京都大学学生寄宿舎「吉田寮」をめぐる存廃問題の経緯と今後の行方について(5)、「市民と考える吉田寮再生100年プロジェクト」が新しい局面を切り開いた

 

 

 私は、吉田寮が抱える最大の問題が「閉鎖性」にあると考えている。しかし、この問題は極めて根深いものがあり、一朝一夕には解決できない性格のものだ。吉田寮自治会は、ことあるごとに「寮生自治」「自主管理」を強調する。全ての問題を寮生が自主的に解決してきたとの自負がその背景にあるのだろうが、それが教条化すると寮外の多様な意見に耳を傾けない「閉鎖性」「硬直性」に転化する。「開かれた吉田寮」に体質改善しないと学内からも社会からも孤立していくのに、それを自覚できない「閉鎖性」「硬直性」が骨の髄までしみ込んでいるのである。食堂棟の落書き事件を自主的に解決できなかったことに、なによりもその深刻さがあらわれている。

 

 こうした状況を一歩ずつでも改善するために、我々は「21世紀の吉田寮を考える公開セミナー」を開催することから始めた。吉田寮に隣接する「京都大学楽友会館」(戦後の一時期、アメリカ進駐軍のクラブハウスとして接収されたが現在は大学内外の交流施設として利用。登録有形文化財)を会場に各回のテーマにふさわしい講師を招き、市民と寮生が対話する機会をつくって交流を深めたいと考えたのである。寮生ОBも多数参加し、高等教育の歴史と大学寄宿舎、建築文化財の歴史的・現在的価値、凍結保存と動態保存の違い、大学の街・京都の特性、学生街と都市の文化などなど、多彩な角度からの討論が展開された。

 

 その中で生まれたのが、「市民と考える吉田寮再生100年プロジェクト」だ。100年余の歴史を持つ吉田寮を21世紀に生かしていくためには、「市民に開かれた吉田寮」にしなければならない。そのため、吉田寮が「次の100年」を生き続けることのできるアイデアを市民から募集しよう――ということになったのである。元寮生の会に参加している3人の現役寮生が中心になって実行委員会を立ち上げ、多くの建築・まちづくりの専門家たちが協力体制を整えた。寮生たちはその中で、改めて市民と交流することの大切に気付くことになった。

 

 2018年6月に募集要領が発表され、併せて「100年プロジェクト寮見学ツアー」も始まった。募集要領の内容は後述するが、私は100年プロジェクトの副産物として生まれたこの「寮見学ツアー」こそが、実は寮の体質改善につながる画期的な出来事だったと考えている。なにしろ吉田寮は、市民の間では「近寄りがたいところ」「得体の知れない場所」「まるでスラム、幽霊屋敷...」などと思われてきたのだから、これは革命的変化だと言ってもいい。この発想を提起した3人の現役寮生に心から敬意を表したいと思う。

 

 見学ツアーを契機にして寮生側にも少なからぬ変化が生じた(らしい)。これまでは吉田寮を「自分たちの聖域」として訪問者を必ずしも歓迎することのなかった寮自治会が、プロジェクト実行委員会の熱意に負けて「拒否しない」姿勢に転じたのである。大学紛争以前、我々世代は夏休み期間中にアルバイトを兼ねて近所の小中学生を対象とする「夏季スクール」を毎年開いていた。数十人の生徒が参加して寮内は大いに賑わい、彼・彼女らの騒音の嵐の中でともに楽しい時間を過ごしたものだ。その時の受講生(今や立派な年齢になった中高年女性たち)が、懐かしの余り見学ツアーにやってきたのである。

 

 だが、彼女たちは寮内に一歩足を踏み入れた途端に悲鳴を上げた。「まあ、なんて汚い!」というわけだ。その彼女たちの悲鳴を聞いて、今度は案内役の寮生たちが驚いた。どうして彼女たちが悲鳴を上げたのか、その理由がよくわからなかったからだ。寮生たちは、いつの間にか汚い環境に慣れ切ってしまっていた。寮の正面玄関の廊下に電気こたつが置かれ、その中に昼間から寝そべっているような状態が日常化していたからである。

 

 寮生たちは、見学ツアーに備えて少しは掃除したという。見学コースを限定し、少なくとも見学コース周辺のゴミは片付けたと言うのである。だが、そんなことで雰囲気がにわかに変わる筈がない。中庭の雑草は茂り放題で大型ゴミが散乱しており、ニワトリやアヒルが飼育されている有様は、昔の寮風景を期待してやってきた見学者たちのイメージとは余りにもかけ離れていたからである。

 

 おそらく幼少の頃から受験勉強漬けで24時間管理されてきた寮生たちには、「カオス」や「廃墟」への憧憬があるのだろう。何もかも管理されてきた自分たちの生活を時間的にも空間的にもいったん解き放ってみたい、「カオス」の中に身を置いてみたいという抑えきれない衝動があるのではないか。本来なら、成長の過程で昇華されているはずの衝動が長年にわたって蓄積され、それが大学入学後の寮生活の中で一気に爆発したというわけだ。だから「カオスの哲学」が生まれ、「廃墟の美学」が肯定されることになる。

 

 だがこんな精神風土は、「建築リスペクト派」の私ならずとも一般市民の価値観とは共有できるはずがない。カオスや廃墟状態が続けば、建築物は必ず消滅するからであり、廃墟の美学は「緩慢なる破壊行為」にほかならからだ。また廃墟の美学は、自分たちがその環境を享受できれば「後はどうなっても構わない」というアナーキーな考え方にも通じる――こんなことを言い出すと筆が止まらないのでもう止めるが、このような空気を雰囲気を刷新する契機になったのが「100年プロジェクト」であり、「寮見学ツアー」だったのである。(つづく)