橋下維新の凋落ぶりが目立つ、議員も運動員もまるで「やる気」「その気」がないのはどうしてなのか、大阪出直し市長選をめぐって(その7)

 今日3月9日は(注目の)大阪出直し市長選の告示日だ。でも、最近はそれらしき記事やテレビニュースにあまりお目にかかれない。3月11日が東日本大震災から3周年に当たるので、各紙ではこの間大型の特集記事が続いており、テレビ番組も同様なので、橋下氏の登場する隙間がなく露出する機会もないのである。おそらく今頃は「こんな時期に選挙をしなければよかった!」と後悔しているだろうがーーー、もう遅い。

 私は当初、堺市長選のときのように橋下氏の街頭演説第一声を聞きに出かけるつもりだった。だが事前運動の余りの「やる気の無さ」を見て、行くのを止めた。その切っ掛けになった告示2日前の大阪都心の光景を紹介しよう。

 この日は大阪梅田周辺で学会研究会があり、京阪電車京橋駅で降りてJRに乗り換えた。夕方ラッシュ前の午後5時頃のことだ。この乗り換え通路は広場のようになっていて、いつもイベントや街頭宣伝が絶えない場所になっている。そこに超大型のテレビを積んだトラックが横付けになり、大音響で「大阪都構想」の画面を流していたのである。堺市長選のときに活躍した例の維新街宣車だ。

 だが、大画面・大音響の大宣伝にもかかわらず、周囲の人だかりは余りにも少ない。「人だかり」というよりは「人まばら」「チラホラ」と言った方がよく、ざっと数えても20人程度しかいなかった。それに加えて、運動員がチラシを配っていたが誰も取ろうとしない(受け取ったのは20人に1人程度)。京阪とJRの連絡口であるこの広場は、大量の人が行き来する場所である。ビラやチラシを撒くには絶好の場所なのに、ほとんど捌(さば)けないのである。

 動員されている議員らしき人物や運動員の若者たちの表情も気になった。堺市長選のときは、全国から総動員された地方議員たちが集団になって街頭演説していた。後に「兵隊型選挙」と総括されるほど強引な動員だったらしいが、それでも一応は選挙運動らしい選挙運動をしていたのである。ところが今回は「本番前」ということかもしれないが、彼らにはまるで「やる気」「その気」が見られない。いったいどうしてなのか。

 通常、街頭でのビラまきは運動員たちの雰囲気で決まると言われている。真剣な表情で(あるいはにこやかに)声をかけなければ誰もビラを受け取ってくれない。こんなことは選挙運動の「イロハ」であり、誰もが知っていることだ。まして維新の運動員は若者が多いのだから、彼らが本気になればそれなりのビラを撒けるはずだ。だが通行人の20人に1人しかビラを受け取らないというのでは話にならない。原因は何か。

 これは運動員たちの動きを見れば即座にわかることだが、彼らには「やる気」も「その気」もまるで見られないのである。告示日2日前といえば臨戦態勢に入っていなければおかしいのに、そんな気配が微塵(みじん)も感じられないのである。彼らの多くは片手でビラが入った買物袋を持ち、もう一方の手でロボットのようにビラを差し出しているだけだ。両手でビラを掴んで必死で渡そうとしなければ受け取ってくれないのに、通行人の流れの中に突っ立っているだけなのである。

 出直し市長選の事前の模様を伝える各紙の報道でも、今回の選挙は運動員の間に厭戦気分が蔓延していると指摘している。これまでの維新の行動力(破壊力)の凄まじさをよく知っている私には到底信じられない話だったが、しかし目の前でその有様を見せつけられると、あながち穿ち過ぎた観測だとは思えなくなってくる。橋下維新の生命力である若い運動員たちの表情が何よりも維新の凋落ぶりを物語っているからだ。

 目下のところ、選挙の投票率がどれほどになるかはわからない。選挙通の間では20%前後になるのではないかと囁かれているが、その根拠が明示されていないので信用できない。私自身も皆目見当がつかないのである。だがはっきりと言えることは、今回の出直し市長選を機に橋下維新の凋落が決定的となり、これまで辛うじて維持してきた「橋下支持>不支持」と「大阪都構想賛成>反対」の世論調査比率が逆転するだろうということだ。

 言い換えれば、出直し市長選を境にして橋下氏・維新の政治的影響力は劇的に失墜し、来年11月のダブル首長選の前に橋下市長の辞職もあり得るということだ。それも橋下氏が言明するところの大阪都構想への民意を問うための再辞職ではなくて、大阪都構想を断念して大阪政界から身を退くための辞職の公算が大きい。反橋下派は早くもその時に備えて本格的な市長選の準備を始めていると聞く。その前奏曲である出直し市長選の結果が待ち遠しい。(つづく)