広域連合は“民主党政権崩壊”とともに機能不全に陥るだろう、河北新報はいかに復興を提言したか(8)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その34)

河北新報の第6部シリーズ、現在進行中の「提言・東北共同復興債による資金調達」が6月20日から始まってから間もなくのこと、「東方広域連携、議論空回り、権限、宮城に集中することに警戒」と題する別の記事が掲載された(6月23日)。

出だしが「東北6県の広域連携の未来図が見えない。新潟県を含む北海道東北知事会は8道県の実務者による検討会を設けているが、議論は空回り気味。全国各地で国の出先機関改革に伴う地方移管に向け連携機運が高まっているのとは対照的だ。東日本大震災の影響や知事間の足並みの乱れもあり、東北一体化の試みは停滞感すら漂っている」との、署名入り記事のことだ。

趣旨は「周回遅れ/道州制を警戒、二の足踏む」の記事(6月7日)とほぼ同じものだが、この記事の致命的な欠陥は全国情勢の読み方が決定的に間違っていることだろう。民主党政府が全国市町村の声に圧されて国の出先機関の地方移管に関する特例法案を閣議決定できず(6月15日)、関西広域連合でも奈良県の未加入のままでは地方移管が不可能なことが判明するなど、全国市長会や「地方を守る会」などの地方移管反対の声が日増しに高まっているこの時期に、「全国各地で国の出先機関改革に伴う地方移管に向け連携機運が高まっている」などと、まるで“逆様”のことを言うからだ。

尤も同記事がいうように、東北地方に関しては広域連携への動きは停滞状況どころか、いまや完全に「停止状態」にあるといってよい。原因は明白だ。第1は、村井知事が道州制に強い意欲を示すのに対して、他県知事の間では「広域連携の先には道州制が見えてくる。行政機関、権限が宮城に集中することへの警戒感」がますます高まっていること。第2は、「広域防災といった個別事業での連携はできても、広域連合体で国の業務まで背負い込む余力はない」からだ。村井知事も事業予算4千億円、職員3千人の東北地方整備局を「現状では整備局の移管を受ける状況にない」ことを認めざるを得ないではないか。

つまり、河北新報はこれまで「全国各地で国の出先機関改革に伴う地方移管に向け連携機運が高まっている」などの“外圧情報”を流して、「東北地方は広域連携のバスに乗り遅れるな」との空気を煽ってきたのだが、いよいよここに来て、「全国は連携機運、東北は停滞状況」といった(ニセ)情報を維持することが困難になってきたのである。事態を正確に言えば、出先機関の地方移管を機軸とする広域連合への動きは、いまや「全国も東北も停滞状況」に陥ってきたのである。

それでも同記事は、今年11月に開かれる北海道東北地方知事会議が「議論のヤマ場」になるとの希望的観測を依然として流し続けているが、こんな大甘の情勢分析は一体どこから出てくるのだろうか。目下、民主党は抜き差しならぬ分裂状態に陥り、11月になると民主党政権が果たして存続しているかどうかもわからない(むしろ崩壊している可能性が大きい)。このような状況が眼前に展開しているにもかかわらず、広域連携の「ヤマ場が11月」などと言うのだから、能天気なことおびただしい。

民主党野田政権は、消費税増税の1点のために「2009年民主党マニフェスト」の全てを投げ捨て、自民・公明両党に屈服した。当然のことながらマニフェストの1丁目1番地であった「地域主権改革」の公約も投げ捨てられ、その第一歩である国の出先機関の地方移管に関する特例法案も破棄されることが確実になった。また、たとえ民主党が大連立政権の一角として存続し得たとしても、自民・公明両党との「3党合意」が政権維持の前提である以上、「出先機関の地方移管は認めない」と決議している自民党の意向に逆らうことなどあり得ない。

民主党地域主権改革が崩壊すれば、「国の出先機関の地方移管」という“錦の御旗”を失った広域連合は機能不全に陥り、その先陣を切っていた関西広域連合も組織の空洞化も進むことになるだろう。まして、その切っ掛けさえも掴めない東北地方においては、広域連合(連携)の組織化など「夢のまた夢」に終わることは間違いない。

振り返ってみると、6県による自立的な復興をリードする広域行政組織である「東北再生共同体=東北再生機構」創設の提言は、被災者や被災地の要望に応えて提起されたものでなく、野村総研や増田顧問のアイデアにもとづいて打ち出されたところに、そもそもの「ボタンの掛け違い」があったというべきだろう。

「長期にわたる復興を支えるためには、資金調達のレベルから新たな仕組みの構築が求められる。東北6県による「東北共同復興債」を発行し、津波被災地や原発事故被害が続く福島を東北全体で支える意思を表明する。世界中から調達した再生資金を疲弊した被災地に行き渡らせる組織として「東北再生機構」の新設も必要だ」という主張は、一見自治体間の「支え合い」を促す人道的な提言のようにも聞こえるが、穿った見方をすれば、東電の原発事故責任を免罪して、東日本大震災の復興資金を「自助努力」でまかなうための仕組みの提案とも受け取れる。

このことがあながち杞憂でないことは、河北新報の提言のなかに「東京電力」の名が一度も登場しないこと、福島原発事故の責任追及や賠償責任に関する言及が一切ないこと、そして提言メンバーのなかに東北電力の元幹部が起用されていることなどからも傍証できる。また日本経団連の「地方分権改革シンポジウム−国出先機関の移管実現と地域の自立」(2012年5月7日)において、開会あいさつに立った畔柳経団連副会長の「各地域が成長戦略につぎ込む原資を生み出せるよう、地方分権行財政改革を断行することが重要。国出先機関の移管が地方分権の改革の突破口となることを期待する」と述べた点にも符合する。

つまり財界にとっては、「各地域が成長戦略につぎ込む原資を生み出せるよう、地方分権行財政改革を断行することが重要」なのであり、そのために道州制の導入や広域行政機構の設立が急がれているのであって、河北新報の一連の提言はこれらの意向を受けた「時宣に叶ったショックドクトリン的提案」だったと言えるのである。(つづく)