7割以上の被災者が戻らない(戻れない)雄勝地区高台移転計画は「震災復興計画」とはいえない、事実上の“被災者追い出し計画”だ、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編13)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その64)

前回の掲載日は9月15日だったので、もう半月余りも日記を書いていない勘定になる。書く材料がなくなったわけでもないし、日々無為に過ごしていたわけでもない。この間、大阪で「おおさか社会フォーラム」、大宮で「地方自治全国研究集会」という2つの大きなイベントがあり、それぞれの大会にコメンテイターや助言者として参加するための準備に忙殺されていたためだ。

「おおさか社会フォーラム」での私の役割は、『橋下現象を読み解く』というワークショップのコメンテイターである。話題提供者のひとりは、アメリカ・ウイスコンシン州でウォーカー知事のリコール運動を成功させた大学教員組合の代表、もう一人は雑誌『世界』(2012年7月号)に「誰が橋下を支持しているのか」という注目すべき論稿を寄せた松谷満氏(社会学中京大准教授)だった。テーマ設定が旬の話題だということもあって、会場では白熱した討論が展開された。詳しい内容は私も参加しているジャーナリスト集団のブログ『リベラル21』に連載しているので、参照してほしい。

地方自治全国研究集会」は、自治労連自治体労働者組合の全国組織)が主催する3千人規模の2日間にわたる大研究集会だ。私の出番は分科会の助言者というものだが、司会者2人が青森県和歌山県の組合役員ということもあって、大間原発工事の再開問題や新宮市山間部の深層崩壊による大水害など、自治体の災害対応や復興のあり方をめぐっての議論が中心となった。岩手県福島県の市町村職員なども参加していて、郡山市での除染作業の困難さが話題をさらった。

本題の石巻市雄勝地区の高台移転計画に戻ろう。すでに何回にもわたって「雄勝未来会議」という名の高台移転説明会(2012年8月19日)の問題点を指摘してきたが、それにも増して衝撃的だったのは、そこで公開された雄勝地区住民の「居住意向調査」の結果だった。この調査は、2012年春から夏にかけて行われた防災集団移転促進事業(防集事業)への参加意向を問うアンケート調査であり、調査対象となった雄勝地区1150世帯のうち1023世帯(89%)が回答した。

回答世帯の内訳は、「すでに移転先が決まっている」303世帯29.6%、「雄勝地区以外で住む」415世帯40.6%、「集団移転して雄勝に住む」280世帯27.4%、「その他」25世帯2.4%というものであり、実に7割を超える住民・被災者が雄勝地区を去ることが判明した。言い換えれば、石巻市雄勝支所が推進する「震災復興計画=高台移転計画」に対しては僅か27%の世帯しか参加意向を示さなかったのである。

これを雄勝中心部に限るともっと劇的な結果になる。雄勝中心部は5つの部落(地区)に分かれているが、「集団移転して雄勝に住む」意向を示した世帯数は、わずか伊勢畑1/102世帯、下雄勝13/89世帯、上雄勝2/92世帯、味噌作35/141世帯、船戸17/55世帯でしかなく、中心部全体でも68/479世帯(14.2%)にしかならない。実に9割近い住民・被災者がふるさとを去る(捨てる)というのである。これはまさに驚愕すべき数字だと言わなければならない。

居住を禁止され、避難を強制され続けている福島原発の周辺地域の住民でさえ、帰還希望のアンケート調査を取ればこんな凄まじい結果は出てこない。どれほど従前居住地が深刻な状況であったとしても、「故郷に戻りたい」という被災者の熱意は衰えることはなく、常に3割から5割の線を維持している。だからこそ、当該自治体は住民の帰還に向けて血の滲むような努力を続けているのであって、もし9割近い住民が故郷を離れる意向を示すような事態になれば、自治体自体が消滅してもおかしくない。

たしかに住民には「移転の自由」・「居住地選択の自由」がある以上、従前地に住み続けなければならないという理由はどこにもない。「残るも自由」「去るも自由」である。しかし重要なことはその場合の「選択の自由」が保障されていることであり、「震災復興=高台移転≠従前居住地再生」という論理が計画的に強要されるとなると話は全く違ってくる。したがってこれらの数字を見る限り、雄勝地区の高台移転計画を「震災復興計画」だと見なすことはとてもできないだろうし、事実、これまでの度重なるアンケート調査結果はそのことを如実に物語っているのである。

2011年7月、復興まちづくり協議会によるアンケート調査(調査世帯数1562、有効回収世帯数777、回収率49.7%)における今後の居住意向に関する回答は、「雄勝に住む、住みたい」172世帯22.1%、「雄勝に住みたいが条件・環境次第」267世帯34.4%、「雄勝には住まない」144世帯18.5%、「まだ決めていない」186世帯23.9%であった。この段階では、条件付きを加えると「雄勝居住派」が777世帯のうち432世帯55.6%と過半数を占めていた。

また津波浸水地域を居住地として再建する方策(複数回答)に関しては、「道路や土地をかさ上げ」270世帯34.7%、「震災前より高い堤防設置」175世帯22.5%、「震災前の堤防復旧」42世帯5.0%、「その他の工夫」103世帯13.3%となり、津波浸水地域を居住地として再建可能と考えている住民は590世帯75.9%となり圧倒的多数派だった。これに対して「いかなる対処をしても居住不可」105世帯13.5%、「その他」20世帯2.6%は合計しても125世帯16.1%と少数派にとどまっていた。

 だが、これらの結果を調査全世帯1562を母数にして再計算すると様相は一変する。約半数を占める無回答世帯785を実質的に「雄勝に住まない」グループだと見なせば、「雄勝居住派」27.7%、「未定派」11.9%、「地区外移転派」59.5%となって形勢が逆転するのである。つまり事実上の「被災者放置=棄民」ともいうべき震災発生後の石巻市雄勝支所の対応によって、雄勝地区住民の6割が早くもこの段階で従前地に止まることを断念していたことになる。

 とすれば、雄勝支所はまだ諦めていない(あるいは迷っている)残りの4割の住民に対して、従前地に住み続ける条件をつくるために最大の努力をすべきであった。だが、事態は全く逆の「震災復興=高台移転≠従前居住地再生」という方向に動いたのである。(つづく)