“根拠なき楽観”が支配する竹山陣営、寄せ集め集団に「落とし穴」はないか、堺市長選の分析(その3)、改憲勢力に如何に立ち向かうか(33)

 橋下維新が政党の存亡をかけ、総力(必死)で堺市長選に臨んできているのに対して、現職側の竹山陣営の体制はいったいどうなっているのか。どうもよくわからない点が多いので、8月下旬に旧知のジャーナリストと一緒に竹山陣営の関係者に直接話を聞いてみることにした。竹山市長と平田市議会議長がその対象だ。

 両氏との会見の印象を一言でいうと、“根拠なき楽観”が支配しているような気がしてならないということだ。橋下維新がタウンミーティング方式で新しい選挙活動を展開しようとしているにもかかわらず、それに対応する選挙戦術が十分に練られていない。また選挙情勢全般に関しての認識が甘く、必要な危機感も見られない。いままで通りの“勘と経験”(いわゆる田舎選挙)でやれると過信しているかのようだ。

 竹山陣営の最大の弱点は、全国視点から情勢分析が非常に弱く、堺市長選をもっぱら地方視点からみていることにある。堺市長選の持つ全国的な政治的意義(維新の存亡が懸かる政治決戦)を十分に理解できず、通常の首長選挙と同じように考えているらしい。首相官邸自民党本部が今後どのような政治的判断を下すかの予測も付かず、またその場合の対策を事前に考えているようにも思われない。本心かどうかは別にして、「絶対に勝たなければ」との政治的確信が感じられないのである。

 「反維新・反大阪都構想」を掲げる竹山陣営の選対は、自民党大阪府連と堺市議会の自民会派および民主党を中心とする「ソレイユ堺」(市議会会派)から構成されている(竹山市長を勝手連的に支援する共産党は選対に入っていない)。情勢分析や選挙活動は自民中心に進められ、“勘と経験”にもとづく従来型の地方首長選(いわゆる田舎選挙)が展開されているというわけだ。そして勘と経験にもとづく楽観論の根底には大きく言って3つの要因がある。

 第1は、竹山陣営の楽観論の底流に、現職が逸早く立候補を表明して有名人とのツーショットのポスターを市内に張りめぐらし、ここ数カ月間、「朝立ち」「駅立ち」「お出かけタウンミーティング」などの選挙活動を百回以上もやってきたという強い自負心が流れていることだ。この自負心は、維新側候補の擁立が遅れたことで一層強くなり、いまや「維新など恐るに足らず」と言った過信にまで昇華している。だが候補者演説と応援演説の組み合わせと言った従来型の(陳腐な)選挙活動で以て、橋下維新との激しい選挙戦を果たして乗り切れるだろうか。橋下維新が大阪ダブル選挙で見せた、あの凄まじいばかりの宣伝戦に対抗できるだろうか。

 第2に、橋下維新の政策の要である大阪都構想に(これまでは)具体性がなく、とりわけ政令都市に昇格したばかりの堺市民にとってはアピール力がないと考えてきたことも竹山陣営に安心感を与えているようだ。そのことが「堺はひとつ!」「堺を無くすな!」とのスローガンのもとで地道な政策を訴え続ければ、有権者の支持を得ることができるとの自信につながっている。だが、橋下維新のタウンミーティングで打ち出された「堺の衰退を大阪都構想で打開する」という新しいスローガンに対抗するには、これまでの政策ストックだけでは不十分だ。選挙政策は情勢に応じて日々発展するものであり、いままでのビラやパンフを百日一日の如く撒いているだけでは必ずや足をすくわれる。

 第3に、勝敗の帰趨を握る公明党の動きに対しての警戒感が薄く、(水面下での動きは別にして)十分な対策が見られないことだ。竹山陣営では、公明が「自主投票」を表明したことを以て(組織的な投票動員が利かないので)、「票が割れる」と楽観視している。たとえ維新と公明の裏取引があったところで、維新側に流れるのはせいぜい学会員票(2〜3万)であり、周辺の「フレンド票」(3〜4万)は福祉施策を打ち出すことで竹山陣営が獲得できるなどと手前勝手に踏んでいる。

 だが、この見方は極めて甘い(幼稚だ)。堺市長選に橋下維新の政治生命が懸かっており、橋下・松井両氏は「絶対に負けられない選挙」だと位置づけて臨んできている以上、その要は公明党対策であり、いかなる“裏取引”をしても公明党を取り込むための対策を講じるはずだ。また“裏取引”は公明党の最も得意とするところであり、投票日直前になって形勢が一挙に逆転しないとも限らない(各地の首長選挙での例は事欠かない)。たとえば、前回の市長選で葬られた「LRT構想」(美原まで延伸)を復活させることで公明大幹部の北側氏(元国交相、現在は太田氏)を取り込むとか、「LRT構想」を大規模な公共(利権)事業に仕立て上げることでゼネコンから選挙資金を調達するとか、「LRT構想」の復活で木原グループを引き寄せるとか、といった類の工作である。(つづく)