当局の高台移転計画に加担(推進)する大学アドバイザー(アーキエイド)、雄勝地区は“高台移転促進事業の実験場”なのか、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編8)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その59)

私が最初に「アーキエイド」(東日本大震災における建築家による復興支援ネットワーク)の活動報告に接したとき、この集団は1960年代から70年代にかけてアメリカやイギリスで誕生した「コミュニティ・アーキテクト」・「アドボケイト・プランナー」の“日本版”ではないかと感動し、また期待もした。

アメリカでは、1950年代後半から本格化した商業開発中心の都市再開発事業の実態が「アーバンリニューアル事業」(都市更新事業)という名の「ニグロリムーバル事業」(黒人追い出し事業)に他ならなかったことから、地域住民の再開発反対運動とともに低所得者・マイノリティの居住権・居住空間を守ろうとする支援活動が1960年代に入って建築家・都市計画家の中に一挙に広がった。当時、黒人の公民権運動や学生中心のベトナム反戦運動が全米的に展開されるという政治社会情勢の変化もあって、都市の貧困問題を建築・都市計画の側から改革していこうとする新しい建築家・プランナーの社会運動が芽生えたのである。

この支援運動のなかで、従来はもっぱら「施主=自治体当局・民間企業」の意向に応じて建築設計や再開発計画に従事してきた建築家・プランナーたちが、地域住民の居住権を支援する立場から市当局や民間デベロッパーの再開発計画に対抗するという立場へ大きく“変身”を遂げた。専門的知識や技術をもつ建築家・プランナーが弁護士(アドボケイト)のように依頼人(住民=クライアント)のために活動する、すなわち「アドボケイト・プランナー」の誕生である。

イギリスでも自治体任せでは劣悪な公営住宅団地を改善できないとして、居住者組織や借家人組合自らが住環境改善に乗り出すという住宅運動が1960年代から盛んになり、スラム(不良住宅地域)やブライティッドエリア(衰退地域)において公営住宅や民間賃貸住宅の環境改善運動に参加する建築家・プランナー、すなわち「コミュニティ・アーキテクト」という新しいタイプの専門家が登場するようになった。王立建築家協会においても「コミュニティエイド」というプログラムがつくられ、組織的な専門家派遣活動が展開された。

これらの背景には、建築・居住環境の設計や管理は、居住者やユーザーの“直接参加”によってこそ最も創造的になるという「計画コンセプト」(基本認識)の転換があった。建築家・プランナーと施主・クライアントの関係は「見下ろす」ことでもなければ「跪く」ことでもなく、ユーザーや居住者と建築家・プランナーが居住環境を創造していくうえでの「イーコール・パートナー」(対等の協力者)であるとの価値意識の浸透である。

しかしこの点に関して言えば、私のアーキエイドに対する感動や期待はいささか的外れだったようだ。雄勝地区の大学アドバイザーが果たしている役割をフォローすると、被災者・住民の支援者(パートナー)として当局と対峙するというよりは、むしろ当局側の代理人(エージェント)として被災者や住民を誘導する(説得する)役割に終始しているように見える。

なぜこのような当局よりのスタンス(基本態度)を大学アドバイザーがとれるのか。念のため、ホームページからアーキエイドの設立趣旨やアニュアルリポート(年間活動報告)の頁を繰ってみた。そこには、アーキエイドの3つの活動目標が以下のように記されている。

(1)国際的なネットワークによる多面的な復興支援・地域振興プラットフォームの構築。被災地域の復興支援や地域振興に対して、国際的な建築家・大学とのネットワークを活用し学際的かつ領域横断的な人材供給を実現する創造的な人材プールを構築して、まちづくりから復興デザインのコンサルティング、文化・教育的なコミュニティ・ケアなど多面的な支援を行う。

(2)被災地の建築教育の再建/実践的復興教育サービスの開発。復興支援・地域復興の継続的な取り組みを文化的復興のプロセスとして位置づけ、建築家や専門家らの専門的な力と被災地域のニーズのマッチングを行い、そこで行われるプロセスに住民や学生の参画を促して実践的な復興教育サービスの開発を行うと共に、これからの地域を支える若い人材の育成に取り組む。

(3)震災知識の集積と啓蒙。今回の大震災に関する学際的・領域横断的な研究や教育的活動をサポートし、震災に関する知見を広く次世代に受け継いでいけるように情報の集積と啓蒙に努める。

 この3つの活動目標の特徴を一言でいえば、「建築家および建築家の卵(学生)を養成するため、被災地を建築教育のフィールドにして、さまざまな支援活動の実験を行う」ということに尽きるだろう。つまり東日本大震災の被災者をいかに救うか、被災地をいかに復興するかという視点よりも、被災地をフィールド(実験場)にした支援活動を通してデザイン力を磨き、建築家養成を行うという視点が突出しているのである。

雄勝地区における大学アドバイザーの行動は、その典型あるいは「度を越した事例」とも言えるものだ。被災者・被災地の大多数が従前地の再建を強く望んでいるにもかかわらず、高台移転計画と浸水地域における観光施設計画などの図面を当局(担当者)の言うままに描いて臆面もなく説明会で披露する。雄勝地区はまるで国や県の推奨する「復興デザイン=高台移転計画」の格好の実験場なのであって、被災者が望むと望まざるにかかわらずそのための図面を描けば、後は復興事業が付いてくると言わんばかりのスタンスなのである。だが、その計画が被災者から激しく批判されるときがやってくる。(つづく)