東京都議選にみる公明党の危機、寄生生物の末路、(麻生辞任解散劇、その21)

 今日21日で衆議院が解散され、8月30日の投票日に向けていよいよ総選挙の火蓋が切られることになった。各種の世論調査では民主党の優勢が伝えられ、早くも「政権交代」を前提にした各種の観測記事が飛び交っている。しかし不思議なことに、自公連立政権の崩壊が目前に迫っているにもかかわらず、その片棒を担いできた公明党の帰趨についてはほとんど論評がない。

 私は、自公政権の崩壊は自民党の崩壊にとどまらず、公明党の危機に直結すると考えている。その前兆を示したのが7月12日投票の東京都議選だ。都議選の結果は、「民主圧勝自民惨敗、公明維持、共産埋没」というのが通り相場になっていて、公明は全員当選で安泰のように思われているが、実はそうではない。

 確かに議席数からいえば、公明はこれまでの現有勢力を維持した。だが得票数からいえば、公明は前回の都議選にくらべて票を減らしているのである。一方惨敗した自民と共産は、逆に票を増やしている。得票数を増やした党が議席数を激減させ、減らした党が議席数を維持したのは、各選挙区の議席数をめぐる選挙戦術の駆け引きによるものだ。だが、ここに公明党の危機の根源がある。しかも重要なのは、公明票の減り方は偶然的なものではなく、候補者を立てた20選挙区中18選挙区で減少しているというもので、その意味では構造的な減り方だといってもよい。

 公明党が都議選と総選挙の同時実施、あるいは接近した場合の選挙日程を極度に嫌がっていたのは周知の事実だ。同時選挙をするなら、連立を解消して総選挙で自民を支援しないと脅かしていたとも聞く。都議選から50日近く後の8月末に投票日が設定されたのも、自民党内の内紛に加えて、公明党の都合が優先されたからだ。

 なぜ公明党は同時選挙を嫌がるのか。それは全国から東京に大量の選挙要員や学会信者を集めて都議選に集中できなくなるからだろう。東京都は創価学会本部の所在地であると同時に、何よりも池田大作先生の御在所地だ。それに創価学会は東京都認可の宗教法人であり、かっては都議会での議論から「池田先生を守る」ためには、絶対に「知事与党」でなければならないとされてきた。現在は文部科学省創価学会の主務官庁だから、ここでも国会での議論から「池田先生を守る」ために、自民を応援して「政権与党」の位置を確保することが信者を選挙に駆り立てる旗印になっているのである。

 だから公明党は都議選で絶対に勝たなければならないし、与党の地位を失ってはならないことが至上命令とされてきた。その都議選で今回は議席数は辛うじて維持したものの得票数を減らしたのだから、選挙後の公明幹部の顔色が蒼白だったのも無理はない。自民党が大敗したショックだけではなく、公明票の伸びが止まったこと自体が彼らにとっては大ショックだったのだ。

 具体的な数字を示そう。まず投票総数は443.5万票から570.5万票へと127.0万票も急増した。その結果、民主は107.1万票から229.8万票へ122・8万票増、自民は134.0万票から145.8万票へ11.8万票増、共産は68.0万票から70.8万票へ2.7万票増となったが、これに対して公明は78.6万票から74.3万票へ4.3万票減となったのである。つまり投票数の増加分はほぼ全てが民主へ流れ、若干のおこぼれが自民にまわり、ひとり公明だけが大幅な投票数の増加にもかかわらず票を減らしたのである。

 公明の選挙戦術は、勝てそうもない選挙区では立候補せず、議員定員3人以上(2人区も例外的にはある)の勝てそうな選挙区に絞って候補者を立て、そこに立候補していない都内選挙区から応援部隊を差し向けて集票活動を行うというものだ。それに今回のような間直に総選挙を控えた「天下分け目」の選挙戦になると、全国から専従者や信者を動員して総力戦体制で選挙を戦うことになる。だから、地元中心で選挙戦を展開している他党派はどうしても劣勢に追い込まれることになるのである。事実、前回の都議選では、公明は立候補した20選挙区中15選挙区でトップ当選を果たし、その中で1、2位を独占した選挙区も2区あった。それが今回はトップ当選はわずか2選挙区に激減し、その他の選挙区ではほとんどが下位当選を強いられたのである。

 自民の得票増は、候補者を立てていない選挙区での公明支持者の投票行動にもとづくものかもしれない。しかし自公連立政権はすでに1999年からスタートしているのだから、前回の都議選も今回の都議選も事情は変わらないはずだ。だとすれば、今回のような自民危機のなかの選挙でも、東京は小泉構造改革の恩恵を受けた関係者が集中しているので、自民の固定票が案外減っていないのかもしれない。被害が集中している地方とは異なった政治情勢が、東京では横たわっているかもしれないのである。

 しかし如何に自公連立政権であれ、社会底辺層が多い公明支持者は、この間の小泉構造改革自公政権運営の影響は免れ得なかったのではないか。1回きりの給付金のバラマキや1年限りの育児支援金程度では、到底カバーできない痛手(深手)をこうむったことは察しがつく。それが、いかに叱咤激励されても、選挙戦に熱中できない背景になっているのだろう。いわば公明支持者、学会信者の「息切れ現象」が、連立10年目にしてようやく表面化してきたのである。

 来たる総選挙で民主党過半数議席を獲得するようになると、自民はもとより公明の崩壊が連動して始まることが容易に予想される。公明が連立を組むのは「与党」になるためであり、自民が「政権党」であるためである。「寄生動物」や「寄生植物」が生きていくためには、寄生する「本体」がなければならない。そこから労せずして「おこぼれ」をもらうことで生きていくのが寄生生物の本性だからである。寄生する本体がなくなれば、寄生生物も生き続けることはできない。これは生物界の法則である。

 そうなれば変わり身の早い公明だから、今度は民主に乗り換えるという手もある。だが、これは少し節操がなさすぎて世論の猛反発を食うだろうし、第一、民主が相手にしないだろう。福田前首相と小沢前民主党代表の間で大連立政権の密約が交わされたとき、小沢氏の連立条件の一つは「公明を切る」ことだったとされる。また今回の総選挙では、前の公明幹事長の冬柴選挙区に民主の盟友の田中康夫氏が殴り込みをかけるのだというのだから、民主の公明に対する姿勢はかなりはっきりしていると言えるのではないか。

 公明は「雑草」であればこそ、地下に根を張ることができた。だがいつも間にか「寄生生物」になって「本体」(自民党)に巻きついたときから、本体と運命を共にする道を選んだといえる。今回の総選挙は、その「終わりの始まり」になることは間違いない。「冬芝」はなかなか枯れないが、「冬柴」が燃え尽きるときが訪れたのである。(続く)