“ショックドクトリン計画”の遅れに苛立ち、東北各県の県・市町村復興計画を冒涜する寺島発言、河北新報はいかに復興を提言したか(7)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その33)

河北新報「自立的復興へ東北再生共同体を創設」に関する第5部シリーズの最終回は、宮城県震災復興会議の副議長を務めた寺島実郎氏(日本総研理事長)へのインタビュー記事だった。「アジア視野に広域構想急げ」と題する寺島氏の発言はまさに“ショックドクトリン計画”(災害便乗型資本主義計画)の推進者にふさわしいもので、“国家テクノクラート”(国家計画官僚)の威を借りた大胆な発言(暴言)のオンパレードだ。

寺島氏の言いたいことは、何よりも「現時点で東北の復興状況を見渡すと、進んだ部分と進んでいない部分があることに気付かされる。これも検討すべき順序を間違えた結果だ。県別、市町村別の復興計画は確かに出そろった。がれき処理、住宅移転、街並み再建などは少なくとも方向性が見えつつある。ところが、新潟県を含む東北ブロックの広域連携による復興デザインは何一つ描けていない。東北の広域連携を実現できるかどうかこそが震災復興の成否を分けるのではないだろうか」という一節に凝縮されている。

というのは、彼の復興計画論の順序(優先順位)は、被災者の生活再建や被災地のなりわいの再生を第一義に追求するのではなく、「最初に震災後の日本社会はどうあるべきかというグランドデザインを描き、そのために必要なプロジェクトは何か、そのために必要な財源をどう手当てするか」を考え、東北地方では「新潟県を含む東北ブロックの広域連携による復興デザイン」を描くことが最も優先すべき重要課題だと位置付けられているからだ。

つまり寺島氏にとっては、「東北の広域連携を実現できるかどうか」という一点こそが震災復興の成否を分けるリトマス試験紙なのであり、東北地方に「広域連携」という道州制導入の切っかけをつくることさえできれば、それで「東北の復興デザイン」は成功したものと見なされているのである。

しかし私には、これほど深刻かつ重大な復興問題を「復興のデザイン」などという軽々しい言葉で語ること自体、被災者や被災地、ひいては東北地方全体を冒涜しているとしか思われない。「デザイン=設計」という言葉は価値中立的であるが(私も建築学科出身)、そこから受ける印象はまるで「白地に線を引く=スケッチする」がごとき軽さと不快感を与える。寺島氏は何気なく言ったのであろうが、災害の記憶と日々の生活苦に向き合いながら苦闘している人たちに対して使うべき言葉ではあるまい。

もっとも寺島氏がこのような言葉を平気で使うのはそれなりの理由がある。寺島氏は、政府国土審議会のなかで広域ブロックの産業・都市の成長政策を検討する「広域自立・成長委員会」の委員長なのだ。つまり地域を常に「広域ブロック」(道州制の区域)の視点から鳥瞰図的に眺める習性がついているテクノクラートなのであり、「国土のグランドデザイン」を仕事にしている“計画のプロ”なのだ。

そんな寺島氏が、宮城県震災復興会議の副議長として語った興味深い言葉がある。「国の大きな復興計画に関する議論より(宮城では)挑戦すべきテーマがクリアに出ているので、宮城の計画が震災復旧のモデルになるのではないかと期待している」(河北新報、2011年5月11日)というものだ。このことは、寺島氏が宮城県の震災復興計画を国土形成計画の東北ブロック版、すなわち「東北圏広域地方計画」の突破口に位置づけていたことを示している。

しかし「天に唾する」というか、寺島氏は現状の事態を勘違いしている。宮城県では野村総研がシナリオを書き、寺島氏自身も振り付け役の一員になって日本には類をみない“ショックドクトリン型復興計画”をつくったのだ。そして実行役の村井知事が国の復興構想会議で大活躍し、その成果を東北地方で実現しようとして大奮闘してきたのである。にもかかわらず、宮城県型の復興計画コンセプトが東北地方で受け入れられなかったのはなぜか。

それは福島県岩手県は言うに及ばず、その他全ての東北各県で「東北ブロックの広域連携による復興デザイン」が拒否されたからに他ならない。原因は、東北各県の構想力が欠如しているからでも枯渇しているからでもない。寺島氏の信奉するような“ショックドクトリン型復興計画”が受け入れられなかっただけのことなのだ。

もともと復興計画というのは地道なものだ。全国市長会の総会決議(2012年6月6日)にもあるように、それは山積みの復旧復興課題をひとつずつ着実に解決していくための行程表とも言うべきものであって、そこに外科手術(臓器移植)的な「復興デザイン」など入り込む余地はない。にもかかわらず、大災害に乗じて財界のいう道州制導入の下地をつくろうとするところに無理があるのであり、村井知事が東北各県からそっぽ向かれるのはそのためだ。

東北各県において、「県別、市町村別の復興計画は確かに出そろった。がれき処理、住宅移転、街並み再建などは、少なくとも方向性が見えつつある」という状況は実に喜ばしいことだ。しかし、それを寺島氏が「順序、完全に逆」といい、「県別、市町村別でほそぼそとした復旧を続け、東北ブロックで成すべき復興をおざなりにしていると、やがて成果の見えない事態に人々がため息をつくことになるだろう」などと言い放つのは、もはや暴言を通り越した悪罵中傷以外の何物でもない。

寺島氏へのインタビュー記事は、「自立的復興へ東北再生共同体を創設」に関する第5部シリーズの最終回に位置づけられている。河北新報は第5部の結論として寺島発言を取り上げたのであろうが、批判的コメントも付けずに氏の発言をそのまま掲載したことは地方紙としての見識が疑われるし、結果として東北各県の市町村を傷つけたことは残念なことだ。次回は「東北再生共同体創設提言」の持つ意味を考えて、河北新報シリーズの締めとしたい。(つづく)