「大阪の壊し屋」橋下維新が「日本の壊し屋」安倍政権に加担する理由と背景、「後は野となれ山となれ」の橋下政治の着地点が見えてきた、大阪都構想住民投票の意義と課題について(10)、橋下維新の策略と手法を考える(その38)

 安倍首相、菅官房長官と維新顧問の橋下大阪市長、松井大阪府知事が6月14日夜、都内のホテルで(異例の長さの)3時間の夕食を共にしたという。実態は「夕食」とは名ばかりで、現在、安倍政権が苦慮している安保法制議案の今国会成立に向け、その打開方法について詳細な作戦を練ったのだろう。すでに維新は大阪組の抜け駆けで労働者派遣法改正案に対して賛成方向に舵を切っており、安倍政権と維新「大阪組」はこの方式で安保法制議案についても乗り切る(成立させる)方針を固めたものと思われる。

 維新全体としては与党の安保法制議案が規定する自衛隊の海外活動への制約を若干厳しくする内容の「対案」を提出する方針だというが、「対案」とは名ばかりで実態は些細な「修正案」にすぎない。維新の基本方針は与党法案を成立させることに変わりなく、ただ無条件賛成では格好がつかないので少し「色」を付けているだけのことだ。そしてその「色」の付け方を巡って、大阪組と東京組がこれ見よがしに「コップの中の争い」を演じているのである。

 橋下氏が大阪都構想住民投票の敗退を受けて、大げさな「引退」表明会見を開いたのはついこの間のことだ。だが5月17日の「引退」表明からまだ1ヶ月も経たないうちに、今度は今国会の最大議案である安保法制議案について安倍首相・菅官房長官との密室協議を「公然」と行うのだから、彼の発言が如何に嘘百百で塗り固められているか想像がつく。彼の「引退」発言を巡ってあれこれ書きたてたマスメディアは(それに政治学者たちも)この事態をどう説明するのか、責任あるフォロー分析があって然るべきではないか。

 この点については、6月14日に大阪で開かれた大阪都構想に批判的だった学者たちのシンポジウムが参考になる。「豊かな大阪をつくる(第一回)〜『大阪市存続』の住民決断を踏まえて〜」と題するシンポジウムでは、専門分野を異にする6人の学者からの報告と討論が行われ、大阪市政や橋下政治の問題点が多面的に解明された。報告が多岐に亘るのでここで全容を紹介することはできないが、なかでも橋下政治の実態を鋭く突いた小野田阪大教授(教育制度学)の報告と問題提起が強く印象に残った。

大阪市の教育行政と言えば、都構想住民投票の前哨戦となった統一地方選でも橋下市長が自らの「業績」として最も力説した分野である。いわく、パソコンを全学級に配備した、学習塾の費用を補助した、教育予算を増やしたなどなど金銭的・物的サービスばかりを挙げて得意げに語ったことが記憶に新しい。だが、彼が教育の本質である子どもの人間性の発達や人格の陶冶についてはついぞ語ることがなかった。語らなかったのではない、語れなかったのである。教育の本質を語るには、橋下氏自身があまりにも人間的資質に欠け、倫理的に退廃し、強権的であり専制的であり過ぎたからだ。

小野田教授は、橋下政治の本質を「破壊のエクスタシー(快感)」と規定した。公務員、教員、そして知識人を一方的に「既成勢力=仮想敵」として標的化し、「教育基本条例」「職員基本条例」「国家国旗条例」などの制定を通して厳しい監視下に置く。社会の階層化・貧困化にともなう住民や保護者たちの「イラだち」や「ムカつき」の矛先を社会的弱者や公務員・教員に向けさせ、本来は敵対関係にない人たちの間に対立と分裂を持ち込む。「統治機構の改革」と称して公務員制度や教育行政制度を「ともかくひっくりかえす」と公言し、特定の組織や人々に対して断定的で攻撃的な物言いを繰り返して、それに同調する人たちの「スカッ」とする劣情を刺激して「民意」を獲得したとするなどなど、全てが「破壊のエクスタシー」に貫かれていたのである。

そう言えば、大阪都構想を巡る住民投票もその究極的典型だった。「大阪のかたち」を変える、すなわち大阪市を解体して大阪府に合併吸収すれば当面する大阪問題があたかも解決されるが如きプロパガンダを振り撒き、若者と高齢者を対立させ、大阪市北部と南部の対立を煽った。大阪市民を階層的、世代的、地域的に分断して相互に対立させ、世論を切断して大阪市を破壊する扇動的キャンペーンを繰り広げた。そして少なくない市民が「破壊のエクスタシー」に巻き込まれた。

だが留意すべきは、橋下氏は都構想が実現してもしなくてもその責任を取るつもりはないことを以前から公言していたことだろう。彼は、都構想が実現すれば松井知事が初代の知事になると言っていたのであり、実現しなければ今回の「引退」表明のように「大阪から逃げ出す」ことを考えていたのである。つまり、大阪市を破壊することには熱情を燃やすが、「破壊のエクスタシー」を味わった後は「後は野となれ山となれ」と言うのが橋下政治の本質なのだ。

 今回の安倍首相・菅官房長官との「公然たる密談」は、橋下氏がもはや大阪に何の未練もなく(大阪を放り出して)国政にコミットし始めたことを意味する。忘れやすいマスメディアの体質を見透かしての予定の行動であり、またぞろその場に応じた論評を書いてくれる論壇学者の登場を期待しての作戦なのだ。(つづく)