避難者の「足による投票」は無視できない、中間貯蔵施設の現地調査受け入れが復興計画に与える影響(4)、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その29)、震災1周年の東北地方を訪ねて(99)

これまでも度々言及してきたように、被曝を避けるための被災者の避難行動は、性別、年齢、幼い子供の有無、就業形態、放射能に関する知識・情報のレベル、経済能力などによって大きく左右される。国は汚染地域からの避難を当該地域住民に対して強制する以上、避難者の「居住・移転の自由」を保障しなければならない義務がある。しかし現実には、緊急避難に関する情報提供や行動指示はもとより、避難場所の確保や環境整備に関しても政府の対応は混乱を極めた。このことが避難指示を受けた自治体首長の判断が混乱する原因となり、思い思いの行動をとらせた背景になっている。

この点に関して言えば、井戸川町長が大量の避難者を受け入れてくれる埼玉県に避難場所を求めたことは何ら不思議ではないし、そこに役場機能を一時的に移したことも当然のことだった。だが問題は、それがどれだけの「スパン」(期間)の措置として考えられていたかということだろう。具体的に言えば、半年や1年といった「緊急措置」なのか、3年程度の「暫定措置」なのか、それとも長期にわたる「本格措置」なのかが、その時点では必ずしも明確ではなかった。否、明確に判断できる情報が提供されていなかったのである。

このことは、原発周辺地域の放射線量がもはや(早期には)帰還困難なレベルに達していることを知りながら、それをひた隠しにしてきた国に一義的責任があることは明白だ。政府や関係省庁、民主党プロジェクトチームなどは、すでに事故発生後から程なくして原発周辺地域を「ゴーストタウン」にして放射性廃棄物の最終処分場にすることを意図していたのであり、事実、環境省幹部が極秘に佐藤知事にそのことを申し入れている(佐藤知事は拒否)。

原発周辺自治体にとって、いつ帰還できるのか(あるいはいつまで帰還できないのか)ということは、自治体の存廃に関わる最大の関心事だ。だから放射能汚染に関する正確な実態が公開されず、また東電の被災補償が遅々として進まないなかで、井戸川町長が役場機能の県外移転を続けるか否かをめぐって判断に苦しんだことは間違いない。またそのことが、判断するに必要な放射能汚染に関する原則的な情報公開要求となり、東電の原発補償の履行を迫る厳しい発言になったことも理解できる。

とはいえ、私は役場機能の県外移転がこのまま続くことにはやはり限界があったと思う。というのは、前回の日記でも詳述したように、双葉町の住民は一時的に県外に緊急脱出したものの、時が経つにつれて県内に戻る傾向を深めているからであり、またそれが自然な姿でもあるからだ。時期的に言えば、県内避難者数が県外避難者数を上回った事故発生後1年あたり(2012年4月)が節目であり、この時点で井戸川町長が帰還意思を表明すればよかったと思うのである。

「足による投票」という言葉がある。これは住民が首長や議員を選挙で選ぶ時の「手による投票」に対比して造られた言葉であり、住民が自分にとって好ましいと考える地域・自治体を選択する(住居を定める)ことで、地方自治体間の切磋琢磨(競争)が促されるという意味だ。これは、住民による憲法第22条の「居住・移転の自由」の権利行使が自治体行政の改革を促進するとも受け取れ、被災者の避難場所の選択にあたっても同様の原理が働いていると見なすことができる。

原発事故による避難者は、これまで自分が住んできた地域を追い出されることで「居住・移転の自由」という基本的人権を蹂躙されたが、それを回復するためにいま必死の努力を続けているのであり、その結果が避難場所の移動という形であらわれているとも言える。とすれば、関東圏をはじめ全国に散らばった避難者に対しては、国が全責任を以て(チエルノブイリ法のように)「移住する権利」を保証すべきであり、福島県内に帰還を求める避難者に対しては、双葉町役場が可能な限りサポートしなければならない。

2013年1月現在、福島県内ではいわき市郡山市福島市白河市会津若松市の5市に避難者が集中しており、県内避難者の8割、県内・県外避難者合計の4割強が住んでいる。なかでも、いわき市郡山市の両市には県内避難者の6割弱、県内・県外避難者の3割(31.0%)が集中している。井戸川町長は、昨年10月、郡山市に支所を開設し、12月には2013年3月までに役場機能をいわき市に再移転することを表明した。だがそれにかかわらず、井戸川町長への批判が収まらなかったのはなぜか。(つづく)