橋下市長のファッショ的言動に見る「壊し屋」と「トリックスター」の本性(2)、(大阪ダブル選挙の分析、その6)

 目下、マスメディアの目は、橋下市長による大阪市役所の“解体手術”と大阪維新の会の国政進出に集中しているかのようにみえる。過日の橋下移動劇場の“東京公演”では、橋下市長がどれだけ多くの政府や政党の要人と面会するかということ(だけ)がマスメディアの関心の的になった。一地域政党にすぎない大阪維新の会が次の総選挙で国政選挙に打って出るかどうかに、あたかも報道の焦点が設定されているかのようだ。

 地元の大阪や関西では、年末ぎりぎりまで「市役所解体手術」の一部始終が瑣末な内容に至るまで逐一報道され、その他の自治体のニュースは無視されるか片隅に追いやられる破目になった。まるで「そこのけ、そこのけ、橋下が通る」と言わんばかりの特番扱いだ。なぜかくも「橋下マタ―」だけにマスメディアの関心が向けられるのか。なぜ橋下氏ごとき一地方首長に、政府や政党の要人が膝を屈してまで出迎えるのか。

 年末のテレビ特集では、既成政党とりわけ民主党自民党の混迷した政局運営を中心に「政界漂流」といったテーマ番組が数多くつくられた。既成政党のぶざまな姿がクローズアップされる一方、「地方の清新な政治家」の代表格として橋下市長が対比的に取り上げられた。まるで「泥田のハス」「ハキダメの鶴」といった破格の扱いだ。橋下氏の実像を知る者にとっては、見るに堪えない紹介や描写が多かった。

 だがその一方、国政に眼を転じると事態は深刻の一語に尽きる。民主党政権マニフェストは、もはや“違反”のレベルを通り越して総崩れとなり、“破棄”といってもおかしくないほどの域に達している。「税と社会保障の一体改革」という名の消費税増税しかり、「コンクリートから人へ」の公約を180度転換させた八ツ場ダム工事継続しかり、沖縄米軍基地の「県外移転・国外移転」を御破算にした辺野古地区環境影響調査書提出しかりである。

 こんな無政府的状況を反映してか、発足当初60%台に乗せていた野田内閣の支持率がこのところ急降下している。日経・テレビ東京世論調査(12月23〜25日)によれば、11月末の前回調査と比較して支持率が51%から36%へ大幅に低下し、不支持率は39%から53%へ急上昇した。理由は、野田内閣や民主党執行部の仕事ぶりを「支持しない」63%、一川防衛相・山岡消費者担当相の続投を「支持しない」57%、福島原発事故の収束宣言を「支持しない」78%などに加えて、これまで賛成・反対が拮抗してきた消費税率引き上げに関して「反対」が5割を超え(53%)、「賛成」38%を大きく逆転したからだ。

 すでに朝日新聞社が実施した世論調査(12月10〜11日)においても、野田内閣の支持率が31%、不支持率が43%となり、初めて不支持率が支持率を上回る結果が出ていた。そして日経調査の結果は、さらにそれを上回る勢いで不支持率が急増していることを物語っている。野田首相が発足当初の「安全運転」から急にアクセルを踏みこみ、「不退転の決意」で民主党マニフェストの“破棄”を宣言したあたりから世論の節目が変わったのである。

 その分水嶺はマスメディアではほとんど報じられなかったものの、12月22日の日本経団連評議員会における野田首相のあいさつだった。首相は、社会保障と税の一体改革の素案の取りまとめについて「逃げずにぶれずに先送りせずに、しっかりと結論を出していきたい」と改めて決意を披露し、「政権の延命や民主党のために政治家になったわけでない」と語気を強めて言明したという。(東京ロイター通信12月22日)

財界首脳部を前にした野田首相の決意表明は、野田内閣がもはや民主党政権の枠内から“財界直轄政権”に移行したことを示す極めて重大な政治発言だと言わなければならない。にもかかわらず、この間のマスメディアは「橋下騒動」一色に染められ、民主党政権公約を投げ捨てることによって日本の政党政治が崩壊し、議会制民主主義が機能不全に陥っている事態を真剣に取り上げようとしなかった。

 私は、大阪維新の会が掲げる「大阪都構想」など、国政の重要課題から比べれば「取るに足らないこと」だと思っていた。またこの程度の政策で大阪維新の会が国政に進出しようとするなど、「笑止千万」だとも考えていた。だが、それがたとえ瑣末なスローガンとはいえ、橋下劇場(騒動)に便乗して野田内閣が民主党マニフェストを投げ捨て、「民主党のために政治家になったわけではない」と言明するような事態が国民の前から覆い隠されるとすれば、それはそれで「トリックスター」としての橋下氏が果たしている役割に改めて注視しなければならないと思う。

橋下移動劇場の3日間の東京公演は、橋下氏が「国政レベルのトリックスター」として登場したことを示すものだ。彼の掲げる右手には「大阪都構想」という空虚なスローガンしか見当たらないが、多くの国民がマスメディアの囃しに乗ってそこに眼を惹きつけられるのであれば、それは支配体制の立派な「遊軍」としての役割を果たしていることになる。また「財界直轄内閣」の野田政権が行き詰まり、次の政権をめぐって政局が混乱するときは、「地方の清新な政治家」が突然浮上しないとも限らない。大阪府市政と国政の両方からら「ハシズム」の分析を続けることが、私にとっては来年の大きな課題になる。