〝吹き出物〟のように次から次へ出て来る自民党議員の暴言、国民はいつまでこの政党に我慢するのか、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その122)

 「魚は頭から腐る」というが、頭やはらわたはもとより尾ひれや背びれまで腐っているのが今の自民党だ。それでいて国会では絶対多数の議席を占めているのだから、彼・彼女らのなかには「自省」という言葉がないのだろう。要するに、「言いたい放題」「したい放題」の幼稚なチルドレン議員が大手を振って国会を歩いているのである。

 しかも気になるのは、彼・彼女らの暴言が最近になって社会的弱者や少数者(マイノリティ)に対して向けられてきていると言うことだ。6月末の衆院厚生労働委員会の質疑では、自民党の穴見議員が参考人として出席した肺がん患者代表の長谷川氏に対して、「いいかげんにしろ!」とヤジを飛ばしたことは記憶に新しい。法案審議のために参考人の意見を求めるのが議会制民主主義の原則である以上、穴見議員の発言は国民と国会に対する冒涜行為であることはいうまでもない。しかし私は、それ以上に穴見議員の発言の中にがん患者に代表される病弱者への恫喝とも言える強圧的響きを強く感じた。病弱者に対する受動喫煙対策などこれ以上の配慮は無用だ―とする強者の心情が、「いいかげんにしろ!」という発言になったのだ。

 自民党の杉田衆院議員が、雑誌『新潮45』に寄稿した「『LGBT』支援の度が過ぎる」という論稿もまったく同じ延長線上にある。「LGBT性的少数者)のカップルは子供を作らない、つまり『生産性』がない」と言いきり、税金を使うことに疑問を唱えたのである。私は杉田議員が使った「生産性」という言葉に注目する。なぜなら、それはいみじくも人口減少時代の自民党の人口政策、労働力政策の本質をあらわす言葉であり、人間を労働力としかみないこの政党の素顔を赤裸々に暴露しているからだ。

 ナチスドイツも帝国日本も「生産性」を極めて重視した。両国は「産めよ増やせよ」との人口政策を大々的に推進する一方、障がい者少数民族は徹底的に差別して弾圧した。要するに、労働力や兵力として利用できる人間を大量生産することが「生産性」が高いのであり、人を人として尊重し大切にすることは「生産性」が低いというのである。この伝統を受け継いだのが自民党だ。非正規労働者を増やすだけ増やして労働力を酷使し、若者が結婚もできない家庭も持てない状況に追いこみながら、その一方で「生産性」の低い、すなわち子どもを産まない(産めない)若者を非難してきた。こんな非人道的で矛盾極まる政策を推進してきたのが自民党なのである。

 だが、構造的な人口減少、急速に高まる人手不足を目前にして、自民党はこれまでの人口消耗政策をもはや継続することができなくなった。外国人労働者の大量受け入れに踏み切らざるを得なくなり、労働力政策を大転換することになったのである。しかしながら、自民党の外国人受け入れは家族持ちを除外しているように、それはあくまでも「労働力」としてであり、市民や社会人としてではない。言い換えれば、広まりつつある階層社会の底辺に外国人労働者を滞留させ、その上に日本人労働者の「生産性」を高めようというのである。

移民を大量に受け入れてきた先進諸国では、いま人口構造に大きな異変が生じている。移民すなわち少数民族の人口が急激に増加するかたわら、白人を中心とする人口はむしろ減少傾向に向かっている。市民権を得た移民労働者がこのまま増え続ければ選挙行動や政治行動への波及は避けられず、やがては政治構造そのものを大きく変える方向へ発展していくだろう。

このような趨勢を見るとき、安倍首相はもとより日本会議に結集する自民党議員の多くにとっては、「瑞穂の国」を守ることが至上命題である以上、日本人の「生産性」を高めなくてはならないと考えるのは当然であろう。それが、優生思想と人種差別にもとづく「生産性」の強調となるのであり、ときにはヘイトスピーチへと発展していくのである。

穴見議員や杉田議員の発言を幼稚なチルドレン議員の暴言と侮ってはならない。そこには人口減少時代の自民党政策を象徴する危険な芽が含まれているのであり、それを未然に摘み取ることは保守層も含めての課題である。平気でウソをつき、平然と居直り、あくまで権力の座を降りようとしない安倍首相への批判を含めて、穴見・杉田両議員の暴言へ糾弾を止めてはならないと思う。(つづく)