民主党マニフェストをどうみるか、保守専制体制への布石、(麻生辞任解散劇、その22)

 今日の各紙は、民主党マニフェスト一色だ。まるで「民主党特集号」だといってよい。総選挙が1カ月後に迫っているのだから、これだけ全国紙が挙って取り上げるとなると、その宣伝効果たるや計り知れない。昨日の記者発表の会場でも500人近い報道陣が集まったというから、もはや「政権交代」を前提とした報道体制が敷かれているのだろう。

 民主党マニフェストをみる上で、「何が書かれているか」、「何が書かれていないか」を考えることがまず大切だ。インド洋の海上自衛艦派遣問題などは、自民党が攻撃材料としてとりあげたのでそこだけが「書かれていない」としてクローズアップされているが、「書かれていない」ことは他にももっと沢山ある。何よりも財界批判が注意深く避けられていることが最大の特徴だ。すべてが「霞が関バッシング」の論理で貫かれており、「官僚丸投げの政治」から「政治家主導の政治」を取り戻すというシナリオで統一されている。これでは日本が「資本主義国家」ではなくて、まるで「官僚国家」だといわんばかりの言い草ではないか。

 しかしそれにも増して驚いたのは、「5つの約束」のなかの冒頭の「ムダづかい」のなかで、「衆院比例代表定数を80削減する」と臆面もなく書いていることだ。議会制民主主義の根幹は、民意を反映する選挙制度にあることはいうまでもない。だから、小選挙区制を廃止するとか、小選挙区制定員を削減するとかいうのであれば話はわかるが、こともあろうに比例代表制を「ムダ」扱いにして定員を削減するというのである。この一事を以てしても、民主党が「民主」を名乗る資格がないことが明らかだろう。

 現在の小選挙区制が、社会党共産党など「革新政党潰し」のために小沢氏によって導入されたことはよく知られている。保守2大政党体制を構築して「政権交代」をスムーズに実現するためには、その対抗勢力である革新政党をまず潰しておかねばならない。かくして小選挙区制を推進するのが「改革派」であり、反対するのが「守旧派」であるとの政治キャンペーンが巻き起こされ、社会党は消滅、共産党は少数政党に転落した。その仕上げが今回の比例代表制定員の削減なのだ。

 政党マニフェストには、内容を大きく分けて、当面の公約と長期的な戦略が盛られている。しかしマスメディアの話題になるのは、前者の「当面の公約」の方であり、今回の民主党マニフェストでいえば、「高速道路料金の無料化」だとか「ヒモ付き補助金の廃止」などがそれである。そして国政の根幹的なインフラである選挙制度や、道州制などの地方自治制度のあり方についての「長期戦略」の方は、ほとんど注目されることがない。

 安倍内閣のときの参院選挙では、「改憲問題」が国政選択のメインテーマになった。またインド洋への自衛艦派遣問題も重要な争点となった。だから国民は明確な判断を通して「ノー」を突きつけることができた。だが今回の民主党マニフェストのように、鳩山・小沢・岡田・野田・前原など主たる幹部が挙って改憲派であるにもかかわらず、憲法問題については「国民の自由闊達な憲法論議を」などといって本音を隠し、比例代表制議員定数の削減に関しては「ムダづかい」という項目の中に紛れ込ませ、道州制については「地域主権の確立」という名目で「中央政府は国レベルの仕事に専念し、国と地方の関係を、上下・主従の関係から対等・協力の関係に改める」といったあいまいな表現でごまかすなど、相当手の込んだ構造になっている。

 だが改憲問題はもとより比例代表制定数削減や道州制の導入は、国政と地方自治の双方において議会制民主主義を根底から否定する攻撃であり、民主党がそれらをマニフェストで明文化したことの意味をもっと重視する必要がある。つまり民主党中心の保守政権が誕生した次の段階で、現在の自公政権に勝るとも劣らない財界主導政治が現実化したとき、その対抗勢力である革新政党の息の根を止めておくための布石として、これらの戦略が位置づけられているのである。

 当面は「民主党ブーム」が続くかもしれない。だが民主党マニフェストに掲げられた「盛り沢山の公約」は、財界主導政治のもとでは程なくして行き詰ることは目に見えている。「霞が関バッシング」の行きつく先は、中央官僚に代わって民主党が財界の手先になって活動することであり、それが「政治家主導の政治」だと称しているにすぎないのである。(続く)