2014年衆院総選挙はいったいどんな選挙だったのか、それは「安倍政権の、安倍政権による、安倍政権のための総選挙」だということだ、2014年総選挙を分析する(その9)

 12月14日の投開票日前後の1、2週間は猛烈に忙しかった。選挙前の1週間は各紙の選挙予測をフォローするのに明け暮れた(大阪維新の動向に関しては少し見誤った)。14日当日は投票締め切り時間(午後8時)から始まった選挙速報を深夜まで見ていた。翌朝から新聞各紙との格闘が始まり、朧気(おぼろげ)ながら何となく全体状況が判ったような気になったときはもう夕刻だった。それからが大変、翌16日昼の『ねっとわーく京都』(京都の月刊誌)の原稿締め切りに間に合わせるべくパソコンと格闘、正午前にメール送信したときはもう精根尽き果てていた。

 そんな切羽詰った条件のもとで書いた原稿なので十分な推敲ができず、選挙分析としては杜撰なものになったかもしれない。でも新聞記者やジャーナリストが毎日身を削って仕事をしていることを思えば、時間の制約などは言い訳にならないだろう。問題は、的確な状況判断能力と分析視角が自分にあるかどうかであり、そうでなければ幾ら時間があってもいい原稿は書けない(と自分に言い聞かせている)。

 しかしいつも悩むことは、対象とする事柄の特徴を一言で見抜けるかどうかということだ。書く人の蓄積や専門によって視角は異なり、取り上げる事象も異なる。まして総選挙といった国政の一大イベントになれば、「一口で言う」ことは極めて難しい。でもそれを思い切って言わなければ、観察者(ウォッチャー)としては失格だろう。今回も誤りを恐れず、批判を承知の上で「一言居士」の役割を果たしたい。

それでは、2014年衆院総選挙はいったいどんな選挙だったのか。リンカーン大統領の名演説、“government of the people, by the people, for the people”をもじって言えば、それとは真逆の「安倍政権の、安倍政権による、安倍政権のための総選挙」だったと言えるのではないか。つまり今回の総選挙は徹頭徹尾、安倍首相の思惑(私利私略)に基づいて行われた党利党略選挙であり、それが思惑通り「大成功」を収めた選挙だということだ。具体的には、次のような特徴を挙げることができる。

第1は、解散・総選挙のスケジュール設定が野党を「不意打ち」「狙い撃ち」する形で行われたことだ。周知の如く、安倍政権は9月の内閣改造後女性閣僚の「ダブル辞任」とその他閣僚の「政治とカネ」問題に足を取られ、おまけに年率2%強の「プラス成長は固い」と思われていたGDP速報値が「2期連続マイナス」になるなど、政策の柱である「アベノミクス」までが危機に見舞われていた。安倍政権はこの危機を乗り切るため、内閣イメージを一新する「リセット解散」「リシャッフル解散」を企て、野党の選挙準備が整わないうちに解散を断行したのである。

「解散の舞台裏」を検証した12月16日の読売新聞によれば、自民党が10月下旬に行った世論調査ではまだ野党が候補者を決めていない選挙区が多く、自民党に有利な情勢が展開していた。そこでは小選挙区と比例を合わせた自民党の獲得予想議席数は優に300を超えるとの結果が出ており、この世論調査を見た菅官房長官が首相に早期解散を強く進言し、安倍首相が解散を決断したのだという(読売新聞、2014年12月16日、「世論調査 首相決断後押し」「自民優勢予測 菅氏『早く勝負』進言」)。つまり安倍政権は内閣不祥事を一新するという党略および「選挙に勝てる」という党利に基づいて解散に踏み切ったのであり、そこには「解散の大義」などあろうはずもなかった。

 安倍政権の狙いは的中し、不意打ちを喰った民主党衆院定数の過半数238を下回る過去最少の198人(選挙区178人、比例単独20人)しか候補者を立てられず、また194選挙区で野党の共倒れを回避するための候補者調整(棲み分け、共産を除く)を行って「一本化」したが、うち民主党候補が立った127選挙区では30勝しかできなかった。民主党は最初から「政権交代」の旗を降ろして戦いを放棄し、挙句の果ては東京1区で海江田代表が落選するという醜態を演じてミソをつけた(野党第1党党首が落選するのは、1949年衆院選社会党片山委員長の落選以来)。

 しかし、民主はそれでも得票数も議席も増やしているのに比べて、「第3極」政党はもっと酷かった。突然の解散は野党にとっては「不意打ち解散」であり、野党の敗因が準備不足にあったことは間違いないが、その背景にある「第3極」間の不毛な再編(離合集散)と混乱状態が敗戦に一層拍車をかけた。まず内紛の絶えなかった「みんなの党」は文字通り「みんな(バラバラ)の党」になり、公示直前に消滅した。元代表の渡辺氏は今回「無所属」で立候補して無残にも落選した(当然のことだ)。

小沢氏が率いる「生活の党」も前回総選挙以降低迷状態を脱することができず、今回は所属議員の他党派からの立候補を認めるとの驚くべき行為に出た。党首である小沢氏が率先して自党を否定し、それでいて自身は「昔の名前」で立候補するのだから、これではもうまともな政党活動とは言えない。その結果、「生活の党」は5議席から2議席に転落して政党要件を失い、政党交付金を受けられなくなった(小沢氏は間もなく退場するだろう)。

日本維新の会」から分裂した「次世代の党」は、古色蒼然たる石原氏と平沼氏の復古カラーを脱色できず、実質的には「旧世代の党」「古世紀の党」と化して時代から見捨てられた。その結果19議席から2議席へと壊滅状態に陥り、辛うじて生き残った平沼・園田両氏も間もなく高齢引退を余儀なくされて、「次世代の党」は「古生物」よろしく絶滅して博物館入りするだろう。

「維新の党」については議席が42議席から41議席へ1議席減にとどまったこともあり、あたかも現状維持したかのような空気が振りまかれている。しかし得票数をみると、共産が237万票、自民が104万票、公明が19万票、民主が15万票を各々増やしたのに対して、維新は前回の1226万票から実に3分の1に当たる388万もの大量票を失っているのである。その意味で得票数から言えば、維新こそが今回の総選挙の「最大の敗者」だと言えるのかもしれない。

維新の選挙結果に関しては、12月17日付けの日経新聞の解説記事が面白い。それは橋下・江田共同代表の党内の力関係の変化に関するもので、選挙前は橋下系議員約30人に対して江田系議員約10人と3対1の割合であったのに対して、選挙後は約20人対約20人となり1対1になったというのだ。もともと橋下・江田両氏の人間関係がギクシャクして「ヘゲモニー争い」が絶えないうえに、今度は江田氏が力を付けてくるとなると、このまま維新が1つの政党としてまとまっていけるかどうか予断を許さない(日経新聞、2014年12月17日、「維新 変わる力関係」「大阪苦戦で江田氏に勢い、野党再編に影響も」)。

次回は、野党がなぜ「アベノミクス」に対抗できなかったのか、第2の特徴について述べたい。(つづく)