“個人商店政党=私党”の破綻と悲劇、大阪維新の会(橋下商店)とみんなの党(渡辺商店)の消長がもたらす野党再編の行方、大阪出直し市長選をめぐって(その16)

 大阪出直し市長選が一段落したと思っていたら、今度はみんなの党・渡辺代表の8億円借金問題が俄然クローズアップしてきた。渡辺氏本人は「体調不良」だとか「口がきけない」とかの理由でいまだに雲隠れしているが、そのうち「入院」でもするつもりなのだろうか。しかし頑健で能弁の渡辺氏のことだから、「酉の市の熊手」と同様、そんな見え透いたウソを信じる人は誰一人いないだろう。早く出てきて身の証を立てる方が賢明だと思う。

 この問題に対するマスメディアの態度は、猪瀬氏の場合と同じくきわめて明快だ。他の政策課題の場合には政治的立場によって意見が分かれることも少なくないが、こと「政治とカネ」の問題になるといっせいに足並みがそろうから不思議だ。問題の所在がわかりやすく、国民が問題のあいまいな取り扱いを許さないからだろう。

 またこのようなケースの場合は、まず政治・社会面での報道が先行し、問題の輪郭が明らかになってから社説など論評が続くのが定番であるが、今回の場合は問題が発覚した途端に各紙の社説が出たことが注目される。渡辺氏は3月27日、記者団に対して「8億円の借金は個人的な借り入れで違法性の認識を持っていない」などと説明したと言うが、翌日、翌々日の各紙社説はいっせいに反発した。

 「渡辺代表に8億円、党の存在が問われる」(毎日新聞、3月28日)
 「渡辺氏の借金、この説明は通らない」(朝日新聞、同)
 「渡辺代表借入金、「もろもろ」で8億円が通るか」(読売新聞、同)
 「渡辺氏の説明は納得しがたい」(日経新聞、3月29日)
 「渡辺氏に8億円、まず熊手を見せてほしい」(産経新聞、同)

 これほど各紙の論調が揃うことも珍しいが、毎日新聞はさらに4月3日の社説で「開き直りは許されない」と一段と踏み込んだ批判を展開している。注目されるのは、毎日社説がみんなの党を「渡辺氏の個人商店=私党」と見なして8億円借金問題を分析していることだ。2大政党政治の行き詰まりを打開すると称して、この間、雨後の竹の子のごとく出てきた「第3極政党」を「個人商店=私党」という角度から分析する視覚は新鮮かつ有効だろうと思う。

 もともと政党は公的な存在であり、政策綱領や組織規約をオープンにして国民の支持を得る政治団体である。まして国民の税金でまかなわれる政党助成金を受け取る政党であれば、政治資金の管理は透明そのものでなければならず、私的管理のもとで私的目的に流用するなど絶対にあってはならないことだ。その絶対にあってはならないことが発覚し、しかもそれが渡辺氏個人の私的管理の下に置かれていたことが今回の事件の本質なのである。みんなの党がこれまで言われてきたように「渡辺個人商店」「渡辺私党」だったことは、「第3極政党」の存在をますます胡散臭いものにするだろう。

 そういえば、抱える議員数はみんなの党よりは多いものの、「個人商店=私党」という点では大阪維新の会も大同小異の存在だ。橋下代表の個人的発信力で維新ブームを起こし、「ふわっとした民意」に乗ってここまで急成長してきたのは橋下個人のタレント能力によるものであって、決して維新各議員の個々の資質が評価されたわけではない。ただ「維新」「維新」と連呼だけしていれば、彼らは当選できたのである。

しかしこのことは、橋下代表の個人的人気が衰えると形成は180度逆転するのだから政治は恐ろしい。橋下氏が慰安婦発言問題でいったん躓くと途端に支持率が下がり、その結果は直ちに堺市長選・岸和田市長選の敗北に連動する。また「起死回生」の一打として打って出た出直し市長選では、8割の有権者にそっぽ向かれて民意を失った。これら全てが橋下氏個人の資質や意向に左右されるのだから、「個人商店=私党」の行方はまるで“ミステリーツアー”のような様相を呈することになるのである。

 大阪維新の会にはまだ「政治とカネ」の問題は浮上していない。もしそのような自体が発生すれば即座に命取りになるし、またそうでなくても橋下氏個人の独裁が続く限りは、大阪維新の会が安定した地域政党として存続することは難しい。ましてや今回の渡辺事件を契機にして彼らの頭ごなしに国政レベルでの野党再編が進むようなことがあれば、地域政党としても地方議員としても現在の維新派議員は完全にアイデンティティ(存在根拠)を失うことになる。

 みんなの党・渡辺代表の8億円借金問題は、大阪維新の会にとっては決して「対岸の火事」ではない。それは隣の家とまではいえなくても、1軒先の家で火事が出たのと同じことだ。大阪維新の会は渡辺8億円問題がどこまで広がるか、それが維新にも類焼してくるのかこないのか、固唾を呑んで見守っていることだろう。(つづく)