長丁場の選挙期間がもたらすもの、政策論議か選挙疲れか、(麻生辞任解散劇、その25)

 今回の総選挙は、何から何まで前回の小泉郵政選挙とは対照的だ。小泉選挙は、郵政民営化法案を参議院で否決されて、いきなり衆議院を解散し、あとは「刺客騒動」を舞台にして華々しく劇場型選挙を展開するという経過をたどった。この間のテレビ報道を中心とする熱狂的な選挙報道が、議席数の2/3を超える自公政権を出現させたことは記憶に新しい。

 そんな学習効果もあるのか、今回の総選挙は一見「マニフェスト選挙」といわれるほど、自民、民主両党を中心に政策が詳細に検討されて、連日その特集が組まれている。このことは明らかに選挙報道の前進だといえるが、注目すべきは、選挙期間が長丁場であることもあって、ここにきて「選挙疲れ」ともいうべき現象が出てきていることだ。

 なにしろ衆議院が7月21日に解散してから8月30日の投票日まで40日間もあるのだから、この間の選挙情報は膨大なものだ。これほどの情報量を批判的に摂取できる有権者など、専門研究者か評論家業でもない限り難しいことはいうまでもない。解散するまでは興味を持って事態の推移を追っていたが、それ以降はむしろ情報の垂れ流しとオーバーフローのなかで、多くの国民は何となく「目先のシーン」を眺めているということではないか。

 私自身も最初の頃は新聞を丹念に読み、テレビ番組もそれなりに見ていたが、最近になると同じような記事と番組のオンパレードなので、だんだん食傷気味になってきた。せめても解説記事やコメントに新鮮な書き手が出てくるとか、テレビのトーク番組の出演者が一掃されるとかすれば気分も変わるのだろうが、同じコメンテイタ―が複数の番組や新聞に常連として出てくると、もうそれだけで嫌気がさしてしまう。

 問題の在処は明確だ。第1が国民に「選挙参加」をさせない公職選挙法の存在、第2が各メディアの御用達評論家と学者の常連化である。国民が最も主体的に行動しなければならないこの選挙期間中に、日本の公職選挙法は、まるで「足かせ」と「猿ぐつわ」のように、国民に何も発言させないし、行動させないようにできている。そしてそんな国民に代わって、新聞やテレビが報道や解説を「してくれる」仕組みになっているのである。

 だが、選挙に有権者自らが主体的かつ自由に参加できないような状況の下では、いくら膨大な情報が流されても、そこには「素通り」と「オーバーフロー」(溢れ出し)の現象しか起こらない。ある段階まで行くと「またか」と「もういいや」の連鎖反応となり、それ以上のレベルに思考が届かなくなってしまうのである。

 これだけ国民の間にインターネットが普及しているというのに、選挙期間中は一切選挙活動に使えないとか、最も基本的な選挙運動である個別訪問による政策の訴えができないとか、とにかく有権者の行動ががんじがらめに縛られている一方で、マスメディアが「国民に代わって」大量の選挙報道を垂れ流しているのが日本の現状なのである。

 小泉選挙は劇場型選挙を演出して、政策や政治を情緒的反応の渦の中に巻き込んだ。それがどれだけ凄まじいものであったかは、「宴のあと」の政治の荒廃ぶりでよくわかる。だとすれば、今回の総選挙の流れはどのように解釈すればよいのか。御世辞にも麻生首相のイニシャティブによる「麻生選挙」とはいえないまでも、その狙いは「国民の選挙疲れ」を待つことにあったのではないか。なぜなら彼の真骨頂は、「政策力」でも「責任力」でもなく、打たれ強い「我慢力」にあるからだ。

 選挙に疲れてしまえば、正常な政策判断や政権選択の判断は鈍らざるを得ない。「またか」と「もういいや」という気分が広がれば、投票率は低迷して政治の転換は遅れる。それを手助けしているのがマスメディアの大量かつ一方的な報道だとしたら、これは本質的に小泉選挙のときと変わらない。国民の選挙疲れをふっ飛ばし、新鮮な気分を取り戻すには、国民自身が自ら台本を書いて「ミニ劇場」を演出することが重要だ。

 これからは、選挙公示後の日々の状況の見極めが重要になる。それも政党支持率内閣支持率あるいは政策評価などに関する「ディジタル情報」だけではなく、その根源にある国民の大衆的な気分のゆれといった「アナログ情報」をどう掴むかが大切だ。選挙戦の後半あたりにどんな新鮮な戦術を打ち出すか、それが案外勝敗の分かれ目になるかも知れない。

 またそんな国民感情との関連で、目下大流行の段階に入ったとみられる「新型インフルエンザ」の問題は看過できない。一時のあの大騒ぎの後、今度は一転して発生状況がつかめなくなっている。京都の大学でも夏休み中にもかかわらず、すでに各大学単位で2桁の新型患者が発生しているが、そのことは一般的は知られていない。しかしこれが選挙期間中しかも投票日直前あたりになって「大流行」の実態が明らかになってくると、大混乱が起こることも予想される。そのような事態にどう備えて選挙戦を戦うのか、これからが正念場になるだろう。そんなことも考えながら、「選挙疲れ」を克服して日々気持ちを新たにしなければと思う。