東日本大震災と阪神淡路大震災はどこが違うか、構造改革の被害を真正面に受けた東日本の被災地域、(私たちは東日本大震災にいかに向き合うか、その3)

 先週末の3月26日夜、神戸市のJR新長田駅前の会場で「阪神淡路まちづくり支援機構」の研究会があった。当初の予定では、支援機構メンバーによる中国四川省地震アメリカ・ニューオーリンズカトリーナ台風災害の復興調査をめぐって討論が行われるはずだったが、直前に東日本大震災が発生したこともあって、急遽、テーマが変更された。

阪神淡路まちづく支援機構(以下、支援機構という)は、1995年に発生した阪神淡路大震災の被災地復興を支援するため、震災の翌年、兵庫県や神戸市を中心にした弁護士会司法書士会、土地家屋調査士会税理士会建築士会、不動産鑑定士会など震災復興関連の専門家団体が一堂に会し、それに京阪神と東京の建築・住宅・都市計画・まちづくり研究者やコンサルタントが加わって結成された、わが国では類を見ない災害復興支援組織である。

 結成後すでに10数年を経過しているが、支援機構の日常活動は構成団体や事務局の使命観と熱意に支えられて、現在に至るも休むことなく継続されており、その活動の輪は東京・仙台・静岡などにも広がっている。すでに東京では弁護士会を中心にして同種の災害復興支援組織が発足しており、支援機構と合同でシンポジウムを開催するなど、相互の情報交換や連携協力も年々深まりつつある。

 この日は、兵庫県から先遣隊メンバーとして東北地方に派遣されたまちづくりNPOメンバーの被災状況報告や、菅政権の内閣官房参与のもとで復興支援体制を構築しているプランナーチームの活動メモなどが紹介され、それにもとづいて議論が行われた。議論の詳細は別の機会に譲るが、数時間に及ぶ意見交換の中でメンバー全体の共通認識となったのは、およそ以下の4点だった。

 第1は、今回の東日本大震災は、南北500キロ、東西200キロの「超広域」にわたる大災害であり、しかも地震津波原発事故などが重なった「複合災害」だということだ。それも東北・関東地方の地方都市とその周辺の中山間地域・漁村集落などが主な被災地であり、地域によって被災状況が全く異なることが際立った特徴となっている。例えば、巨大津波で漁港施設や隣接する集落・市街地が根こそぎ破壊された海岸部一帯と、遠く離れた山間地に位置しながら原発から放出された放射性物質によって土壌や農産物が汚染(被爆)されている山間部とでは、その被害状態も復興対策も全く異なることを認識しなければならない。

阪神淡路大震災のときは大都市地域の直下型地震による災害であったため、被災地域は阪神間の比較的狭い範囲の市街地に集中し、隣接する大阪・京都などは災害を免れた。このことが素早い救援体制の立ち上げを容易にし、かつ密集市街地に重点を絞った復興支援対策を講じることを可能にした。でも今回のような「超広域・分散・複合災害」の被災地域に対しては、それぞれの地域に応じた個別の復興対策が求められる以上、画一的な復興対策メニューでは対応できない。

第2は、原発事故(炉心溶融)というかって経験したことのない未曽有の深刻な災害に直面していることだ。すでに原発から半径30キロ以内の広大な地域が事実上の退避指示区域となり、被災住民はもとより役場や学校など公共施設さえが全面移転を強いられている。小規模な集落ならともかく、人口数千人から一万人を超える自治体の「丸ごと移転」が強行されているのである。

阪神淡路大震災のときも市役所や区役所、学校や病院が大きな損壊を受け、一時的に使用できなくなったことはあったが、全く別の場所に移転するようなことは考えられなかった。だが原発事故をともなう今回の災害は、今後、広大な地域が長期にわたって「居住禁止・立ち入り禁止区域」に指定されることも十分に予測される。住むことも農業・漁業・商業なども営むこともままならないという、憲法22条で保障された国民の基本的人権の「居住・移転・職業選択の自由」が否定されるという恐るべき事態が発生する。

第3は、被災自治体では役場・学校・病院など多くの公共施設が破壊され、公務労働・公共サービスに従事する公務員・教員・医師などが多数被災したことだ。しかもそのうちの少なくない人たちが死亡あるいは行方不明になっており、災害救援や復興対策のための人手が決定的に不足している。多くの被災自治体は、救援や復興の最前線に立たなければならない人材を失い、住民の生命と健康を守る最低の任務を果たすことができないような危機的状況に陥っている。

阪神淡路大震災のときは比較的人口規模の大きい都市自治体が多かっただけに、救援活動や復興対策にあたる公務員を何とかやりくりして対応した。しかし小泉構造改革以降、全国地方自治体では民営化政策にともなう公務員バッシングと定数削減が吹き荒れ、市町村合併による町役場・村役場や小中学校の統廃合などが強行されて、住民生活を支えるセイフティーネットがずたずたに断ち切られた。そこに襲ったのがこの東日本大震災である。公共インフラと公共サービスを失った地域社会がどれほど脆いものか、そこでの被災者の生活がどれほど惨めなものか、そのことを仮借ない事実をもって示したのが今回の東日本大震災だった。

第4は、今回の東日本大震災は日本経済がグローバル化の一途をたどり、東京一極集中のもとに「地方切り捨て」政策が強行されている最中の災害だったということだ。地方自治体とりわけ中山間地域や過疎地帯の自治体は、小泉構造改革によって容赦なく行財政基盤を奪われ、地域経済や地域産業はグローバル経済化のなかで後退に次ぐ後退を重ねている。地域社会は少子高齢化の進行によって活力を失い、高齢者比率が急上昇して要介護老人が急増している。

阪神淡路大震災の被災地域も、神戸市長田区のような高齢者や社会的弱者の集積地域では多大の被害を受け、現在に至るも復興はままならない。地域経済と地域社会は沈滞し、ますます深刻化の度合いを深めている。しかし今回の東日本大震災の被災地の経済社会状況はもっと深刻だ。仕事がなくては生活していけないし、住宅がなければ定住できない。でもそのための条件を整えるための自治体の能力が「地方切り捨て」政策のために制約され、復興対策も思うに任せない。

そして一方では、「構造改革で危機克服を」(日経コラム『十字路』3月29日)といったような「火事場泥棒」的主張がのさばる。こんな三重苦、四重苦のなかでいかに復興を支援するか、これから被災地や全国の支援機構とも連携しながら粘り強く考えていきたい。(つづく)