鴨緑江鉄橋からみた北朝鮮大洪水災害の前兆、(近くて遠い国、北朝鮮への訪問、その5)

この数日間、鴨緑江周辺で豪雨による大洪水災害が発生したとの報道が相次いでいる。中国の新華社電によれば、北朝鮮朝鮮中央通信は、21日午前0時から午前9時の間に300ミリの大雨が降り、中国と北朝鮮の国境を流れる鴨緑江が氾濫して、新義州市では住宅や農地などが「100%浸水した」と報じた。その様子は「水面から建物の屋根だけ見え、被害住民らは屋根に上がってただ眺めるだけ」という茫然自失の状態で、金正日総書記の命により朝鮮人民軍が緊急出動して5千人以上の住民を救出したという。また対岸の丹東市でも9万4千人超が緊急避難した(朝日、日経、8月23日)。

改めて各紙の報道をみると、8月19日から21日にかけて流域に600ミリ近い大雨が降り、鴨緑江が15年ぶりに氾濫して、中国側の丹東市と北朝鮮側の新義州市で大きな被害が発生したのだという。また鴨緑江河口の中州にある「黄金坪」と呼ばれる北朝鮮有数の穀倉地帯や、中国企業を誘致し「貿易地区」として開発計画を進めようとしていた「威化島」も完全に水没したらしい。これは慢性的な食糧不足に悩んでいる北朝鮮にとっては大打撃であり、また威化島の開発計画の中断は、金体制下における経済危機をますます激化させる要因になるとの観測が流れている。

だがその前兆は、私たちが鴨緑江鉄橋を渡った8月3日の時点ですでにあらわれていた。中国中央テレビによると、鉄橋周辺の流域では、7月下旬から8月上旬にかけて何度も断続的な集中豪雨が襲ったと報道されている。また5日の特集番組は、鴨緑江豆満江松花江流域の降雨量が史上最高水準を記録し、鴨緑江上流の水位が危険水位を越えて氾濫の恐れがあると伝えた。鴨緑江下流遼寧省にも4日から豪雨が降り、新義州と隣接する丹東では鴨緑江周辺の住民たちが緊急待避したと伝えた。まさに私たちの旅行は危機一髪だったのである。

鴨緑江鉄橋を列車が通過するとき、とくに私たちの目を引いたのは、車窓から見えてくる鉄橋付近の中国側と北朝鮮側の堤防構造と護岸工事の著しい格差だった。丹東側の堤防の盛土は高く、沿堤はコンクリートパネルで覆われていたが、新義州側の堤防の盛土は低く、また河川敷も自然のままだった。河川の自然環境を重視する最近の日本なら、重装備した三面張のコンクリート護岸工事や盛土の高い(スーパー)堤防構造はあまり評価されないだろう。だが、ことは中朝国境を流れる大河川の鴨緑江である。両岸の都市が中朝貿易の戦略的要衝であることを思えば、洪水や水害を防ぐための治水工事は最重視されなければならず、新義州側の堤防構造や護岸工事もそれに見合うものでなければならないはずだ。

8月3日時点で丹東側の堤防には目立った損壊個所はなかった。しかし新義州側の堤防と河川敷は、すでに鉄橋から目視できる範囲だけでもあちこちで破損しており、数日前の洪水が与えた傷跡がくっきりと見て取れた。河川敷は濁流によって草木がなぎ倒されたままで、堤防に隣接した市街地では一部に冠水した箇所も認められた。北朝鮮側の堤防が低いため鴨緑江の増水した濁流が新義州側に流れ込み、堤防が各所にわたって相当なダメージを受けていたのである。しかし資材不足で応急復旧工事もままならないので損壊個所がそのままの状態で放置され、そのことがその後に発生した大洪水によって新義州全域に災害を拡げる原因になったことは間違いない。

中国の報道は鉄道の被害状況には触れていないが、自動車交通は何とか維持されていると伝えている。中国が北朝鮮の洪水災害に対して復旧支援を約束した以上、建設資材や生活物資を北朝鮮に緊急輸送しなければならないが、そうなるとこの鴨緑江鉄橋の復旧状況は死活問題となる。だがそれが報道されていないことは、鉄道施設が何らかの被害を受けたことを推測させる。

(これは公式報道ではないが、目下、丹東から北朝鮮への鉄道入国が停止されて、8月中は列車が運休し、9月以降の再開も未定だそうである。ただし瀋陽・北京からピョンヤンへの高麗航空は平常通り運行している)。

しかし8月26日、韓国政府高官が金正日総書記の特別列車が中朝国境を越えたと述べたことは興味深い。その経路が5月に訪中したピョンヤン新義州を結ぶ平義線ではなく、ピョンヤンから満浦を経て中国の集安に渡る貨物線だったからだ。訪問先が満浦駅から近い吉林省だということもあるが、この経路変更は、平義線に何か大きな異常が発生したことを物語るものではないか。8月27日の「デイリーNK」(申周鉉記者)は、「金正日訪中は満浦市住民にも分からなかった」というタイトルで、次のように伝えている。

「今回の訪中は、北朝鮮内部にも徹底的に秘密にされていたことが分かった。特に出発地の慈江道満浦にも徹底した極秘裏に行なわれた満浦と隣接した慈江道の消息筋が伝えてきた。この消息筋は「将軍様の1号列車が満浦を通過した事実を全く知らなかった。25日の夜は平常時と変わること無く、満浦市で重要な会議が開催されるために警備が強化されたという話だけを聞いた」と伝えた。「将軍様が満浦経由で行くとは誰も考えない。汽車を利用して満浦に来る事も全く無い。昨年の現地指導も車を利用した」と話した。中朝を結ぶ鉄橋は新義州―丹東、南洋―図們、満浦―集安の3つだ。この中で満浦路線は貨物の運送が主な用途で、専用列車の運行は行なわれていなかった。金正日の海外訪問は、もっぱら帰国後に宣伝メディアが公開するのが慣例である。北朝鮮住民が事前に事実を知ることは難しい。しかし、新義州経由の訪朝は安全の確保、また、保衛部要員だけでなく平壌から派遣された警護が鉄道の周辺に大挙として配置され、住民が訪中を察知する可能性が高い。しかし、今回は徹底した保安を維持し、満浦住民でさえも全く分からなかった」。

北朝鮮が大洪水災害を受けている最中に、金総書記は一体何のために訪問したのか。しかも訪問先の中国吉林省自体が今回の豪雨で78万人もの被災者を出しているという非常事態のもとである。(つづく)