京都大学学生寄宿舎「吉田寮」をめぐる存廃問題の経緯と今後の行方について(2)、昔の学生気質と今どきの学生ライフスタイルの違い

 

 

 

 「舎友会」という吉田寮の同窓会組織がある。1950年代後半から1960年代前半に寮生活を共にした超高齢者集団の集いである。毎年2回、定期的に会合を開く。1月は新年会、6月は寮母さんの追悼会だ。年々少しずつ参加者が減っていくが、それでも毎回20人前後の参加がある。これまでは近況報告と思い出話が多かったが、ここ1、2年は吉田寮の存廃問題が話題の中心となった。

 

 舎友会世代に共通する感情は、「今どきの寮生はなっていない!」「あんな汚い住み方はけしからん!」「みんな追い出してしまえ!」というものだ。自分たちが大切にしてきた吉田寮が余りにも汚く荒廃しているので、見るに堪えないという感情を抑えきれないのだろう。大学の修理保全が行き届かないことがあるにしても、寮の荒廃の根本原因は寮生の自堕落な生活態度にある――こんな感情がみんなを一様に支配していた(いる)。

 

 当時の大学には「苦学生」が沢山いた。家が貧しくて学費を出せない、授業料が払えない、自分でバイトをしなければ食っていけない、下宿代が高いので入れない、...そんな学生がそこらじゅうにいたのである。だから、寮に入ることで初めて学業生活が成り立った寮生がほとんどだった。賄い付きの寮が苦学生たちを救ったのであり、寮生たちはそのことを心から感謝していた。寮の応募倍率はものすごく高かったので、大学に入るよりも寮に入る方が難しかったくらいなのだ。

 

 だから、当時の寮生は仲間意識が強かった。吉田寮は北寮、中寮、南寮の3棟に分かれていて、それぞれの棟には寮生の管理組織があった。総務以下さまざまな役割があり、寮生活の全てが寮生の自主管理のもとに営まれていた。ちなみに私は、体育会系(陸上競技部)ということもあって食堂係となり、その特権を利用してもっぱら空腹を満たしていたものだ。

 

だが、こんな人間関係は大学紛争を境にしてぷっつりと切れてしまった。大学紛争が立場を異にする学内集団の対立を決定的にした結果、それが寮生にも及んで世代間の断絶となってあらわれたのである。とりわけ、紛争以前と紛争以後の世代の溝が深かった。紛争以前の牧歌的な世代は何よりも不毛の対立を嫌った。だから、紛争世代の教条的な主義主張には付いて行けなかった。かくて寮生の世代間交流がまったくなくなり、お互いに「あいつら」「おまえら」と呼ぶような関係になってしまったのである。

 

だから、私が舎友会の席上で吉田寮の存廃問題を持出したときは参加者から総スカンを喰った。「そんなこと聞くだけでも腹が立つ」というわけだ。人間は老いるとますます頑固になる動物らしい。何しろ大学紛争以来何十年も同じ思いに凝り固まってきた連中だから、彼らの感情を解きほぐすことは容易でない。最初はあっさりと引き下がったが、でもこの世代を巻き込まなければ吉田寮の存続運動は成功しないことがわかっていたので、折を見ては問題提起を続けた。

 

私が吉田寮の存廃問題を意識するようになったのは僅か数年前のことである。同志社大学人文社会科学研究所の共同研究会で同席した吉田寮在住の大学院生(中国からの留学生)から存廃問題が持ち上がっていることを聞き、これは何とかしなければならないと思ったのが最初だった。それ以降、同様の問題意識を持つ寮生たちと恒常的に接触するようになり、吉田寮の保存要望書を出した建築史関係の研究者とも意見交換することになった。その輪が京大公文書館に在籍していた教育史研究者にも広がり、吉田寮の意義を教育史と建築史の両面から裏付けることになった。さらに、都市計画の視点からも京都という街を形づくる歴史的資源として吉田寮を位置づける方向に視野が広がっていった。

 

こうした一連の理論武装を終えてから、いよいよ「21世紀に吉田寮を活かす元寮生の会」(2017年10月、現役寮生も一部参加)の結成に踏み切った。元寮生の会は、老壮青の3世代から構成されている世にも不思議な組織だ。第1世代は1950年代後半から60年代前半に卒寮した「舎友会世代」、第2世代は1980年代後半から90年代前半卒寮の「ポスト紛争世代」、第3世代は現役寮生の「21世紀世代」である。3世代の年齢差は各々30歳前後、つまりティーンエイジャーを含む現役寮生、50歳代半ばの中堅クラス、80歳以上のウルトラシニアが混在している3層組織なのである。

 

これで議論が噛み合うかというと、そこが面白いところだ。もともと私たちウルトラシニア世代は、今どきの寮生はこれまで受けてきた管理主義教育に反発する余り、それが正視にたえない自堕落なライフスタイルとしてあらわれている――と考えていた。ところが、目の前に現れた「21世紀世代」は意外にも礼儀正しく、実に「いい子」たちなのである(後で彼らが寮生の中では少数派であることがわかったが)。そんなことで、彼ら自身も今どきの寮生たちの中でのギャップに苦しみながらも私たちと行動を共にしていることを知って、元寮生たちは世代を超えた友好関係を結ぶようになった。そして、そこから生まれた多彩な発想が困難な吉田寮存廃問題を解決していく道を切り開くことになっていくのである。(つづく)