「龍谷大学9条の会」、「憲法9条京都の会」に参加して考えたこと、「左派」と「中道リベラル」の連携以外に改憲勢力への対抗軸はない(その2)、改憲勢力に如何に立ち向かうか(19)

 7月25日夜の「龍谷大学9条の会」は盛会だった。9条の会事務局長の小森陽一氏(東大教授)の講演会に、学長・副学長をはじめ多数の教職員や学生・院生が参加し、大学周辺の地域住民の方々も数多く参加された。また講演会終了後、小森氏を含めて交流会が持たれ、会場では質問しづらい意見交換も積極的に行われた。私自身の個人的関心は、小森氏も発起人のひとりとして発足した「96条の会」がこれからどのような運動を展開するのか、それに対して「9条の会」がどのような方針で連携していくかを知ることだった。交流会(懇親会)という席上の制約もあって必ずしも小森氏の見解を正確に把握できたとは言えないが、それでも何となくニュアンスが感じ取れたことは収穫だった。

 それによると、(1)9条の会と96条の会は緩やかな連携関係にあること、(2)9条の会が憲法9条に謳われた恒久平和原理を草の根型運動によって国民の間に定着させようとする護憲組織であるのに対して、96条の会は立憲主義にもとづく憲法理念を国民の間に広げようとする学者・法律家中心の学習運動組織であること、(3)しかし具体的な両者の連携方針のすり合わせはまだできていないこと、などが読み取れた。

 9条の会はいわば各地域の勝手連組織だから、東京は東京、京都は京都で具体的な運動方針を決めることになっている。そこで小森氏の見解については消化不良のまま、7月27日の「憲法9条京都の会」の世話人会の席上で同様の疑問を提起することにした。当日の世話人会は世話人と事務局の合同会議の形式をとり、宗教者(新宗大谷派、日本キリスト教修験宗など)、各分野の研究者、弁護士、非核の会、マスメディア関係者、遺族会など京都らしい多彩な出席者の間で活発な議論が行われた。

 議論の第1は、9条の会と96条の会はそもそも異なった次元の護憲運動であって、これらを単純につなげると言った発想は「よろしくないのではないか」というものだった。これは小森氏の見解とも相似しており、護憲運動にも多様な形態があることを確認する上での重要な議論の分かれ目になった。つまり9条の会、96条の会が生まれてきた背景やその担い手の違いをよく考え、それぞれの独自性を生かした護憲運動を展開するほうがよいのではないかとの趣旨である。

 第2は、9条の会と96条の会の関係を「組織レベル」で考えるよりは、まずは「個人レベル」で考えた方がよいのではないかというものだった。9条の会メンバーが96条の会の趣旨に賛同するのであれば、「個人」として96条の会の賛同者になればよいのであって、いきなり「組織 vs 組織」の問題を考えるのは早計過ぎるとの意見である。京都からはすでに多くの9条の会メンバーが96条の会に参加しており、現実の姿はそのようになっているではないかとの意見だ。

 第3は、96条の会が学者・専門家中心の運動組織であったとしても、目的は96条の改憲阻止であり、具体的には国民投票改憲案を否決することにある以上、もし国民投票が実施されるような場合には、連携して改憲阻止運動に立ち上がらなくてはならないとの意見が多かった。また、情勢に応じて交流し、互いの護憲運動の「幅」を広げることの必要性も強調された。

 これら一連の(成熟した)議論は、これまでの私の認識の狭さ(そして急進的傾向)を克服する上で大いに参考になった。結論的に言えば、9条の会と96条の会を複線的にとらえ、必要な場面では交流すればよいというイメージが浮かび上がってくる。改憲阻止という目標を共有して緩やかに連携しながら、9条と96条という路線を並行して走り、時折ドッキングして交流を深めるという形態である。これは小森氏の見解に近い。

 なお、これらの議論から派生した課題として、9条の会も96条問題を議論する必要があること、護憲運動と政治運動の関係を考える時期に来たことなど、新しい問題意識が鮮明になったことも収穫だった。憲法9条京都の会では、結成5周年を記念して「コミュニティ放送局=三条ラジオカフェ」での番組参加を企画しており、近く3分間の放送を開始するという。安倍政権の改憲策動が日に日に強まってきていることへの新しい対応だ。

 最後に、世話人の一人である日本キリスト教婦人矯風会京都部会代表の老婦人がポツリと発言された。「96条の問題に取り組まなければ、9条の会は消滅すると私は思います」。(つづく)