双葉町の県内・県外避難をめぐって対立が生じたのはなぜか、中間貯蔵施設の現地調査受け入れが復興計画に与える影響(3)、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その28)、震災1周年の東北地方を訪ねて(98)

双葉町の県外避難の是非を論じる前に、県外避難の実態をまず解明しなければならない。双葉町の避難状況に関するデータは原発立地自治体のなかでも最もよく整備されており、2011年は5月29日を皮切りに11月22日まで7回、2012年は1月6日から6月1日までは月1回の6回、7月2日から12月18日までは月2回の12回、幼稚園・小中学校児童生徒の避難先調査2回(9月1日、11月1日)、2013年は1月8日、合計して28回も公表されている(楢葉町は1回のみ)。

双葉町の避難は、役場機能が県外(埼玉県加須市)に移転したこともあってその後の県外避難者数・避難率の推移が注目されていた。これをほぼ半年ごとの時系列で比較すると、4513人・64.1%(2011年5月)→3694人・52.7%(同11月)→3459人・49.3%(2012年4月)→3343人・47.9%(同9月)→3250人・46.7%(2013年1月)と県外避難者数・率が次第に低下してきているのがよくわかる。そして県外と県内の避難者数・率が逆転するのは、原発事故発生からちょうど1年目に当たる2012年4月のことである。

また役場機能が埼玉県加須市に置かれたことから、埼玉県に県外避難者が集中しているかというと必ずしもそうではない。避難者の都道府県別データがわかる2011年11月時点から現在に至る推移をみると、埼玉県避難者数・率の全体に占める割合は、1366人・19.5%(2011年11月)→1225人・17.5%(2012年4月)→1160人・16.6%(同9月)→1086人・15.6%(2013年1月)となって、全体の1/5から1/6程度の比重を占めるにすぎない。

これに対して、埼玉県を除く関東圏の占める避難者数・率は、1494人・21.3%(2011年11月)→1439人・20.5%(2012年4月)→1397人・20.0%(同9月)→1411人・20.3%(2013年1月)とほぼ1/5の割合を維持している。つまり埼玉県への役場移転は、そこを起点とする避難者の関東圏全体への広域避難のステップになったのである。

一方、県内避難者数・率は、2527人・35.9%(2011年5月)→3319人・47.3%(同11月)→3551人・50.7%(2012年4月)→3629人・52.1%(同9月)→3704人・53.3%(2013年1月)と着実に増えてきている。つまり時間の経過とともに避難者が県外から県内へ還流しているのであり、この流れは強まることはあっても弱まることはないだろう。

それでは、福島県内に避難している被災者はいったいどこに住んでいるのか。避難者の市町村別データが最初に明かになったのは、原発事故発生から8カ月余り経った2011年11月のことだ。2011年11月22日現在、県内避難者3319人は圧倒的に市部に集中しており、いわき市1030人、郡山市635人、福島市459人、白河市259人、会津若松市151人、計2534人とい内訳になっている。5市の避難者数は、県内避難者数の3/4(76.3%)、全体(県内・県外避難者数の合計)の1/3強(36.1%)を占めていたのである。

この傾向は、その後も変わらないで現在に至るまで継続している。上記5市の避難者数、県内避難者に占める比率および全体(県内・県外避難者数の合計)に占める比率の推移をみると、2534人・76.3%・36.1%(2011年11月)→2780人・78.3%・39.7%(2012年4月)→2912人・80.2%・41.8%(同9月)→2995人・80.9%・43.1%(2013年1月)と着実に増加してきている。つまり県内避難者の8割、県内・県外避難者の4割強が上記5市に住んでいるわけだ。

なかでもいわき市郡山市の占める比重が大きく、いわき市1030人・郡山市635人・両市計1665人(2011年11月)→1425人・734人・2159人(2013年1月)となり、1年余りで30%の増加となっている。両市には2013年1月現在、県内避難者の6割弱(56.8%)、県内・県外避難者の3割(31.0%)が集中していることになる。

一般的に言って、住民がどこに居所を定めるかは、憲法第22条(居住・移転・職業選択の自由、外国移住・国籍離脱の自由)で保障された国民の基本的人権であり、「何人も公共の福祉に反しない限り、居住・移転・職業選択の自由を有する」と規定されている。したがって、井戸川町長が町民の被曝を懸念して埼玉県に役場機能を移し、多くの町民(2/3)が町長と避難を共にしたことは「居住の自由」を行使した当然の権利であった。

と同時に、1/3の町民が県内に残ることを選択したことも「居住の自由」を守る行動の一環である以上、両者の基本的人権はともに尊重され、国は県内・県外の避難を問わず等しく「居住の自由」を保障するための緊急対策をとることが求められていた。にもかかわらず、井戸川町長の決断に対して県や周辺自治体との間で意見の食い違いが生まれ、それが対立関係にまで発展したのなぜか。(つづく)