橋下市長のファッショ的言動に見る「壊し屋」と「トリックスター」の本性(1)、(大阪ダブル選挙の分析、その5)

 12月19日から丸3日間、橋下氏は市役所を空っぽにして永田町と霞が関を駆け回った。まるで「大名行列」よろしく200人近い報道陣を引き連れ、政党幹部や各省大臣との面会シーンに露出することに専念した。面会場所を「即席スタジオ」に見立てての “橋下移動劇場”のはじまりだ。  

 観客がいる場所にはどこへでも出かけてゆく。人気のあるうちに次々と話題をとる。次の幕開けの予告を派手にやって観客の興味をつなぐ。どれもこれもが「移動劇場」の手法であり、「トリックスター」(騙し屋)のテクニックだ。だが、これが大都市行政を預かる就任直後の自治体首長の行動だとしたら、余りも市民や議会を馬鹿にした話だと言わなければならない。

 選挙期間中のアジ演説とは違って、市民の負託を受けて当選した自治体首長には、市民・住民の日常生活上の切実なニーズに応え、それを執行するための行政組織を整え、市議会と協議を重ねた上で公約を着実に実行していくという重大な政治責任が求められる。ところが、橋下市長は就任早々からそんなことはそっちのけにして永田町と霞が関を走り回るのだから、これが「ハシズム=橋下流」の正体だとしたら、大阪市政は「市民不在」どころか「市役所不在」になりかねない。

橋下氏は、すでに市長就任前から幹部職員たちに「次々と大玉を投げている」と称して、事実上の職務命令ともいうべき行政課題の検討を一方的に指示してきた。そのなかにはいま話題になっている教育基本条例案の議会提案などに加えて、小中学校への「学校選択制の導入」や「市バス事業の廃止」など学校教育や市民生活の根幹にかかわる最重要課題も含まれている。そこには市議会の存在などまるで眼中になく、あたかも首長一人がすべてを決定できるかのようなファッショ的体質が溢れている。

たとえば橋下市長の言い分は、学校選択制についてはこれまで一度も討論会や公聴会をひらいたことがないにもかかわらず、「学校選択制になれば保護者の教育への関心が高まる」、「学校間の競争を促す」(読売12月18日)、「我々は住民の声を聞いてきた」(朝日12月22日)などという一方的なもので、それ以外の世論には一切耳を傾けようとしない。

教育委員会は、「地域と学校の関係が薄まる」、「通学の安全が確保できない」など数多くの懸念を示しているというが、橋下市長はいっこうに意を解さない。それどころか、教育長に対して「保護者の選別にさらして自然に統廃合を促す手法として学校選択制がある」と露骨に述べ、選択制導入と学校統廃合を結びつける考えを示したという。公立幼稚園の民営化についても同様だ。民営化方針がまずあり、民営化すれば経営が成り立たないと反論されると、「それでは廃止します」とにべもない。(朝日12月24日、25日)

市バス廃止に関してはさらに過激だ。その発言たるや「バス事業はバス会計だけで処理するよう交通局に指示した。リセット(倒産)もやむなし。(倒産なら)従業員はリストラになる」(日経12月22日)というもので、乱暴きわまりない。これでは市民の足を守るべき公営交通事業が赤字になると、すべて廃止しなければならなくなる。大阪維新の会が選挙でいくら「敬老パスを守ります」と公約しても、肝心の市バスが廃止され、「敬老パス」がただの紙切れと化してしまうのでは、「イカサマ」という他はない。

橋下市長のやり方をとかく「スピード感がある」とか「意思決定が迅速だ」とか褒めそやす向きもある。だが彼の言動をよく分析すると、市民生活を支えるために公共セクターをいかにして効率的に維持・運営するかということに目標があるのではなく、公共セクターを何でもかんでも民営化することに目標があることがよくわかる。それも「自分の在任中」(市長1期)にやらなければならないというのである。

つまり、彼の本性は「公共セクターの壊し屋」にあるのであって、その行動様式は「壊した後のことは知らない=後は野となれ山となれ」というものなのである。民営化できるところはすべて民営化する。しかしその結果については責任を負わない。なぜなら民営化の結果が出る頃には、自分はすでに転身してしまっている(大阪市長から次のポストに移っている)。だから、どれだけ乱暴なことをやっても構わない、というのが彼の本音なのだ。

そこにみられる行動様式は、自分は民意を受けて市長になったのだから、すべての職員は首長の言うことに従わなければならないというファッショ的なものだ。だが、大阪市役所の幹部はこれまでのところ反論らしい反論をするでもなく、橋下市長の指示に唯々諾々と従っているだけだという。

だが、考えてもみたい。地方公務員は、就任の際に必ず「服務の宣誓」をする(地方公務員法第31条)。その文面は、「私は、ここに主権が国民に存することを認める日本国憲法を尊重し、且つ擁護することを固く誓います。私は、地方自治の本旨を体するとともに公務を民主的且つ能率的に運営すべき責務を深く自覚し、全体の奉仕者として誠実且つ公正に職務を遂行することを固く誓います」というものだ。

また「服務の根本基準」は、「すべて職員は全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ職務の遂行に当たっては全力を挙げてこれに専念しなければならない」(同第30条)というものだ。そして「職員は、その職務を遂行するに当たって、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」(同第32条)と規定されているのは、行政が国民・住民の意思すなわち法令等に従って忠実に実行されることを担保するための措置だからである。

この条文の趣旨にしたがえば、たとえ「上司の命令」であってもそれが明らかに違法又は公序良俗に反する場合は、地方公務員は何らそれに従う必要はないのであって、「全体の奉仕者として公共の利益のために全力を挙げなければならない」ことはいうまでもない。私は、自分の保身に汲々とする市役所幹部にそのことを期待するつもりはさらさらないが、せめても大阪市政の再生を願う職員や市民の中から、全体の奉仕者として公共の利益のために全力を挙げる「反ハシズム」の動きが起こってくることを願っている。(つづく)