この国は土台(大企業)から中枢(政府)まで腐っている、佐川国税庁長官辞任は森友疑惑の「幕引き」ではなく、安倍内閣総辞職の「幕開け」なのだ、立憲民主を軸とした新野党共闘は成立するか(18)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その105)

 この数日間、日本資本主義の腐朽と退廃を象徴するような大企業トップと政府高級官僚の辞任が相次いでいる。3月6日には川崎神戸製鋼社長が品質データ改ざんの責任を問われて辞任、9日には森友疑惑隠蔽の中心人物、佐川国税庁長官が世論の批判に耐えきれず辞任した。この2つの辞任には直接の関係性はないが、「この国のかたち」すなわち国家統治機構の観点からすれば、日本資本主義の土台(大企業)と中枢(政府)が同時崩壊を始めている兆候とみなすことができる。

 日本経済の基盤であるものづくり大企業(製造業)の品質データ改ざん問題は、今さら始まったことではない。自動車企業では三菱自動車日産自動車、スバル自動車が肩を並べ、材料メーカーや部品メーカーでも東洋ゴム東レ三菱マテリアル宇部興産神戸製鋼所など枚挙の暇もない。これに不正会計処理が発覚した東芝、社員を過労自殺に追いやった電通野村不動産などを加えると、日本資本主義の腐朽はもはや個別企業のレベルにとどまらず、経済界全体に及んでいることがわかる。経団連会長が所属企業の不正問題で釈明に追われる有様を見ると、大企業のモラルハザードはもはや日本資本主義の深部にまで達していると考えて間違いないのである。

 日本資本主義の上部構造であり、国家統治機構の中枢である政府の腐敗構造はもっと根深い。自民党国会議員の利権汚職や問題行動は後を絶たないし、事件を起こしても大臣や要職に再起用されるなど、安倍政権の「お友達内閣」による政治倫理の破壊はもはや止めを知らない。そして、その行き着く先が今回の「もりかけ疑惑」に象徴される国政私物化であり、それが財務省をはじめ国家官僚機構にまで及んだのが今回の「公文書書き換え事件」だったのである。

 ことは、個別内閣のレベルをはるかに超えている。安倍政権を守るために「ウソを重ねる」行為は、さらなる国家統治機構の崩壊をもたらし、民主政治の土台を破壊する。いま問われているのは、与党議員をはじめ官僚機構全体が安倍政権と「手を切る」ことであり、安倍政権によるこれ以上の国政私物化、民主主義の蹂躙、民主政治の崩壊を食い止めることなのである。

 しかしながら、安倍政権はあくまでも事態を隠蔽し、内閣の存続を図ろうとするだろう。それは、衆参両院において改憲発議に必要な3分の2勢力を維持している現在、この機を逃しては改憲が(永遠に)遠のくことを安倍首相自身が誰よりもよく知っているからだ。そのためにも安倍首相は何としても権力の座から降りたくない、降りては「元も子もない」と思っているに違いないのである。

 であるからこそ、私たちは彼を権力の座から引き下ろさなければならない。安倍政権はこれまで、読売、サンケイのような右翼メディアを利用して巧みに国民世論を操作してきた。内閣支持率が消極的支持であれ、相対的選択の結果であっても、「危険水位」まで下がらなかったのはそのためだ。しかし「事実」の持つ重みは余りにも大きい。まして「もりかけ疑惑」の本質は単純であり、国民には極めて分かりやすい。首相の「お友達」に国民の財産をタダ同然で売払ったという誰でもわかる話なのだ。

 だから、安倍首相は自らに降りかかる火の粉を払うために「事実」をあくまでも隠し通さなければならなかった。それが自分だけでは不可能だったために、与党国会議員はもとより官僚機構全体を巻き込んで壮大な「虚構の世界」を作り上げてきたのである。だが、「蟻の一穴」は防げなかった。どこからとも知れず情報がリークされ、それが次第に「巨大な噴出口」となって今や迸る水勢を防ぐことが困難になった。安倍政権はいよいよのっぴきならぬところまで追い詰められてきたのである。

 佐川国税庁長官辞任は、森友疑惑の「幕引き」ではなく、安倍内閣総辞職の「幕開け」なのだ。安倍首相は自らを守るために「トカゲの尻尾切り」を続けるかもしれない。しかし、トカゲの尻尾は幾つもあるわけはない。切れば切るほど尻尾から胴体へ、胴体から頭部への切断断面は上がってくる。佐川国税庁長官の辞任は「トカゲの尻尾切りではない。頭だ」と自民党国対委員長が言ったという。だから、もはや「事態は終わった」「国会証人喚問もしない」と言いたいのだろう。この人物には事態の推移を客観的に見る目がないのだろう。だが、来週には事態はもう一段バージョンアップするだろう。そしてそのときが「トカゲの頭が切られる」ときなのである。(つづく)