私の“ブログ作法”のキーワードは、歴史的先見性、批判精神、系統的分析の3つ、新春雑感(その3)

 私がブログを書き始めたのは約10年前のこと、ある人がホームページの管理者になってくれたのがきっかけである。理系の出身ながら信じられないほどIT技術に弱い私を見かねて、その人が何から何まで面倒を見てくれたのである。今となってはいくら感謝してもしすぎることがないが、始めたときはその重要性がよくわからなかった。だから数年ほどしてホームページの管理者が多忙になり、手が回らなくなった段階でいったんホームページを閉じたわけだ。

 その代わりと言っては何だが、その人が「独りでもできるように」といって教えてくれたのが、現在の「はてなブログ」だった。2009年9月からスタートして今年で5年目を迎えるが、本ブログで430回を数えるので年平均100回のペースで書いてきたことになる。これが多いのか少ないのかはわからないが、大学をリタイアしてからの時間のかなりの部分を占めていることは間違いない。

 他のブログを余り見ないので自分のブログの特徴を語るのはおこがましいと思うが、少なくとも「これだけは」と自覚していることが幾つかある。それは、いわば私の“ブログ作法”ともいうべきもので、事実関係を重んじ歴史的検証に耐えること、批判精神を失わず自己主張を明確に打ち出すこと、大きなテーマを系統的に掘り下げ多角的に分析することの3点だ。いずれも自分の研究生活では心がけてきたことだから、いわば研究論文を書くようなつもりでブログを書いていることになる。

 最初は、こんな堅苦しいブログなど誰も読まないだろうと考えていた。いわば「自己満足」の世界であり、口の悪い友人からは「お前の病気みたいなものだ」と言われたこともしばしばある。それはそれでも構わないと割り切っていたから余り気にも留めなかったが、さすがに5年近く書いてくると否が応でも自分の「書き癖」に気付くことになる。そして最近では、それが必ずしも自分の「独り善がり」の作風でもないことを感じるようになった。

 切っ掛けは2つある。ひとつは京都のローカル雑誌『ねっとわーく京都』のコラムを2011年2月号から連載するようになったこと、もうひとつは東京のジャーナリストたちが主宰する同人ブログ『リベラル21』に2011年2月から参加するようになったことだ。奇しくも3年前から異なった世界に同時参入したことが切っ掛けとなって、自分のブログを客観的に同時観察する機会を与えられることになったのである。

 『ねっとわーく京都』は月刊誌だから、ブログのように気ままに書くわけにはいかない。定期購読している高水準の読者たちの批判に耐えるだけの内容でなければ、すぐにでも「クビ」になってしまう。私に与えられたコラムの性格は“時局トッピクス”の解説といったものであるが、「コラム」と言っても7頁もの紙幅を与えられているのだから「論説」に近い。しかし、意地の悪い編集者はテーマに関しては一切注文をつけず、また講評もしないのでこれまで五里霧中の手探り状態が続いてきたのである。

 その中で鍛えられたことは、読者の関心あるテーマは何か、テーマの切り口をどう設定するか、どのような結論を導くか、この3点に留意してコラムを書くことだった。いわば社会の流れに注目して関心あるテーマを選択し、その読み方・解き方に新しい視覚を提起し、判断の基準を示して読者の参考に供するというものだ。しかし、こんな難しい課題など練達のジャーナリストでなければ不可能に近いので、私が心掛けたことは一連のテーマを系統的に追跡して多角的に分析するということだった。そうすれば、目下の出来事を即座に見抜けなくても時期が来れば解明できるかもしれないと考えたのである。こうしてひとつの大きなテーマを取り上げて、「その1」「その2」と連載する作風が形成された。

 もうひとつは、東京のジャーナリストたちが主宰する同人ブログ『リベラル21』との出会いだった。この同人ブログに参加して、私のブログ観は粉々に粉砕された。同人ブログの執筆者は、新聞・テレビのジャーナリストはもとよりビジネスマン、語学教師、翻訳家、書評家、画家、各分野の研究者など多彩なメンバーから構成され、全く作風の異なる長文のブログが毎日掲載されていたのである。こんな難解なブログを読む人がいるのかと当初は面喰ったが、それでもアクセス数の多さや拍手の的確さをみるとき、そこには豊富な経験と学識に裏付けられた歴史的先見性と旺盛な批判精神が多くの読者を惹きつけてやまない世界があることを教えられた。

 こんな経験を重ねながら今日まで拙いブログを書き続けてきたのであるが、拙ブログにも多数のアクセスが集中する“ブレーク”の瞬間が訪れた。それは、一方では東日本大震災1周年から1年にわたって連載した長編ブログに絶えることなく読者の目が注がれ続けていることであり、他方では堺市長選のような政治トピックスに関して爆発的な関心が寄せられる状態のことだ。いわば全く性格の異なるテーマに関して異なった読者から重層的な関心が寄せられるようになったことをどう考えればよいのか、拙ブログの方向性については悩みが尽きない。次回は今年のメインテーマについて書きたい。(つづく)