大阪都構想住民投票における賛否両論に対してあたかも「賛成=改革派」、「反対=守旧派」の如く扱うマスメディア論調は、小選挙区制導入時の「政治改革」キャンペーンと酷似している、大阪都構想住民投票の意義と課題について(7)、橋下維新の策略と手法を考える(その35)

マスメディア各紙の論壇に登場する政治学行政学者の大阪都構想住民投票に関する論評は、多少の濃淡はあっても「『手段』ばかりが語られ、その手段を用いてどういう大阪にしたいのかという『目的』が語られなかった」(砂原庸介阪大準教授、毎日新聞、5月29日)との筋書きにほぼ集約される。これは朝日新聞社説(5月18日)や産経新聞社説(同)などの主張に追随するもので、マスメディアの論評を多少お化粧直した程度のものにすぎない(学者としては恥ずかしいレベルの議論だ)。

朝日社説は「大阪都否決、『橋下後』へ具体策を」との見出しで次のように言う(一部抜粋)。「むしろ都構想の否決で処方箋は白紙に戻ったともいえる。これからは反対派が具体策を問われる。自民、民主、公明、共産の各党が説得力ある対案を示していたとはいいがたい。維新を含め、党派を超えて知恵を結集すべきだ。長年の対立のエネルギーを、大阪再生へ向けた熱意に転換してほしい」。

産経社説も「大阪都構想『反対』、改革論議は継続すべきだ」とのほぼ同様の見出しで、「市政与党の大阪維新の会は『賛成』を訴え、野党の自民、公明、民主、共産各党は『反対』で足並みをそろえた。まさに大阪市を二分したが、肝心の『大阪の未来』が争点になったかは疑問だ。(略)都構想は頓挫したとしても、行政も市民も身を切る改革に取り組まなければならないことに変わりない」という。

要するに、朝日・産経社説も(論壇の)政治学行政学者も維新仕込みの「大阪都構想」を大阪市改革の所与の前提と位置づけ、都構想住民投票に際しては事実上賛成の立場から「都構想を具体化するためのもっと中身の議論を戦わせるべきだった」と主張しているのである。だから、都構想が否決された事態を「(大阪市改革の)処方箋は白紙に戻った」(朝日)だとか、「都構想は頓挫したとしても、行政も市民も身を切る改革に取り組まなければならない」(産経)だとか、いかにも「残念至極」といった結論になるのだろう。

これら社説や砂原氏など論壇学者たちに共通するのは、「大阪都構想」なるものの中身の杜撰さに対する批判的検討、および府議会・市議会でいったん否決されたはずの都構想が謀略的に実施に移された住民投票の経緯やその政治的背景に関する分析を意図的に欠落させていることだ。住民投票における「手段」(都構想の枠組み)ばかりに注目し、その手段がどういう大阪に導くかという「目的」(橋下市長の意図)を語らなかったのは、むしろマスメディア報道の方であり、これに追随する論壇学者たちの方なのである。

橋下市長(大阪維新の会代表)は表向き「二重行政の解消」や「特別区設置による行政サービスの充実」を唱えてはいたものの、その一方では都構想の「目的」(真意)について当初から明確に語っていた。いわく都構想は府県制を廃止して「関西州」を導入するための一里塚だ。いわく大阪湾岸地域を将来の関西州の「州都」として整備するため、当面は大阪市を廃止して大阪府に権限・財源を一元化し、大阪府庁移転やカジノリゾート開発など大規模開発事業を行う。いわく関西空港や大阪港と連結する大型物流基地を整備し、中央リニア新幹線・湾岸高速道路など国土幹線を引き込んで、「州都大阪」を香港やシンガポールなどに比肩する世界の「国際都市」に成長させる、などなど。

これに対して都構想反対派は、現在の府県制・大都市制を維持して大阪市を発展させると明確に主張してきた。これは単なる「現状維持」でも「保守的主張」でも何でもない。都構想のような統治機構の枠組みの変更ではなく、行政施策の「中身」の充実によって大阪市を発展させるとの明確な主張であり、都構想に対する根本的な「対案」なのである。世界の大都市圏の支配的形態は中心都市と大都市圏自治体の「二重構造」が普遍的な形態であること、大阪市大阪府の存在意義は「二重行政」ではなく機能分担を機軸とする「共存関係」にあること、大阪市行政改革の中心課題は現在の行政区の機構や権限の充実など「分権改革」(総合区設置も含めて)にあることなどが、その主張の論拠になっている。

なのに、なぜマスメディア報道や論壇学者たちは「大阪都構想」を大阪市改革の所与の前提と位置づけ、都構想賛成派をあたかも「改革派」、反対派を「守旧派」の如き扱い方をするのだろうか。私はそこに今回の都構想住民投票を「統治機構改革=道州制導入」の突破口にしたいとする体制側(支配権力)の露骨な意図を感じる。情勢がちょうど「中選挙区制」を否定して「小選挙区制」を導入しようとしたときのマスメディア状況に酷似しているからだ。

1994年に衆院選挙で中選挙区制が廃止され、小選挙区比例代表並立制が導入されたとき、マスメディアは佐々木毅氏(東大教授、政治学)などを先頭にして「政治改革」の一大キャンペーンを張った。金権腐敗政治を駆逐し、派閥政治の悪弊を排して政策本位の選挙を実現するには「小選挙区制導入」しかないとして、マスメディアは「導入賛成=改革派」、「導入反対=守旧派」のレッテルを貼って「政治改革」路線を強力に推進したのである。結果は「2大政党」の実現どころか、少数政党を駆逐する「1強多弱体制=自民独裁体制」の出現であり、それが現在の安倍政権の暴走を招いているのは火を見るよりも明らかなのだ。

今回、大阪市民が賢明にも都構想住民投票の可決を防いだのは歴史に残る快挙だった。しかし反対派が「首の皮一枚」の辛勝に追い込まれたのは、これらマスメディアや論壇学者たちが「都構想=行政改革」を旗印にして有形無形のキャンペーンを張ったからに他ならない。小選挙区制導入当時の「政治改革」をめぐる状況と比較すれば市民・国民の政治的成長は確認できるものの、それが風向き次第ではいつ崩れるかもしれない脆弱さを感じさせたのも今回の住民投票だった。大阪都構想をめぐる体制側(支配権力)のキャンペーンは、住民投票後も執拗に続けられている。(つづく)