高度成長時代に神戸は「脱兎」の如く走り、京都は「亀」のような鈍間(のろま)な歩き方しかできなかった、しかし「ポスト成長」時代のいま、「亀(京都)」は何時の間にか「兎(神戸)」を追い抜いているのではないか、阪神・淡路大震災20年を迎えて(その21)

 昨年秋の行楽シーズンのことだ。京都からJR経由で神戸まで来た時、京都駅は乗降客でごった返していたのが大阪駅では混雑がやや減り(駅が大きくなった所為もある)、三ノ宮駅に着くと意外に閑散としていた。神戸駅まで行くと人影が疎らになり、そこからハーバーランドへの道はちらほら親子が歩いているだけだった(アンパンマンの展示館が最近できたらしい)。

 高度成長期の頃はまるで逆だった。京都駅を出発して大阪駅に着くと途端に乗降客が増え、三ノ宮駅は大混雑していて満足に歩けなかった。神戸ブームだったのかとにかく人が多く、とりわけ若者の姿が目立った。「輝ける神戸」と「古くさい京都」とのコントラストが余りにも明らかで、近代高層建築が次々と建設されていく神戸が羨ましくてならなかった。京都の歩みは「亀」のように鈍く、神戸のそれは「兎」のように素早いと感じたものだ。

 だが時代の風が変わったのか、かっての「古くさい京都」がいまや人を惹きつけるようになっている(NHKは京都好みでやたらと京都特集番組が多い)。こうしたマスメディアの影響によるものか、それとも人びとのニーズが質的に変化したのか、最近は観光バスで団体旅行するよりも少人数のグループで「まち歩き」する新しいタイプの観光が主流になった。多くの人が、身丈にあった個性的な環境に何となく親しみを感じるようになったのだ。

逆に「輝ける神戸」のシンボルだったポートアイランド六甲アイランドに行くと、気のせいかも知れないが、私などは何だか身体中を風が吹き抜けるような気がしていっこうに落ち着けない。高齢者になったからと言えばそれまでだが、若い学生たちでさえそう言うのだから、まんざら私一人の印象でもないのだろう。事実、休日の人工島はイベント以外人影を余り見かけないし、雰囲気も悄然としている。

 この変化をどう見るかは建築評論の仕事かもしれない。しかしそれは同時に、都市計画の進め方やまちづくりのあり方にも大きく関係しているように思う。つまり「山、海へ行く」といった大規模開発方式で人工島や大団地をつくり、既成市街地は「スクラップ・ビルド方式」で全市に土地区画整理事業や再開発事業をかける――、こんな神戸型都市計画のやり方が何となく時代の風に合わなくなってきたように感じるのだ。

 幾つかの理由が考えられる。ひとつは都市環境・都市景観の画一化だ。日本全体が近代建築と近代都市計画で覆われてくると「同じような街」が出現することになり、最先端の神戸といえども魅力が減じてくることは避けられない。わざわざ神戸に行かなくてもどこでも「同じような光景」がみられるのだから、神戸の集客力が落ちても別に(何ら)不思議ではないのである。要するに、人を惹きつけるのは都市の規模ではなくて「環境の質」であり、建物の大きさではなくて「賑わいの質」なのだ。

 ところが従来の発想から抜けられないグループは、依然として「日本一」と称する巨大プロジェクトへの執着から逃れられない。時代が人口縮小時代にシフトして「ゼロサム」「マイナスサム」状態が常態化しても(するとますます)、「限られたパイ」の奪い合う都市間競争に熱中するのである。こうなると資本投下力の大きい都市ほど有利になり、神戸は大阪に、大阪は東京に勝てなくなることは当然だろう。「うめきたグランフロント」や「あべのハルカス」に対抗して同じようなものを神戸でつくろうとしてもそれはできないし、仮に出来たとしても新長田商店街と同じ運命をたどるだけだ。

 いま神戸に求められているのは、都市間競争ではなくて「都市の棲み分け」であり、都市力の差別化なのだ。この点、京都はとっくの昔から東京や大阪との競争から降りている。競争しようとしてもできる条件がなく、競争しても無駄だと悟っているからだ。だから京都の企業は東京に本社を移さないし、京都にいて「京都らしさ」で勝負しようとする。そして東京や大阪と違うイメージとブランドで人を惹きつけようとする。神戸に必要なのは「ハコモノ」なのではなく「ナカミ」なのであり、その「ナカミ」を創造することのできるマンパワーの育成なのである。

 市役所一家が牛耳っている審議会や各種会議からは膨大な報告書が出されることがあっても、「ナカミ」のある発想は出てこない。これらの報告書や各種計画書を読んで感じることは、あらゆることが書いてあるが何をやるかがわからないことだ。要するに、作文が終われば出来たような気になってしまい、それを実行に移すマンパワーの姿が浮かんでこない。市民生活や民間企業の現場から遊離した「役所仕事」の限界だろう。(つづく)