人口縮小時代の都市の持続的発展の原動力は住民の「市民性」と「市民力」にある、市民性は歴史の中で陶冶され、市民力は行政との(緊張ある)パートナーシップによって発揮される、神戸の市民性と市民力は果たして発展しているのだろうか、阪神・淡路大震災20年を迎えて(その22)

 阪神・淡路大震災20年を迎えてつくづく思うことは、神戸の命運を握っているのは結局のところ市民の存在だということだ。人口増加時代には、人口は労働力であり消費力だと見なされてきた。人口はもともと量的概念であり、経済成長率は労働力人口の増加とほぼ同義語だった。とにかく人が増えれば、都市は発展するものと信じられてきたのである。

 神戸市も1965年の総合基本計画(マスタープラン)以来、人口の増加目標をずっと掲げて都市拡大(人工島造成と郊外開発)を一路推進してきた。だが、直近の第5次計画ではもはや人口増加が望めなくなったのか、人口減少をまちづくりの前提にしなければならなくなった。人口増加にもとづく都市拡大を望めない以上、都市発展の基礎を「人口の質」に切り替えるほかなくなったのだ。

しかしここで言う「人口の質」とは、年齢構成や高齢化率などいわゆる人口学的な概念ではなく、「市民性」と「市民力」という社会的概念である。市民性とは平たく言えば「市民の気質」のことであり、都市の歴史とともに形成されてくる市民の「ライフスタイル=生活様式=行動様式」のことだ。また市民力とは、この生活様式を土台にして発揮される「元気力=生活力=活動力」のことである。市民性を市民生活のストック概念とするなら、市民力はそのフロー概念だと言える。市民性に裏打ちされた市民力が発揮されてはじめて、その都市を持続的に発展させるパワーが全開する。

それでは神戸市民の市民性をあらわす言葉にどんなものがあるのだろうか。私は神戸育ちでもなく住んだことがないのでそれほど深く神戸のことを知っているわけではないが、神戸の市民性をあらわすのは、「神戸っ子」という言葉がふさわしいのではないかと思う。ちなみに京都・大阪では「京都っ子」「大阪っ子」とは絶対に言わないから、これは疑いもなく神戸の市民性を象徴する言葉だと言ってよい。神戸市民は京都人のように分別臭い大人でもなければ、大阪人のように商売一本槍の人間でもない。「神戸っ子」という言葉には、神戸市民が新しい文化を吸収することのできる進取性かつ柔軟性に富み、溌剌とした感受性に恵まれているという意味が込められている。

最近たまたま目にした日経新聞(関西View版、2015年1月27日)に、「軌跡、ハイカラ神戸の系譜」という連載コラムが掲載されていて、そのなかにこの言葉を取ったタウン誌『月刊神戸っ子』のことが出てくる。『月刊神戸っ子』は1961年創刊の日本のタウン誌の草分けであり、以降半世紀有余にわたって600号を超える出版を重ねてきた伝統あるタウン誌だ。創刊当初、作家の司馬遼太郎が神戸訪問記を連載しており、戦災から復興した元町商店街の姿を生き生きと描いている。司馬は元町商店街にネクタイ専門店があることに驚き、風月堂主人が芸術家が自分の芸術を語るように自家製の洋菓子を語る有様を見て、「こういう商人の型は大阪では類がすくない」との感想を記している。

またインターネットで「神戸っ子」を検索すると、「神戸っ子とは、神戸市に住む住人の総称である」と定義したうえで、「神戸っ子」のいろんな特徴が紹介されている(ニコニコ大百科)。そのなかで傑作だと思う幾つかの特徴を挙げよう。
○「兵庫県民」とは名乗ることはない。
○やたらと「神戸」を「KOBE」と表したがる。
○「神戸って都会だよね」と言われると必死で田舎っぷりをアピールするが、「神戸って思ったより田舎だよねー」と言われるとイラっとする。
神戸空港が無駄だと言われても、地下鉄海岸線よりは何とかなると思っている。
○西に住んでる市民は三宮より東は大阪、東に住んでる市民は三宮より西は
岡山だと思っている。

ここで言われている特徴は「神戸っ子=都会っ子」であり、「阪神間モダニズム=郊外のブルジョア文化」とは質的に異なった「ミドルクラス(新中間層)の都会文化」を表すものと捉えることができる。つまり「神戸っ子」は徹底的に都会派であり、郊外文化には馴染まない「都会生活」(アーバンライフ)の体現者だといえる。都会のど真ん中に住み、都会文化を嗜み、都会生活を満喫したい市民層が「神戸っ子」なのだ。

このことは商工自営業者(旧中間層)の場合にも当てはまる。これらの人びとは「都会の下町」で生きてきたのであり、一旦郊外に出てしまうと満足に仕事をやっていけない。町工場や商店は大工場やショッピングモールのようにひとつの施設の中で作業や商売が完結するのではなく、地域一円に広がった「下町ネットワーク」の中でしか仕事や商売が成りたたないからだ。この中には親企業と下請け企業の取引関係もあれば、製造工程を分担して製品を作り上げていく作業関係もある。また小さな商店は、一定の地域に集積することではじめて消費者の多様なニーズに応えることができる。そこで多くの人びとが住み、働き、暮らす下町(いわゆる混合地域)は、雑多な職業から成る都会の生活インフラであり、そこから多様な企業が育っていく「インキュベーダー」(苗床、起業装置)なのである。

日本近代都市計画の花形といわれた「輝ける神戸」は、「山、海へ行く」といわれた郊外開発主義と巨艦大砲型再開発計画によって、実は「神戸っ子」の生活基盤である「都会のど真ん中」(元町商店街界隈など)と「都会の下町」(長田界隈など)を壊してしまったのではないか。それが阪神・淡路大震災復興都市計画によってさらに加速され、「冴えない神戸」の原因になっているのではないか。そして神戸再生のためには、ふたたび「神戸っ子」の生活拠点である「神戸の都会」を取り戻さなければならないのでないか。(つづく)