上半身と下半身がねじれた地方首長選挙の行方、(堺市長選と神戸市長選はどうなる、その1)

 民主党への政権交代が実現してからもう1週間近くになる。その政治的波紋は国内外に日に日に広がっているようにみえる。そのなかで「野党」になった自民党は、総裁選挙を通して「夢よもう一度」と訴えているが、何しろ政策転換のない世代抗争選挙なので、アピール力のないことおびただしい。

 小泉政権財務大臣を務めた谷垣禎一氏のスローガンは、「みんなでやろう」という旧保守丸だしの陳腐なもので、まるでかっての部落選挙レベルの古臭いものだ。「私たち日本人は、隣人との関わり合いを大切にし、皆で支えあって生きていく「絆」の精神を持っています。家族や地域の「絆」を感じながら、「みんなでやろう」という気持ちと生きがいを持って活動をすること。それが社会や経済を支えるすべての源だと考えます。「絆」の中でこそ、1人1人が持っている能力を十分に発揮でき、地域が活性化していくことができるのです。」というのが、立候補の弁である。若い世代にはわからないだろうが、これではまるで「二宮尊徳」ばりの修身教育のお説教ではないか。

 母子家庭手当の削減や高齢者医療制度の改悪など社会保障予算をズタズタに切り刻み、地方交付税の削減に大ナタを振るって自治体財政を破綻させてきた張本人が、こともあろうに「家族や地域の絆」の大切さを説くのだから、その身勝手さと無節操さに呆れるほかはない。だが谷垣氏の選挙地盤の丹後半島地域で自殺者が急増している現状を見るまでもなく、彼がそう言わざるを得ないほど地方の窮状には凄まじいものがあり、また今回の総裁選挙で地方票の比重が高いことが、彼をして心にもない「家族と地域の絆」を連呼させるのであろう。

 一方「世代交代」を叫ぶ河野太郎氏や西村康稔氏の主張はどうか。さしたる政治基盤もなく「若手票」を分散させるためだけに担ぎ出された西村氏はさておくとして、若手代表の河野氏の「小さな政府と経済成長主義」は、小泉政権時代と何ら変わることがない新自由主義政策そのものだ。河野氏の体質はまさに「リトル小泉」というべきもので、総裁選を利用して自民党内の保守的残滓を一掃して自民党新自由主義政党として純化させようとする狙いがはっきりしている。その意味で河野氏は、「自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉元首相の最も忠実な後継者といえる。

 このように、中央政界の構造や各議員の動きは比較的わかりやすいのに対して、複雑なのは地方政界の動きや首長選挙の動向だろう。地方政界は「オール与党体制」という言葉に象徴されるように、ほとんどの政党は中央政界の与野党対立構造とは関係なく、「オール与党」として議会運営に協力・加担してきた間柄である。京阪神の主要自治体などでは、自民党公明党民主党を中核にして、これに無所属や社民党までが加わるという完璧な与党体制が出来上がっていた。

 ところがここにきて、民主党が政権を担い自民・公明が野に下る情勢が現実の姿になると、「オール与党」としての行動基準しか頭になかった地方議員は右往左往することになる。それも地方議員選挙であれば、一応各政党の言い分を丸のみにして、あとは適当にドブ板選挙でごまかせばよいのだが、各政党が連立しなければ成功がおぼつかない首長選挙になると、そうもいかない。まして、民主党都道府県と政令指定都市首長選挙では「自民・公明との相乗り禁止」を打ち出しているというのだから、今までのように大っぴらに「相乗り」するわけにはいかなくなったのである。 
 もともと「オール与党」は「下半身が一体化」していて見分けがつかない。これら地方議員は、政党の如何にかかわらず思想信条も行動原理もほとんが変わることがない。与党としての利益配分にあずかり、それを自分と周辺に還元して議員としての身分を維持することだけを考えていればよかったのである。それが民主党への政権交代によって少なくとも「上半身」だけは、自民党公明党から切り離さなければならなくなった。いわば「上半身と下半身のねじれ状態」が生じたのである。

 この複雑な地方政界情勢に輪をかけたのが、投票日が9月27日に迫った大阪の堺市長選挙だ。堺市政令指定都市になってからそれほど時間が経っていないこともあって、地元のオール与党議員の間では民主党市議団も含めて「現職支持でいこう」と気軽に考えていたらしい。ところが民主党本部の意向もあって公然と現職を推薦することが難しくなり、民主党社民党も「実質支持」に切り替えた。ここまでなら従来通りの「オール与党」体制が続いているといってもおかしくなかった。

 ところが、昨年の秋までは現職を天まで持ち上げていた橋下知事が、ここにきて府政改革の中心にいた元部下の大阪府政策企画部長を突如市長候補に担ぎ出し、そればかりか自らが先頭に立って選挙運動の応援に乗り出したのだから、事態は一転して「与党分裂」の様相を呈することになった。おまけに橋下知事が6月に結成を呼びかけた「首長連合」のメンバーが代わる代わる選挙応援演説に立つというのだから、「相乗り候補」の現職は「楽勝ムード」とはいかなくなったのである。

 地元の市職員などからの情報によると、橋下知事首長連合の市長たちが応援演説を始めてから情勢は大きく変わり始めたのだという。場合によっては、首長連合推薦の橋下知事の元部下が当選しかねない雰囲気が生まれているとさえいうのである。いったい橋下氏や首長連合のメンバーたちは何を目的にして堺市長選に介入しているのであろうか。橋下氏の政治意図を分析するために、彼の最近の言動を検討しなければならない。

 橋下氏は当選すると、まず関西州の導入とその橋頭保としての「大阪府庁舎のWTC移転」を掲げて関西財界に急接近した。これは彼が中央政界へ乗り出す際の「名刺」になるもので、財界支援を仰ぐうえでの有力カードに仕立てようという狙いだ。また「大阪府庁舎のWTC移転」は、広大な埋立地の後始末とWTCの財政破綻に直面する大阪市政を取り込むための「決め玉」で、大阪府政と大阪市政を合体して関西州の中核となる「大阪州」をつくるための布石だろう。

 次に橋下氏が6月に結成した「首長連合」は、民主党政権マニフェストの「地域主権国家」への橋下氏一流のアプローチである。「地域主権国家」の実現のためには「地方分権改革」が必要であり、その第一線を担うのは「首長連合」だと売り込むためだ。そのため東国原氏をそそのかして知事会を「政党支持」(民主党支持)に巻き込もうとしたが、東国原氏の「自民党出馬総裁発言」で失敗したので、その代りに山気の多い手合いを集めて「首長連合」を立ち上げたというわけだ。

 目下のところは首長連合は10人にも満たない小集団だが、その顔ぶれを見ると、地道に議員活動を積み重ねて中央政界を目指すというよりは、時の勢いを駆って権力を握ろうとする山師が多い。今回の動きも知事には同調者が得られなかったので、主要都市の市長を網羅することによって政治的影響力を増す行動に出たということだろう。その第一歩目が、民主党本部の「相乗り禁止」を大義名分にして堺市長選に部下を立候補させたというわけであり、次の第二歩目は、10月11日告示の神戸市長選に立候補表明している人物に推薦を働きかけて、首長連合に参加させることだ。

 堺市長選の結果がどう転ぶかはわからない。しかしもし成功すれば、地方議員の「上半身と下半身のねじれ」を解消する受け皿になるかも知れない。地方議員が自民党からいきなり民主党へ変身するのは政治的に困難であっても、首長連合という政治集団の受け皿ができれば(そのときは何らかの政治グループ名称が付けられていることだろう)、まずはそこに身を移して再び与党席の一角に身を置くことができる。また自民党公明党の国会議席の回復が思わしくなければ、その系列化の地方議員は影響力を失うが、それも首長連合グループに参加することによって避けることができる。

 橋下知事は、大阪府議会で府庁舎のWTC移転案を否決されたのを契機に、知事選挙のときの支持政党である自民(一部は分裂したが)・公明両党との距離を急速に遠ざけている。その一方で民主党に急接近し、新政権の補正予算凍結にも全面的に協力する姿勢だ。また橋下氏の言動は、新しい原口総務大臣の右派的(極右)体質にも非常に近いものがあって、彼なりに「チャンス到来」と判断しているのだろう。秋の府議会に[WTC移転案」を再提案するのはそのためで、その前段として自民党会派を分裂させて弱体化させ、公明党を引き入れる策動の一環として堺市長選を利用しようとしているのである。

 堺市自民党も一時ほどの力はない。まして総選挙で惨敗した直後の市長選である。その後遺症が消えていないばかりか、政党支持率も10%台に落ち込んでいるので、支持者たちもかってのように動かないという。さらに混迷を深めているのが公明党だ。なにしろ党の幹事長を落選させてしまったのだから、その意気消沈ぶりは並大抵のものではない。公明党の支持率もこのところ急低下しており、創価学会会員の高齢化も加わって、思うように動かないのが実態らしい。

 自民・公明推薦、民主・民社実質支持の現職候補が敗れれば、総選挙後の全国各地の地方議員選挙や首長選挙への影響は計り知れない。堺市長選の次は神戸市長選さらには来年春の京都府知事選など、今後地方政界の「上半身と下半身のねじれ」は思いもかけない波紋を描きながら、次第に激しさを増してエネルギーの放出を続けるものとなるだろう。(続く)