あとは野となれ山となれ!(福田辞任解散劇、その3)

 福田辞任解散劇もいよいよ「佳境」に入ってきたようだ。輸入汚染米事件は「規制緩和」の波に乗って底知れぬ広がりを見せているし、当初は「これは業者の責任だ」(農水省には責任はない)と平然と居直っていた農水次官も更迭された。また「ジタバタしない」と事態を座視していた太田大臣も、「責任は全面的に農水省にある」と謝罪し、ついに引責辞任するなった破目となった。テレビでの街頭インタビューを見ていたら、「ジタバタして辞めた」との秀逸なコメントが返ってきていた。国民の怒りがそれほど大きく広がっているということだろう。

 それにもまして、リーマン証券の破綻やAIG保険への公的資金の導入など、アメリカ発の世界金融不安は日に日に激化している。世界の中央銀行がそろってアメリカにドルを緊急補給しなければならないほど、事態は切迫しているのである。国際金融の専門家たちが現状を「世界恐慌への崖っ淵だ」と指摘しているのも、あながち誇張だとは言い切れない。

 ここにきてテレビトークショーでも、「こんな緊急事態に自民党の総裁選挙を(チンタラと)やっている場合か?」という発言がみられるようになった。実際、5人の候補者の政策論争をみていると、現在の世界情勢の激変に対応できる発言は何一つない。「何とかの一つ覚え」のように、ただ「霞が関をぶっ壊せ!」、「インド洋の給油を断固継続!」、「構造改革路線の継承!」、「財政再建の堅持!」と口々にいうばかりで、現在の国際危機に対する情勢分析や対策についてはほとんど語ることがないのである。「語りたくても語れない」程度の人物しか総裁選に出ていない、ということだろう。

 それにしても、私はこの総裁選を通しての「小泉神話」の劇的な崩壊ぶりに注目したい。一時は、小泉チルドレンが小泉元首相を本気で担ぎ出そうとしていたというし、また出馬しないまでも小泉氏が応援すれば、もうそれで総裁選挙には勝ったようなものだとも騒がれていた。ところが先日、小泉氏が女性候補に肩入れするとして「見せ場」をつくろうとしたが、大方のマスメディアはほとんど相手にしなかった。「いまさら小泉でもないだろう」という空気が、いまや世論空間には充満しているのである。

 この状況を目の当たりにして最も衝撃を受けたのは、他ならぬ小泉氏自身だったのではないか。3年前の熱狂的な「純チャンブーム」に比べて、今更の如く「平家物語」の「驕るものは久しからず」の一節を噛みしめたに相違ない。またそれとともに、小泉政権の司令塔だった経済財政諮問会議もひっそりと幕を閉じた。最後は「慰労会」程度で水を濁そうとしたらしいが、いくらなんでもそれでは「格好がつかない」とのことで、形ばかりの会議を演出しての幕引きだった。

 問題は、このように小泉神話が完全に崩壊したにもかかわらず、支配勢力の中で「ポスト小泉戦略」の方向性がまだ定まっていないことだ。総裁選に当選確実とされる某世襲議員は、首相選出直後のご祝儀相場の支持率を狙って解散・総選挙に踏み切りたいらしいが、事態はそう甘くはないだろう。社会保険庁の大掛かりな組織的操作によって年金が減らされるという事態が日に日に判明してきているし、総選挙直前の10月15日には、保険料や税金の天引きが一斉に行われる予定だというから、山口補欠選挙の二の舞が全国規模で再燃するとみるほうが自然なのである。

 またこの期に及んで、財界からの発言が少ないこともきわめて不自然に思える。経団連経済同友会の首脳部や事務局は、依然として「構造改革推進」の一本槍でしかない。これほど国民の不満が充満し、自民党に対する失望感が広まっても、「消費税を大幅に上げて法人税を減らせ」としかいわないのである。財界がこれほどの高姿勢を続けられるのは、おそらく彼らが現在の政局を「体制の危機」と認識していないことのあらわれだろう。「自民党がダメなら民主党があるさ」というのが、財界の率直な気持ちなのである。

でも民主党がたとえ総選挙で勝ったとしても、手のひらを返すように小泉構造改革路線を続けるわけにはいかないだろう。年金、雇用、医療、介護、物価などなど、国民生活の全てにわたって「もはや我慢が出来ない」ほどの分厚い矛盾が蓄積しているからである。福田辞任解散劇は、間違いなく「小泉神話」崩壊の引き金になり、延いては新自由主義国家体制の「終わりの始まり」を告げる契機となるだろう。

その勢いは、もはや誰も止めることができないほどの巨大なエネルギーに成長していくに違いない。自民党の後継総裁選挙や次期国会での政権争いなどは「コップの中の嵐」にすぎない。たとえ政界再編によって自公・民主の大連立政権あるいはその「ダミー政権」が誕生したとしても、福田辞任解散劇は、間違いなく国民が「自民党をぶっ壊す」引き金を引いたのである。(続く)