候補者を立てない出直し市長選をどう戦うか、出直し市長選は劇場選挙から「考える選挙」への転換点になる、大阪出直し市長選をめぐって(その6)

 ここ数日間、東京で仕事をしていたが、大阪出直し市長選や橋下氏の話題が出ることは一切なかった。新聞各紙も東日本大震災3周年特集記事で紙面が取られているせいか、それらしき記事は皆無だった。僅かに東京新聞の囲み記事(3月4日)で、2015年春の統一地方選に向けて実施した大阪維新の会の堺選新人候補者募集が「応募者ゼロ」に終わったことが出ていただけだ。東京では大阪維新や橋下氏はもう“過去の存在”なのだろう。

 帰宅してメールを整理していたら、出直し市長選に真っ先に手を挙げた元北区区長が立候補取り下げを表明したとのニュースが流れていた。理由は「市民がシラケテイル」ということらしいが、もともとそれを承知で手を挙げたのだから「何をいまさら」と思わないでもない。しかし、実情は市民の空気が予想以上に冷たく厳しいので、「出ても仕方がない」、「出る気がしなくなった」ということではないか。そんなことで市選挙管理委員会の説明会には13陣営も出席したというが、この調子で行くと実際に立候補するのはもっと僅かな数になり、“少数激戦選挙”になるかもしれない。

 それにしても維新の出直し市長選の出だしは甚だ芳しくない。大阪維新の会タウンミーティングを1000ヶ所開催して「選挙の大義」を訴えるとしていたが、橋下氏本人が登場する会場でも100人を超えるか超えないかの聴衆しか集まらず、維新市議が開催するミニ集会は数人程度の会に終わることも珍しくはない。これでは「選挙にならない」ということで街頭ミーティングに切り替えたというが、かっての天を突く勢いのことを思えば“雲泥の差”というしかないだろう。

 一方、これに対する反橋下陣営はどうか。2月下旬には何回か大阪を訪れて市民運動のリーダーたちに会い、今回の出直し長選をどう戦うかについて意見を聞いた。反応はさまざまで、戸惑っている人、考慮中の人、割り切っている人など幾つかのパターンに分かれた。このリーダーたちの反応は大阪市民の縮図ともいえるもので、そこで得られた意見はこれからの選挙戦の前途を占ううえで大いに参考になる。

 でもその後の情勢の推移を見れば、大局として“候補見送り作戦”は成功していると言えるだろう。また運動面でも「深く静かに」出直し市長選の無駄や大義のなさを説く戦法が浸透しつつある。橋下氏の登場以来、騒々しくて中身のない劇場選挙が横行してきたが、皮肉にも今回の出直し市長選はそれとは正反対の「考える選挙」になったのである。

 これは大阪市民にとっては得がたい体験だというべきだろう。本来の選挙は、行くか行かないか、行くとすれば誰に入れるか入れないか、それを事前にじっくりと考えて行動することが求められる。しかし現実は喧騒状態の中での人気投票となり、しかもその人気度合いがそれまでのテレビ露出度で決まるといった劇場選挙に終始してきた。大阪でお笑いタレント候補の基礎票が俗に百万票といわれてきたのはこのためだ。

 だが、大阪の出直し市長選の前にあった東京都知事選で注目すべき現象が見られた。それは16人もの大量立候補があったにもかかわらず、誰一人タレント候補が出なかった(出られなかった)という事実である。都知事選しか目のない東国原氏にしても、本人はもとより周辺も「出馬必至」との前宣伝を散々煽ってきたにもかかわらず遂に立候補できなかった。この意味するところは重大だ。自治体の運命を左右する首長選では、情勢の厳しさを反映してもはや(お笑い)タレントが出るような浮ついた空気が許されなくなってきたのである。

 お笑いタレント候補の本拠地・大阪でも、もはやこの傾向は否定できないだろう。自治体行政の舵取りは、お笑いタレントが片手間でやれるような「人気商売」でないことが有権者の間でも漸くわかってきたのである。このことは「橋下人気」の低落ぶりにも現れている。維新支持率の低下は基本的には橋下氏の政治手法や政策上の欠陥に基づくものであるが、私はそれ以上に「タレント型選挙=劇場選挙」の終焉が訪れてきたことの反映だと見ている。つまり橋下維新の凋落は、橋下氏自身の「タレント寿命」の終わりを告げるばかりでなく、「タレント型選挙」の終わりを告げていると思われるのである。

 後わずかで出直し市長選が始まる。この選挙は明らかに時代の変わり目を象徴する選挙だと思う。選挙に行くか行かないか、行くとすれば誰に入れるか入れないか、はたまた白紙にするかしないか、すべてが大阪市民の判断にかかっている。私はこれを機会に大阪市民が「タレント型選挙」を卒業し、「考える市民による考える選挙」を実現してほしいと願っている。(つづく)