メンバーを刷新し、総入れ替えすることは、それほど難しいことではなかったはずだ。原発差し止め訴訟においては被告側の原発企業の証人となり、日頃の言動から「デタラメ委員長!」とまで称されている人物やそれに同調するメンバーをまず真っ先に切るべきだったのだ。

原子力安全・保安院の刷新も不可欠だった。この組織はそれなりの人員を要するだけに総入れ替えは不可能だったとしても、少なくとも幹部級職員の更迭や刷新はやるべきだった。それが情けないことに、女性スキャンダルによるスポークスマンの更迭と定期的な「順送り人事」の範囲にとどまった。そもそも国会答弁で(テレビの前で)「泣く」ような人物を、担当大臣に任命したのが間違いだったのである。

また組織改革が直ちに出来ないのであれば、菅首相の十八番(オハコ)である特命委員会や参与に「反原子力ムラ」の専門家を任命して、官僚組織の外からの改革を始めてもよかった。そうすれば、特命委員会の科学と真理に基づいた活動によって「原子力ムラ」(原発下利益共同体)の実態が白日のもとにさらされ、東電や原子力安全・保安院の「大本営発表」の内実が国民の前に赤裸々になったはずだ。だが、菅首相はどれもこれもやるべきことを「やらなかった」、いや「やれなかった」のだ。

大震災による被災者の救済と被災地の再生については、もっとひどかった。自らは一国の首相・政治家としての復興の理念や基本方針をなんら示すことなく、五百旗頭防衛大学校長が議長を務める「復興構想会議」に復興のあり方を丸投げした。この復興構想のとりまとめに当たった某政治学者は、「官邸から自由にやってくれ」といわれたことを、「政治家からの干渉や介入がなかった」ことの証拠として得々と語っているが、考えてみればこれほどおかしいことはない。

国民の代表として選ばれた国会議員や閣僚がその政治責任を果たすことなく、官僚によって恣意的に選ばれた学者や専門家集団に復興基本方針を丸投げするのであれば、政治家も国会議員も要らないことになる。テクノラート官僚と御用学者で復興政策の全てが決められることになれば、これは事実上の「官僚国家」と変わらない。「政治主導」を掲げながら、菅首相がやっていることはまるで反対のことなのだ。

いまや「原子力ムラ」は悪名高い存在として国民の間に明かになったが、復興構想会議やその下部組織に集められたメンバーは、いずれも「土建ムラ」、「国土計画ムラ」、「都市計画ムラ」、「環境ムラ」など、それぞれの利益共同体に属する面々だ。いわば「原子力ムラ」によって引き起こされた大惨事の後始末を、同じ利益共同体の「隣村」の連中が鳩首協議しているだけの話なのである。これでは被災者の救済も被災地の再建も、まともに議論できるわけがない。

過日、東北3県で行われた復興計画のあり方に関する(非政府組織の)研究者や専門家の会議に私も参加したが、そのときの政府の復興構想会議提言に関する大方の評価は、“臓器移植型復興計画”だというものだった。政府や財界お抱えの脳外科・心臓外科の医師たちが、瀕死の重病人である東北の被災地を前にして、蘇生措置や体力回復をはかることもなく、直ちに「道州制」や「水産特区」「大規模高地移転」などの臓器移植型の大手術を行い、被災地の「体質改善」を行おうとしているのである。

この方針が、そのまま政府の「東日本大震災復興基本法」の土台となり、復興対策本部の「東日本大震災からの復興の基本方針骨子」となっているのだから、「手術は成功する」かもしれないが「病人は死んでしまう」ことになりかねない。事実、被災者は避難を重ねて「流民化」し、十分な生活支援もないままに「難民化」し、そして近い将来には「棄民」となる危機的事態に直面しているのである。

奇しくも菅首相の退陣表明が行われた昨日は、被災以来5カ月近く経ってはじめて、原発3キロ圏の住民たちの短時間帰宅が実施された日だった。被災者に同行したテレビカメラの光景は、その荒廃した惨状を余すところなく捉えていた。それは復興構想会議提言のいう『悲惨の中の希望』ではなく、『悲惨の中の絶望』だった。菅首相はこれでも「やるべきことはやった」というのであろうか。(つづく)