「憲法92条の会」を結成しよう、道州制反対の国民運動を、(麻生辞任解散劇、その24)

 今回の総選挙での最も危険な動向は、自民・公明・民主の3党がそろって打ち出している「比例代表制議員定数の削減」と「道州制の導入」だ。いまマスメディアは、目先の政策それも選挙目当てのバラマキメニューについて国民の目を集中させようとしているが、国政の基本である上記の2つの政策についてはほとんど報道も論評もしていない。

 本来ならば、安倍政権のもとでの参院選挙で憲法9条問題が最大の争点になったように、今回の総選挙でも議会制民主主義の根底を破壊する比例代表制議員定数削減問題と地方自治の本旨を踏みにじる道州制導入問題は、最大の争点として取り上げられるべきテーマなのだ。

 私は法律学者ではないので詳しいことは同僚の憲法学者に譲るが、しかしこの件については国民・有権者のひとりとして発言し、行動しなければならないと思う。「憲法9条の会」が憲法の平和条項をまもる上で大きな国民世論を組織したように、道州制に関していえば、「憲法92条の会」を結成して「地方自治の本旨」をまもらなければならないと決意しているのである。

 周知のごとく、憲法第8章「地方自治」は、92条から95条までの4カ条から成る。92条は「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」というものである。「地方自治の本旨」とは何か。学説上は「住民自治」(93条) と「団体自治」(94条)が、車の両輪のように「地方自治の本旨」を構成するとされている。

 「住民自治」とは、地方自治体の政治や行政を住民の意思に基づいて制御するという政治制度の設計であり、国民主権地方自治として発現させようというものだ。「団体自治」とは、地方自治体が国から介入を受けることなく、自主・自律の行動を取れるということだ。国の権力を分立させて、国家権力の暴走をコントロールするという機能をあわせもつ。

 だが戦後の地方自治の歴史は、「地方自治の本旨」が踏みにじられてきた歴史だと言っても過言ではない。とりわけ中央政府による地方財政権の制約(いわゆる「3割自治」)、「法律の枠内」という条例制定権の制約など、地方自治体の行財政権限は国家権力によってがんじがらめに縛られてきた。そのことは、国の役人が「地方自治体」という言葉を絶対に使わないで、あくまでも「地方公共団体」と呼ぶことに象徴されている。

 おそらく民主党が「官僚政治の打破」を叫ぶ背景には、このような地方自治の窮状を打開したいと思う国民の世論があり、それを得票に結びつけようとする政治的魂胆があるのだろう。だが、「官僚政治の打破」と「道州制の導入」がなぜ結びつくのか。昨年7月の雑誌『文芸春秋』に掲載された御手洗日本経団連会長の「今こそ平成版所得倍増計画を」のなかの言葉を借りれば、「道州制とは、一言でいえば、行政の「選択と集中」である。国が行政上の権限を一部手放し、道州に移管することで、国は最も大事な外交や防衛といった国益重視のテーマに専念する。一方、道州は地域開発や医療、学校教育といった地域住民の生活実感に近いレベルの行政を担う。」というものだ。

 国の権限を一部地方に移管することぐらいなら、現在の府県制と市町村制を前提にしても出来る。だが自公政権民主党が挙って掲げ、橋下知事など地方首長がお先棒を担ぐ道州制の本当の狙いは、御手洗氏のいうように「行政の選択と集中」にある。つまり、今やグローバル企業となった日本の大企業が海外で存分に活動できるように、国際援助や安全保障などに国家の資源や権限を「集中」する。そして「残余の部分」は地方に分け与える。地方はそれを「選択」して使えというのである。

 道州制導入の構想は、遠くは戦前にまでさかのぼる。軍事国家体制の下での地方管理統制を、陸海軍体制と同様の「管区」として再編しようとするのがその主旨であった。戦後は新憲法地方自治法が制定されたにもかかわらず、財界が地域開発や工場立地の制限を取り払うために一貫して府県制の廃止を主張してきた。そしてその前段階の準備作業として、市町村の広域大合併が執拗に繰り返されてきた。市町村が広域化して府県に近づけば近づくほど、「中2階」の府県制は不要になるというわけである。

 すでに戦前戦後を通しての広域合併の連続によって、地方市町村は疲弊の極致に達しており、過疎地域は文字通り「限界集落」の集積地帯と化しつつある。しかし「最後の砦」としての府県が辛うじて地域の全面崩壊を防いできたのであって、もし山陰地方で鳥取県島根県が無くなって「中国州」の一部になれば、あるいは近畿地方和歌山県奈良県が消えて「関西州」の周辺地域になれば、もはや地域を支えるセーフティネットは悉く取っ払われて崩壊一途の道を辿らざるを得ない。

 こんな事態が目の前に迫っているというのに、憂慮すべきは「地方分権」と「官僚政治打破」との旗印の下に、道州制の導入が着々と政治課題として実現の方向へ向かっていることだ。しかもあろうことか、全国知事会までが一部の急進的道州制論者に引きづられて、あたかも道州制の導入に賛成であるかのような雰囲気がつくられつつある。

 私はいまや地方6団体を構成する地方自治体の首長や議長が「道州制反対」の声を上げるべき時だと思う。またそのような意思を持つ地方首長や地方議員を励ますために、「92条の会」といった党派を超えた国民運動を起こすべき時だと思う。憲法9条を堅持して平和外交を実現し、92条をまもって地方自治の本旨を実現する日本こそが、この「国のかたち」にふさわしい国政のグランド・デザインだと信じるからだ。