グータラ政権、グータラ政党の退場、(麻生辞任解散劇、最終回)

 今年の1月7日に「麻生辞任解散劇シリーズ」を書きはじめてから、今日で私の「麻生日記」もようやく最終回を迎える。正直言って、当初はこんな長いシリーズになるとは夢にも考えていなかった。麻生政権は総選挙のための単なる「ピンチヒッター」にすぎない。いや1イニングか2イニングさえ持てばよい「ワンポイント・リリーフ投手」であって、1年近くも持つとはとうてい思っていなかったからだ。

 だが予想に反して、麻生首相は頑張った。というよりは解散を決断できなくて、そうこうしているうちに「ここまで来てしまった」という方が正確だろう。だから日記のシリーズの表題を「麻生辞任解散劇」としたのは私の判断ミスで、「麻生解散辞任劇」といった方が正しかった。なぜなら麻生氏は、自民党のために首相を辞任して選挙に勝利し、政権政党としての地位を守るのではなく、自分の地位を守るために国会を解散し、挙句の果てに壊滅的な惨敗を喫して辞任するという破目になったからだ。

 今日の各紙紙面は鳩山内閣の閣僚人事一色で、もはや野党に下った自民党に関するスペースは片隅に追いやられて見る影もない。これまで民主党の政策に批判的な論調を張ってきた右派各紙のなかにも、早速「提灯持ち記事」があらわれるようになった。現金なもので、いつまでも民主党を批判していたのでは販売部数の減少につながるとでも考えたのだろう。

 しかし私は鳩山政権に対する各界のコメントや観測記事よりも、麻生政権や自民党の評価に関する記事の方に興味を惹かれる。それは、戦後半世紀余りにわたって政権を維持してきた自民党のような政党は、国際的に見ても「稀有の存在」であり、その政党が「いまなぜ崩壊したのか」について知りたいことが多過ぎるからである。

 だが私のような読者の関心に対して、日本の大新聞はなかなか応えてくれようとしない(応えることができない)。自民党議員のなかには新聞記者やニュースキャスター上がりの(幹部)議員が多いように、マスメディア自身が自民党議員の供給源の一つになってきたからであり、特権的で閉鎖的な記者クラブ制度と相まって、政財官各界とジャーナリズムとの癒着関係が長年続いてきたからだ。

 だから時々目を引くのは、外信欄の短い記事であり、世界各国の日本に対する論評だ。今回の選挙結果に対しても海外からの反響が多数寄せられていて、お馴染みの世界主要各紙の記事や論説がひと通り紹介されている。でも自民党崩壊に関する見るべき記事はそれほど多くなく、海外のメディアが日本の政党をどのようにみているのかについては、ほとんど情報がなかった。

 そんなかで、今日9月17日の朝日新聞国際版の「新政権特集記事」は面白かった。なかでもアメリカ総局長の「新政権を見る目」と題する記事が、全米各地の地方紙の論調を紹介している部分にとりわけ興味をひかれた。「今月は全米の新聞で、日本の政治を面白おかしく描く見出しや記事の表現が躍った。」との書き出しで、「世界で最も我慢強い民主主義、ついにキレた」(サンフランシスコ・クロニクル紙)、「日本のグータラ政権、放り出される」(ピッツバーグ・ポスト・ガゼット紙)との見出しを紹介しているのである。

 この記事を見た瞬間、「グータラ政権」「グータラ政党」と言う言葉ほど、いまどきの麻生政権や自民党を形容するにふさわしいものはないと感じた。最近の政治漫画には「寸鉄人を刺す」といった鋭い風刺漫画が少なくなったが、同様に「政治コラム」も「経済コラム」も書き手が選別されているせいか、当たり障りのないものが多い。一言で事態の本質を表現し、権力者や政権政党の肺腑を抉るような言葉は、いまのマスメディアのなかからは生まれてこないのである。

 私はいつか麻生氏を表現する言葉として「道楽者」という言葉を用いたことがある。でもさすがにそのときは「グータラ」という言葉は思いつかなかった。しかし麻生氏が「グータラ者」であり、自民党が「グータラ政党」だと判断すると、今回の自民党の歴史的大敗の原因がよく見えてくる。端的にいえば、麻生政権が惨敗した究極の原因は、その政策の打ち出し方でもなければ、演説の巧拙でもなく、要するに彼ら自身が「グータラ者」であり、「グータラ政党」になり下がっていたからに他ならない。

 昨日の特別国会を終えて出てきた自民党の元閣僚たちがこもごも語っていた発言に、「地方に戻ってやり直したい」という言葉があった。でも「やり直す」ことの意味はいったい何か。疲弊した地方を再生するための政治哲学や地域政策を持つことなく、ただ夏祭りや葬儀にこまめに顔を出すだけでは、表向きは「グータラ者」でなくなったとしても、「グータラ政党」としての本質は変わらない。

 長年にわたって財界の言いなりになり、官僚の筋書きに沿ってしか動けなくなってしまった彼らが、自分の頭と足で動き、「地方のため」に働く日がすぐにやってくるとはとうてい思えない。「グータラ政権」と「グータラ政党」は退場する他はないというのが、ここ一両日の感想である。