「帰還は30年後」、井戸川町長発言は各方面に衝撃を与えた、中間貯蔵施設の現地調査受け入れが復興計画に与える影響(5)、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その30)、震災1周年の東北地方を訪ねて(100)

2013年1月4日、町の仕事始めの訓示で井戸川町長が「故郷への帰還目標を暫定的に30年後とする」と発言したことは、またたく間に全国ニュースとなって国中を駆け巡り、町民(避難者)はいうに及ばず政府・県当局や周辺自治体にも大きな波紋を広げた。各紙のなかで最もリアルにその内実をえぐった東京新聞特報部記事、「帰還は30年後、双葉町の井戸川克隆町長に聞く」(2013年1月17日)から、井戸川発言がどのような波紋(衝撃)を引き起こしたかをみよう。

井戸川発言を「無責任」「独善的」と批判する前町議たち(町議会は目下解散中)は、井戸川町長の「確たる根拠のない」発言が故郷への帰還をひたすら待ちわびる町民に動揺を与え、希望を奪ったと激しく非難する。また、まちづくり構想や生活再建の具体的な道筋も示さないで、「30年をどう過ごせというのか」と憤る。井戸川発言が唐突であり、それも意表を突いた内容であっただけに、前町議たちが驚いたのも無理はない。

だが問題は、それが「確たる根拠のない」発言と果たして言いきれるかどうかだ。井戸川町長は、数字の根拠は放射性セシウム137の半減期が約30年であることを理由に、「除染で少なくとも10年、下水道などインフラ整備や住居の建設に10年ずつ。現状では住めるまでに30年はかかる」との見解を示している。前町議たちが町長発言を批判するのであれば、もっと短い期間で故郷へ帰還できる可能性を自らも具体的に示さなければならない。

おそらく前町議らの苛立ちは、福島県内になかなか役場機能を戻そうとしない井戸川町長の態度に対して頂点に達していたのであろう。町長不信任決議の可決は何よりもそのあらわれだろうし、また町長が逆に町議会解散に打って出たことは対立にさらに拍車をかけることになった。そこに「帰還は30年後」という発言が加わったものだから、怒りが爆発したのである。

しかし冷静に考えてみれば、役場機能の県内再移転問題と「30年発言」問題は各々性格を異にする。前者は当面の課題であるのに対して、後者は長期的な課題なのだから、これをごっちゃにして非難するのは筋が通らない。問題を分けて議論しなければ、町政の混乱はさらに長引くことになる。

双葉町の復興問題は、短期・中期・長期の“三重構造”になっていると私は考えている。短期は役場機能の再移転問題、中期は「仮の町」建設問題、長期は故郷への帰還問題である。まず当面の課題としては、2013年3月末までに役場機能をいわき市の旧福島地方法務局勿来出張所跡地に再移転することがある。役場の本拠地をいわき市に移すのだから、いわき市との折衝はもとより埼玉県加須市の避難所(旧騎西高校)に残っている人たちの処遇をどうするかという難問を解決しなければならない。

だがより根本的な問題は、「いつ帰還できるか」という今後の長期的な見通しだろう。この見通しの長短によって、「仮の町」建設の性格も大きく変わることになるからだ。たとえば帰還時期が5年後、10年後といった相対的に短い期間であれば(それでも避難者にとっては耐えがたいであろうが)、「仮の町」は暫定的措置として考えることもできる。だが、もしこれが30年後、50年後とでもなれば、もはや「仮の町」という概念を大きく超えることになり、特別立法などによる本格的措置が必要になると思うからだ。

周知のごとく、原発事故で全住民が避難指示を受けた「警戒区域」「計画的避難区域」は、少なくとも5年間は帰れない「帰還困難区域」(年間線量50ミリシーベルト超)、ここ数年内に帰還をめざす「居住制限区域」(年間線量20ミリシーベルト超〜50ミリシーベルト以下)、早期に帰還をめざす「避難指示解除準備区域」(同20ミリシーベルト以下)に3区分され、2012年4月から各市町村で区域再編が順次実施されている。実施時期は4月1日が田村市川内村、同16日が南相馬市、7月17日が飯舘村、8月10日が楢葉町、12月10日が大熊町というものだ。またこの区域再編は政府の新賠償基準とリンクしており、区域再編をしなければ東電の賠償を受けられない仕組みになっている(事故から6年以上帰宅できない場合は全額賠償、それ以前の帰宅は賠償額に逓減率適用)。

中間貯蔵施設の候補地となった双葉町大熊町楢葉町の3町について言えば、この区域再編によって大熊町は「帰還困難区域」人口が全体の96%、1万561人を占めるという事実上の“無人地帯”となった。一方、楢葉町は全域が「避難指示解除準備区域」に再編され、立ち入りは解除されたが、まだ宿泊や居住は認められていない。しかし双葉町では、井戸川町長が「国は帰還の目安として年間被ばく量を20ミリシーベルト未満としているが、チェルノブイリ原発事故の5ミリシーベルトと比べても格段に高い。町は国際放射線防護委員会(ICRP)の示す1ミリシーベルトを目指したい」として区域再編を留保しており、現在も依然として「警戒区域」のままである。

しかしその一方、区域再編に当たって枝野経産相は、2012年4月22日の福島県双葉郡との協議会で、双葉町大熊町などでは10年後も空間の放射線量が年間20ミリシーベルトを超え、住民が帰還できない地域が残るという見通しをはっきり示している。具体的には、(1)5年後の2017年3月には、双葉町大熊町では100ミリシーベルトを超える地域が一部存在する、(2)同じく双葉町大熊町浪江町では50ミリシーベルトを超える地域が存在する、(3)10年後の2022年3月には、双葉町大熊町浪江町の50ミリシーベルトを超える地域は減るものの一部で残る、(4)同じくこの3町と富岡町の一部の地域では20ミリシーベルトを超え、住民が帰還することは困難な地域が残るというものだ。

また協議会の終了後、細野原発担当相は記者団に対し、「住民の皆さんにすべて帰還ありきではないという選択をしてもらう準備もしなければならない。ただ、帰還したいという住民もいるので、除染のモデル事業の結果をもとに、除染の計画について地元と相談したい」と駄目押しの発言をしている。つまり枝野・細野両大臣は、双葉町大熊町浪江町富岡町(一部)では10年後も基本的に“帰還不可能”であることを表明しているのであり、「帰還したい住民」に対しては「別途相談する」と言っているにすぎないのである。

しかし現実の「仮の町」構想は、この最も重要な「帰還不可能」という現実から目をそむけて進行しているのではないか。また避難住民もなるべくこのことを考えないようにしている。真剣に考えても展望は開けないのだから、むしろ考えない方が気が楽だというわけだ。そこでは「仮の町」で暫定的に暮していれば、そのうちに故郷へ帰る日がいつかやってくるという「虚構の世界」がまかりとおっているのである。こんな雰囲気のなかでの井戸川町長の「30年発言」は、町民はもとより関係当局の「虚構の世界」を震撼させるに十分だった。(つづく)