堺市長選の投票率はなぜこれほどまでに低いのか、堺市の構造的弱点である市民の“自立的関心”を高めない限り、橋下維新の“奇襲攻撃”に対抗できない、堺市長選の分析(その4)、改憲勢力に如何に立ち向かうか(34)

 竹山陣営は、自民(旧保守)と民主(旧民社系労組)の「寄せ集め集団」である。両者はいずれもそれぞれ固有の選挙地盤を持っている。自民は、町内会を軸とした地域諸団体(女性会、老人会、民生委員会、体育振興会など)および各種業界団体(医師会、商工会、農協など)を束ね、保守系有力者を中心に票集め・票固め活動を行うのが慣例になっている。民主は、傘下の支持労組を通して投票動員をかけ、労組役員がオルグ活動に専念して集票目標を達成する仕組みだ。

 いずれも長年にわたる手慣れた選挙活動であるから、保守系有力者や労組役員の手元には分厚い「選挙マニュアル」が蓄積されている。どこをどうすれば「何票ぐらい出てくる」かが“勘と経験”でわかるというのである。竹山陣営は、こんなベテランたちが選対本部を取り仕切っており、自民・民主の各市議がそれぞれの割り当て目標を積み上げ、当選ラインに近づけるべく頑張っているわけだ。

 しかし、これまで市長選に対する市民の関心はそれほど高くなかった(むしろ驚くほど低い)。平成に入ってからの20数年来の各種選挙の投票率と比較してみると、衆参両院の国政選挙は55〜65%、大阪府知事・府会議員選挙は40〜50%、堺市議会議員選挙は40〜50%なのに対して、堺市長選挙は過去6回のうち5回までが30%台(有権者3人のうち1人しか投票しない)という目を覆うばかりの惨状だ。そして40%を超えたのはたった1回だけ、竹山氏が橋下知事(当時)の応援を受けて立候補した前回(2009年)市長選の43.9%である。

 過去5回の市長選投票総数は20〜24万票、平均21万8千票である。前回は29万5千票だから、“一大事変”が持ち上がったというわけだ。それでも有権者の半数にも及ばない。それほど堺市民の市長選への関心は冷え切っていたのである。60数万市民(有権者)のうち10数万票(5分の1余り)を獲得すれば市長に当選できるのだから、こんな低投票率の下では保守系有力者や労組役員の手元の「選挙マニュアル」が物を言うのである。

 市民生活にとって最も身近な(はずの)市長選の投票率がなぜこれほどまでに低いのか(一番低い)。原因は2つある。第1は、従来の堺市政が市民の関心を引き付けるに値しない(魅力がない)市政であったことだ。市長と市議会との間にいわゆる「オール与党」のもとでの慣れ合い政治が蔓延し、「投票しても無駄」、「選挙に行っても何も変わらない」との市民イメージを払拭できなかったのである。

 しかしより本質的な問題は、堺市大阪市に従属することで、“自立的なまちづくり”に失敗してきたことだ。堺市は歴史的に伝統ある大都市でありながら、「大阪大都市圏」のなかに包摂されてアイデンティティ(独自性)を失い、大阪市の「衛星都市」としての位置から脱皮することができなかった。白砂青松の浜寺海岸は、無残にも公害をまき散らす「堺・泉北臨海コンビナート」で壊滅させられた。大阪市郊外のベッドタウンとして巨大な「泉北ニュータウン」が周辺のまちづくりとは無関係に造成された。堺市の都心「堺東」は独自の文化中心を形成できず、大阪難波の出店レベルの商店街と化した。

 国勢調査によると、堺市から大阪市へ通勤・通学する15歳以上人口の割合は25%に達している。つまり堺市民の4人のうち1人が大阪に通勤・通学しているのである。首都圏でも「千葉都民」「埼玉都民」などとよくいわれるように、千葉県や埼玉県に在住しながら、県知事の名前も知らない(東京都知事の名前はよく知っている)住民が数多くいる。それと同じ現象が堺市においても起こっているのではないか。堺市という大都市に住みながら、堺市長選には何ら関心を示さない市民が多数存在していることが、3割台の低投票率にあらわれているというべきであろう。

 竹山陣営は、堺市政が歴代積み重ねてきた構造的弱点をいま橋下維新が鋭く突いてきていることを改めて認識しなければならない。「大阪都構想」が少なくない堺市民の共感を得ているのは、市民の日常感覚が「大阪の衛星都市化」という現実に慣らされているためだ。このような堺市の現実を無視して、「堺はひとつ!」「堺は無くすな!」と叫んでも空文句に聞こえるだけである。なぜ堺市を独立した政令都市として維持・発展させなければならないのか、なぜ「大阪都構想」に巻き込まれれば堺市は名実ともに潰されるのか、その理由と根拠を市民感覚に沿って明らかにしなければならないのである。

 私は、行財政視点からの「反大阪都構想」、「反橋下維新」だけでは不十分だと思う。実体としての“自立した堺市”のイメージが必要であり、そのための具体的なまちづくり施策の提起が求められる。そしてこのことは、保守系有力者や労組役員の「選挙マニュアル」に書かれていない以上、“勘と経験”の選対本部には期待できない。ならばどうするのか。次回からこのことを考えていきたい。(つづく)