東日本大震災の復興対策は“長期継続型予算”を必要とする、(私たちは東日本大震災にいかに向き合うか、その2)

 この数日間、政府、東電そして政府筋に近い学者たちが、マスメディアを通して福島原発事故の楽観的評価や見通しを強調しているにもかかわらず、その後次々と明らかになってくる事態は日々深刻の度合いを深めている。その最たるものは、福島県や隣接する地域周辺の農産物が政府の放射能暫定規制値を超えて出荷停止となり、さらにはより一段厳しい摂取規制という措置が適用されて、関係する農産物が全て店頭から姿を消したことだ。

 くわえて、福島原発から250キロ以上も離れた東京都内の水道水からも放射性ヨウ素131が検出され、乳児の飲料水に使うことが制限(24日に一旦解除)されたことから、若い母親たちの間に大きな不安が広がっている。都内のスーパーやコンビニからミネラルウォーターがあっという間に無くなり、東京都は乳児を抱える家庭に対して飲料水24万本を配給することに踏み切った。
 
 一方、外電によれば、オーストリア気象当局は3月23日、福島第1原発の事故後3〜4日間に放出された放射性物質セシウム137の量は、旧ソ連チェルノブイリ原発事故後10日間の放出量の20〜50%に相当するとの試算を明らかにした。同当局は、包括的核実験禁止条約(CTBT)機構の暫定技術事務局が日本や米国、ロシアなどで集めたデータを基に試算したとしている。(共同通信3月24日)

 こんな不安なニュースに毎日曝されていると、多くの人がこの先どうなるかという底知れぬ恐怖感に襲われるのも無理はない。関西・西日本にいる私でさえもそうなのだから、被災した地域の方々はもとより東日本一帯の人々の気持ちはいかばかりだろう。どのような言葉で言い表せばよいのか、適切な言葉が見つからない。

 とはいえ、このところ新聞各紙は、東日本大震災の復興対策に関する記事を連日掲載しはじめた。被災者や被災企業、それに出荷停止を受けた農家などへの支援策や補償問題が政治的にも社会的にも急浮上しているからだ。原発事故という緊急事態への対策もままならないうちに、復興対策への準備を直ちに始めなければならないという非常事態がいままさに進行中なのである。

 私は前回の日記で、経団連や財界に対して現在すでに270兆円を超える巨額に達している企業利益剰余金(企業埋蔵金、内部保留金)の1割をとりあえず取り崩して復興基金に提供し、震災復興に対する企業の社会的責任を果たしてほしいと訴えた。そのときは理由を詳しく書く余裕がなかったので、今回は少し補足説明をして発言の責任を果たしたい。

 私の見るところ、阪神淡路大震災とは異なる東日本大震災の特徴や問題点は、(1)被災地域が超広域にわたること、(2)巨大津波で被災地が根こそぎ破壊されていること、(3)原発事故が重なって原発周辺地域の被災者や住民が強制的に退避させられていること、の3点である。そしてこのことはすべて、阪神淡路大震災と異なる独自の復興対策を要求している。

 すでに多くの関係者が明らかにしているように、第1の問題点である被災地域の「超広域化」は、救援活動の大幅な遅れを生じさせて被災者を過酷な状況に追い込んでいる。これは被災地域の空間規模が単に物理的に大きいというだけでなく、被災地域が行政的には東北・関東地方の各県にまたがり、それぞれの自治体(県)での指揮命令系統や対応対策が異なり混乱しているからだ。阪神淡路大震災の場合は、兵庫県と神戸市との間で意見の齟齬や確執はあったものの、一応は単独県の範囲内で対策が講じられ、隣接府県が支援するという形がとられた。

 この点に関して、政府は関東大震災時の「帝都復興院」と類似した組織の「復興庁」の創設を検討しているといわれる。それがどのような性格の組織になるか目下のところ不明だが、復興対策期間が後に述べるように「超長期化」する可能性が高いので、国と被災県相互間の連絡調整や復興支援策の協議を含めて何らかの広域的統括組織が必要となるだろう。もっとも、この期に乗じて道州制を一挙に実現しようとする「火事場泥棒」的な動きが出てくることに対しては「要注意」が必要ではあるが。

 第2は、巨大津波による壊滅的な被災地の復興をどうイメージするかということだ。これは地震が発生してから比較的早い時点のことだが、津波に襲われている生々しい現場の映像を前にして、某大学教授(地震学)が「このような惨状を防ぐには、安全な地域へ全員が引っ越すことも考えなければならない」といった趣旨の発言をした。

 このことは「防災」という観点からは一面の真理を突いているし、巨大津波の恐ろしさを目の当たりにしている瞬間だけに、それなりのリアリティを感じた人も多かったことだろう。でも「地域を離れる」ということは、それほど簡単なことではない。災害は「何十年に1回」「何百年に1回」かもしれないが、私たちは「毎日3回」食べていかなければならないのである。日々の生活を営むことと遊離した防災対策などあり得ないし、また現実的でもない。

 ダム建設の場合のように、場合によっては「挙家離村」といったこともあり得るが、それは小規模なポイント的な解決方法であって、今回のような沿岸部一帯にわたる広域的な被災地域を移転させることなどおよそ不可能だというべきだろう。インドネシアスマトラ津波災害では、被災した漁村集落を海岸から離れた「安全な地域」に移転させるという復興対策が試みられたことがあったが、それでは「仕事にならない」として漁民たちは元の場所に戻ったという経験もある。

 第3の原発事故の後遺症は、私たちがいまだかって経験したことのない深刻な問題だ。その悲劇は、はやくも被災者が行方不明になった自分の家族さえ探すことが許されないという悲惨な現実にあらわれている。このまま放射能が放出され続け、半径20キロから30キロあるいは数十キロにわたって被災地域が何十年にもわたって「居住禁止区域」になったとしたら、そこでの住民はいったいどうして生きていけばよいのか、想像もつかない。

 まして日本は、狭い国土で多くの住民が超密に住んでいる地域だ。数十万人もの被災者が移転する場所をいったいどこで見つけることができるのか、そんなことは不可能に決まっている。となると、いま同じ地域に住んでいる人々はチリジリバラバラとなってもいいから、どこか知人友人を頼って適当な場所に移住せよというのか。こんな非人道的なことを政府や東電が被災者に押し付けてよいのか。

 かってない難問、それはまさに「国難」といってよいが、これに立ち向かうには政府も財界も思い切った覚悟が必要だ。民主党マニフェストの変更や補正予算の編成など、そんな枝葉末節のことで済む話ではない。政府も財界も「救国の決意」で臨むのであれば、まず当面の復興資金として二十兆円相当の資金を確保し、次いで今後数十年にも及ぶかもしれない「長期復興予算」を組む準備を整えなければならない。そのためにも経団連・財界は、まず「一石を投じる」ことが求められている。