市長選挙はたったひとりの首長を選ぶ選挙である。多数の議員を選ぶ政党選挙とは根本的に違う。自党候補を単独で当選させるだけの勢力を有する場合は、党の政策を前面に立てて戦うことができる。しかしそれだけの力がない場合は、政策的に妥協して他党との共同推薦あるいは自主的支援に踏み切るか、負けを承知で“大義名分選挙”をするか、どちらかの政治判断を迫られる。
この点で対照的なのが、大阪の共産党と神戸の共産党だ。大阪の共産党は、前回の大阪市長選では橋下維新に対抗するため、これまで野党として批判し続けてきた現職候補を自主的に支援するという「離れ業」に踏み切った。それも選挙戦半ばで自前候補を降ろしての決定だ。この大胆な政治決断は、大阪の共産党がどれほど橋下維新の危険性を認識しているかを示して余りあるといえよう。
今回の堺市長選においても、大阪の共産党は「反維新=反大阪都構想」を掲げる現職候補を自主的に支援する方針を明確に打ち出した。これは、堺市における現在の力関係の中で、もし共産が独自候補を擁立して市長選を戦うことになると維新候補が当選する確率が飛躍的に高まり、共産は事実上維新の当選に手を貸すことになるからだ。だから、大阪の共産党は日頃は敵対関係にある自民・民主とも(事実上の)手を組み、過去の行きがかりを捨てて現職候補の支援に踏み切ったのであろう。
だが、神戸の共産党はこんな芸当ができない。下品な言葉でいえば、「ケツの穴が小さい」のだ。首長選挙と政党選挙との区別もつかず、百年一日の如く「独自選挙」を繰り返しているだけだ。前回も今回もそうだが、これでは神戸市政の改革など「夢のまた夢」に終るだろう。前回の神戸市長選については、4年前の本ブログの「神戸市長選座談会」で詳しく書いたので参照してほしいが、それに比べると今回の堺市長選における布陣はいかにも斬新な姿に映る。同じ政党とはいえ、大阪の共産党と神戸の共産党の余りの力量の差に驚く他はない。
【再録】緊張に満ちた堺市長選の情勢分析と決意、「悲観も楽観もしていない。ただ全力で戦うだけ」、堺市長選は“天下分け目の大決戦”になる(その1)〜関西から(112)〜
前々回、前回のブログで、堺市長選は現職(反維新候補)があたかも「楽勝」するかのような希望的観測を書いた。だが、いつも拙稿に辛口のコメントを寄せていただく「バッジ」氏と「旅マン」氏による賛否両様の指摘を受けて少々考え直してみることにした。私の情勢分析が果たして地元で通用するのかどうか、最前線で橋下維新と闘っている堺市職労の幹部に直接会って確かめてみたのである。だがその結果は「五分五分」というもので、決して楽観を許さないものであることが分かった。
堺市役所を訪れたのは8月8日の午後、その2日前には維新の出馬要請を受けた大阪の民放アナが出馬を断り、維新候補の擁立が難航しているとの報道が流れた直後のことだ。ところが、市職労との懇談の最中に「維新が自前候補(堺市議)を検討中」とのニュースが入り、帰途で買った毎日・朝日夕刊もその旨を伝えていた。情勢が時時刻刻と変化していることを実感した1日だった。
結論から言うと、堺市職労の市長選に関する情勢認識は「悲観も楽観もしていない五分五分、ただ全力で戦うだけだ」、しかし「選挙戦は“天下分け目”の大決戦になる」という緊張に満ちたものだった。今回の市長選においては、堺市職労が加盟する「大阪都構想から堺市を守る自由と自治・堺の会」(以下「自治・堺の会」という)は独自候補の擁立を見送る方針だという。竹山市長の政策を全面的に支持するわけではないが、維新の「大阪都構想」に対して反対の立場を堅持する限り、竹山市長を自主的に(勝手に)応援して戦うというのである。
この選挙構図は、先の大阪市長選ですでに選挙戦に突入していたにもかかわらず共産党が自前候補を降ろすという決断に踏み切り、橋下候補に対抗する現職候補を自主的に応援した政治状況に酷似している。大阪の共産党は自立心の高い度量の大きい政党なのだろう。「政策が一致しなければ選挙協力しない」などといった“ケツの穴の小さい”ことは言わない。橋下維新という極右集団に対抗する、堺という伝統ある自治都市を解体する「大阪都構想」に反対するという“大義”さえ一致すれば、後のことは少々目をつぶって誰とでも一緒に戦うというのである。
この点で対照的なのは、この前の神戸市長選だ。神戸市政は戦後一貫して助役が市長に成り上がり(助役出身者以外に市長になった人物はいない)、当局・議会・市労連が三位一体の強固な「市役所一家」(利益共同体)を形成している全国でも比類のないお手盛り自治体だ。先の神戸市長選はこの「市役所一家」体制の是非をめぐって争われ、「市政刷新」を掲げて民間から市民候補が立った。
しかし、そこに割って入ったのが神戸の共産党だった。共産党は市民候補との“政策の違い”を強調してわざわざ独自候補を擁立し、組織票を動員して「反市役所票(反現職票)」を分裂させた。選挙結果にあらわれた民意の所在は明らかだった。万全の選挙体制を敷いた現職候補と一介の市民候補との票差は僅か数千票しかなく、もし共産党が独自候補を立てなければ(得票数は僅か数万票)、神戸市政は新しい市長を迎えるはずだったのである。その後(それまでも)現職候補を実質的に応援した共産党が「市役所一家」の一員(いわゆる第五列)とみなされ、市民の信頼を大きく失ったことはいうまでもない。
首長選はただ一人しか勝利できない。政策の違いにこだわって候補者が乱立すれば、勝つ選挙も勝てないことは目に見えている。「敵の敵は味方」といった大胆な選挙情勢の読みがなければ、首長選挙は形式的な政党宣伝の場に堕してしまう。首長選挙と議員選挙(政党選挙)の区別もできず、「よりましな首長」を選出する努力をすることもなく、選挙がある度にただ形式的な立候補を繰り返すだけでは、政党の存在が市民に認められるはずがない。政治の劣化現象は、体制側にも非体制側にも同時進行しているのである。
話を元に戻そう。「自治・堺の会」の選挙方針はすでに述べた。しかし「勝手連」のような形で選挙運動をするのだから、自前候補を擁立して戦う場合とすこぶる様子が違う。現職の竹山市長を側面から支持する形なので、竹山陣営の中核となる自民党の動きなども正確に掴めない、いわば「遊軍」のような存在なのだ。このように通常の市長選とは異なる戦法が要求される今回の堺市長選をいったいどのように戦うのか、そして“天下分け目の決戦”にどう勝利するのか。
この点については詳しい意見を聞く時間がなかった。また「自治・堺の会」の方でも戦略・戦術を十分に練っている様子がみられなかった。無理もない。維新側の候補がなかなか決まらないので、これまでは作戦の立てようがなかったからだ。しかし確実に言えることは、この市長選はいかなる維新候補が立ったとしても、実質的には「橋下代理戦争」になるということだ。共同代表として全国を回らなければならなかった参院選とは異なり、橋下氏は自分の政治生命を懸けて集中的に堺市長選に臨んでくるだろう。維新に所属する大阪の地方議員もすべて投入されるだろう。その意味で堺市長選は文字通り橋下維新との真正面からの政治決戦となり、「大阪都構想」ひいては日本の道州制の帰趨にかかわる国政並みの選挙戦となるのである。(つづく)