ポスト参院選の3年間にいかなる政治情勢が展開するか、「左派」と「中道リベラル」の連携以外に対抗軸はない(その1)、改憲勢力に如何に立ち向かうか(18)

 2013年夏の参院選が終わった。自民・維新・みんなの改憲右派勢力の議席が3分の2に届かなかったので、安倍政権の改憲策動のペースが落ちたような報道がされているが、私はそうは思わない。公明党が疑いもなく改憲勢力の一翼である以上、上記3党に公明党を加えると改憲勢力はすでに3分の2を超えたのであり、改憲発議が何時出されてもおかしくない状況が生まれたと解すべきだ。安倍政権が「黄金の3年間」と位置づける2016年までの3年間にいかなる政治情勢が展開するのか、以下、簡単な素描を試みてみたい。

 今回の参院選の一大特徴は、改憲勢力が3分の2を占めた煽りを食って、護憲勢力の一部である「中道リベラル(左派)」(社民・生活・みどり)が壊滅に近い惨敗を喫したことだ。みどりの風は政党要件を失って解散し、文字通り「一陣の風」となって消えた。生活は議席ゼロとなり、今後どこかの党に吸収されるか、それとも次の総選挙で得票率が2%を割って消えるかのどちらかだろう。本来ならば小沢代表が責任をとって辞任すべきだが、彼の辞書にはそんな文字がない以上、次の総選挙で生活と共に消える他はない。

 社民党は辛うじて1議席を確保したものの、退潮が止まらない。もはや「風前の灯」といったところだ。福島党首が責任をとって辞任したというが、評判の悪い又市幹事長が次期党首になれば、次の総選挙では有権者からそっぽ向かれて一段と落ち込み、政党要件を失うことは確実だろう。これで日本の政治空間からは、「中道リベラル(左派)」の火が消えることになり、日本の戦後政治の「55年体制」の残滓が名実ともになくなることになる。

 日本の政界において「中道リベラル」が存在できない理由は、それを支える経済社会基盤がきわめて薄いためだ。財界(グローバル資本)の支配力があまりにも強く、連合など大企業労組がそれに従属した存在でしかないため、民主党が「中道もどき」のスタンスしか取れないからだ。民主党自動車総連に圧されてTPP推進を掲げ、電力総連の意向に従って原発再稼働を強行するなど、その姿勢は自民党と何ら変わることがない。民主党の体質である「中道もどき」の化けの皮が剥がれ、それとともに「中道リベラル」までが国民の信頼を失ったのである。

 これに対して、「左派」の共産党が一定の存在感を示したことが注目される。「自共対決」の旗印を鮮明にして戦い、「躍進」とまではいかないが健闘して議席数を一定程度回復させた。共産党自身は「共産党躍進“第3の波”」などと言って鼻息荒いが、しかし左派を支える政治基盤は必ずしも大きくないことに注意する必要がある。共産党民主党批判の無党派層を一部取り込んだものの、「中道リベラル」の支持層を固め切っていない。「中道リベラル」支持層が棄権したことで投票率が低下し、組織票の固い「左派」が辛うじて議席を回復させたというのが共産回復の実態だろう。

 このような選挙結果を見れば、向こう3年間は、改憲右派勢力の天下のもとで民主党はその相当部分を改憲勢力に吸収されて「残りかす」となり、また「中道リベラル」はほぼ壊滅していて「何もできない」という政治情勢が浮かび上がってくる。(希望的観測は別にして)リアルな認識からすれば、共産党が「自共対決」を旗印にして頑張っても独自で情勢を大きく変えることはできず、改憲に関して言えば、改憲勢力が着々と包囲網を狭めてくる状況が予想される。

 この事態に対応する戦略・対抗軸とはいったい何か。私は「左派」が「中道リベラル」と連携する以外に、この包囲網から脱出する方法はないと思う。換言すれば、消えかかっている社民・生活・民主護憲派などと共産が共同戦線を組み、無党派層を引き付けて護憲勢力を再構築し、改憲勢力と対置する以外に対抗軸がないと思うである。この共同戦線はまた、消費税増税反対、原発再稼働反対、TPP締結反対などの国政を左右する政治課題に発展する可能性も秘めている。

 なぜ、私がかくも「自共対決」(だけ)でなく「中道リベラル」との連携を重視するのか。それはこのままでいけば安倍政権はますます右傾化の度合いを強め、改憲を契機に一気にファシズム化する危険性があるからだ。ナチスファシズム政権を樹立したのは中間層を掌握したからであり、中間層の動向こそが日本のファシズム化のカギを握っていると考えるからだ。

 消費税増税反対、原発再稼働反対、TPP締結反対などの国政を左右する政治課題は、いずれも中間層の生活利害に直結する問題だ。しかし、それが単なる個別政策の反対運動の範囲にとどまる場合は、広範な中間層が支持する体制変革運動には発展しない。これらの課題解決がいずれも「国のかたち」を決定する重要な政治課題であり、しかもそれらが立憲主義を旨とする憲法体制に支えられていることを明確にしなければ多くの中間層を護憲運動に結集することができないと思うのである。

 「9条の会」はもとより新しい「96条の会」がかくなる重大な使命を担っている以上、護憲運動のデザインはこれら中間層ひいては国民全体を結集できるような体制に発展できるよう注意深く設計しなければならない。次回以降はこの問題を中心にして考えたい。なお参院選の分析については、同人ブログ『リベラル21』および月刊誌『ねっとわーく京都』(2013年8月3日発売)の拙稿を参照されたい。(つづく)