東京都知事選は「ストップ・ザ・アベ!」のきっかけになるか、「ストップ・ザ・サトウ!」を掲げた半世紀前の都知事選勝利は、革新自治体時代の幕開けになった、「3分の2」時代を迎えて(その2)

 東京の友人たちから都知事選のいろんな情報が入ってくる。各紙が世論調査を盛んにやっているが、本当の情勢は「よくわからない」のだそうだ。有権者が1100万人を越える首長選挙など、日本中探してもどこにもないからだ。しかも選挙期間が余りにも短い。おまけに候補者が出そろったのは告示直前だった。何が何かわからないうちに選挙が始まり、騒然とした空気の中で時間がただ過ぎていくように感じる。選挙争点や対決軸がいっこうに定まらないなかで、このまま投票日を迎えていいのだろうか。

情勢が混沌としている理由のひとつは、民放テレビ局の報道が興味本位で一貫性がなく、選挙風景をただ垂れ流しているからだ。私もときどき昼の番組で候補者たちの選挙風景を見るが、みんなよく似た演説をしていて、政策の違いがわかりにくい。一片の選挙風景では捉えられないほど、東京の選挙情勢は複雑極まりない。だからこそ、その複雑な情勢を解き明かすのがジャーナリズムの役割なのに、味付けもしないで生煮えの素材を並べているだけなのだ。だから、視聴者がどう判断していいか迷うのも無理がない。

一方、みなさまのNHKはもう絶望的だ。政治報道番組はいずれも「死に体」同然で、よそ者の傍観者の目で眺めているだけだ。ニュースキャスターや政治記者と称する人たちは、国民に事実を知らせようとする姿勢を失い、毒にも薬にもならない「後付けの解説」をするだけの腐った体質に成り下がっている。ドキュメンタリー番組で歴史の検証をするのもいいが、「歴史の今」を掘り下げる努力をしなければ、やがて「歴史を見る目」も濁っていくだろう。

私は、今回の都知事選を見る視角を「ストップ・ザ・アベ!」の契機になるかどうかに定めている。舛添知事の「政治とカネ」問題に伴う辞任で始まった今回の都知事選は、何よりもこのような人物を祭り上げた自公与党の責任と都議会自民・公明両党の体質を問うものでなければならない。一切の説明責任を放棄して逃走した舛添氏を無罪放免にして「だんまり」を決め込む――、もうこれだけで次の候補者としては失格だと思う。

まして、小池氏は自民党東京都連の一員であり都選出の衆院議員だ。自分も参画して都知事選候補に推薦した人物が「政治とカネ」の問題で辞任に追い込まれたというのに、あまつさえ自民党公認候補として出馬しようとする。結局、推薦を得られず取り下げたが、こんな恥知らずで無責任な行動をとる人物の正体について、これまでの「政党渡り鳥」と異名をとった彼女の変転極まりない経歴を含めてもっと焦点を当てるべきだ。

同様に、安倍政権の元閣僚であった増田氏も自民党推薦で出馬することにためらいを感じないのだろうか。増田氏は安倍政権の審議会常連メンバーであり、これまで数々の重要政策の立案に関わってきた。その論功行賞として今回の推薦候補になったのであろうが、そうであれば自らの公約が安倍政権の政策と矛盾しないのかを先ず示さなければならない。自民党の政策と何の関係もない選挙の時だけの「バラマキ公約」は、都民を愚弄する以外の何物でもない。マスメディアは並べられた政策の背景分析をもっと深めるべきだ。

今から約半世紀前の1967年4月、統一地方選挙の一環として行われた東京都知事選は文字通り「天下分け目の決戦」だった。自民・民社公認の松下氏に対して、「明るい革新都政をつくる会」と社会・共産推薦の美濃部氏が対決し、美濃部220万票、松下206万票の14万票差で美濃部氏が初当選した。都知事選直前の1967年1月に行われた第31回総選挙の東京選挙区においては、自民・民社両党の得票数は201万票、社会・共産両党は174万票で自民・民社が27万票リードしていた。また、都知事選と同時に行われた東京23区の区議会議員選挙でも、自民188万票、民社15万票、計203万票となり、社会・共産両党の89万票を圧倒していた。

ところが、予想に反して美濃部氏が形勢を逆転して当選した。当時のことで思い出すのは、佐藤首相が松下候補の応援に直接乗り出したとき、美濃部陣営が打ち出したスローガンが「ストップ・ザ・サトウ!」だった。この瞬間から都知事選の対決軸は松下候補を遠く飛び越え、佐藤政権打倒に転化したのである。1967年都知事選は、地方首長選挙であると同時に国政選挙にも匹敵する影響力を持った選挙だった。美濃部氏が当選したときから革新自治体時代が本格的に開幕した。東京都政で新しく打ち出された公害対策や福祉行政が佐藤政権の政策を大きく変えた。東京都政が国政に与える影響は、単なる「首長選」のレベルにはとどまらない全国的な広がりとインパクトを有していたからだ。この様子を見た田中角栄氏は、「区議選では自民党候補に投票しながら、都知事選では美濃部氏に票を投じた都民がいかに多かったか、また美濃部氏が社共両党の区議票以外にいかに幅広い都民の支持を得たか、端的に物語っているというほかない」(「自民党の敗北」、『中央公論』1967年6月号)と敗北を率直に認め、以降、自民党都市政策を大きく転換する舵を切った。

今回の都知事選は果たしてどんな選挙になるのだろうか。安倍首相が増田候補の応援に直接乗り出すことはまずないだろうから、安倍政権との直接対決にはならないだろう。また、改憲問題が直接の選挙争点に上がることもないだろう。だが、憲法25条に直結する東京都政の抱える問題は、待機児童問題や待機高齢者問題ひとつを取ってみても、「アベノミクス」や「1億総活躍社会」政策ではとうてい解決し得ないほどスケールが大きい。美濃部都政の福祉政策が国の政策を根本から変えたように、野党統一候補の鳥越氏が勝利すれば安倍政権に対する政治的打撃はこの上なく大きいものになる。

 参院選中には一瞥もされなかった鹿児島県知事選では、「脱原発」を掲げる新人候補が4期目の再選を目指す保守系現職知事を破った。熊本地震の最中にあっても川内原発の運転を絶対に止めようとしない安倍政権に対する批判が、知事選を通してあらわれたのである。東京都知事選での鳥越氏の勝利は、安倍政権に対する国民的批判の声を呼び起こし、「改憲勢力3分の2」の構造を大きく変える政治的転換点になるかもしれない。「ストップ・ザ・サトウ!」ではないが、「ストップ・ザ・アベ!」への可能性を秘めた東京都知事選の勝利を願わずにいられない。(つづく)