平義線沿線の農地・農村・農民のリアルな情景、(近くて遠い国、北朝鮮への訪問、その6)

新義州からピョンヤンに至る平義線の沿線一帯は、山岳地帯が国土の大半を占める北朝鮮のなかでも比較的平地部が多く、その多くは水田地域になっている。とりわけ新義州周辺は穀倉地帯と言われ、慢性的な食糧難に直面している北朝鮮にとっては、いわば一国の「食糧基地」ともいうべき重要な位置を占めている。

いまから15年前の1995年8月にも、新義州とその周辺地域では800ミリを超す集中豪雨によって大水害が発生し、これが引き金となって全国各地の農村で100万人単位の餓死者を出すという空前の大飢饉が発生した。国家の備蓄米の緊急放出も十分でなく、米や穀物配給制度がほとんど機能しなくなり、農民は自らの努力で食料を調達しなければならなくなった。それが不可能な農家では、幼児を含めて餓死者が続出するという悲惨きわまる状況に追い詰められたのである。

私の実家が農家だったのでよく知っているが、8月前後のこの季節は稲の生育にとってとりわけ重要な時期だ。強い日光と安定した水質・土壌・肥料の管理が要求される。しかしそれが冠水や干ばつなどの災害によって妨げられると、稲の生育が著しく阻害されるばかりか、その後に広範な病害虫の発生を招いて水田全体が枯れてしまうことも珍しくないのである。

私たちの列車が通過した時点で、平義線沿線の水田地帯はすでに多くの場所で水害の兆候が顕著だった。7月後半の豪雨によって畦道や用水路が各所で寸断されており、広範囲の水田がかなり長期にわたって冠水していた様子だった。稲の生育状況が際立って悪い水田が連続していたのはそのためであり、それから2週間も経たないうちに、沿線地域は再び豪雨と大洪水に見舞われたのである。

事態は極めて深刻だと思われる。私は車窓から間近に見える農村や農民の姿を見て、率直にいって激しい胸のうずきや痛みを抑えることができなかった。そこに流れている光景は、終戦直後の日本の農村風景(あるいは写真でみた昭和初期の農村風景)のそのままの再現だったからだ。まず道路がいっさい舗装されていない。村と村を結ぶ幹線道路も例外なく土道だった。ただ地方中心都市の一部区間だけが(穴ぼこだらけの)舗装道路だった。

だがそれにも増して衝撃的だったのは、ほとんど全ての住民が、それも重い荷物を背負ってただひたすら歩いている光景だった。男性も女性も、若者も高齢者も、小中学生も農民もすべてが歩いているのである。もちろん自転車もないことはなかったが、全体の8割が歩行者、1割強が自転車、そして残りの数パーセントがトラックや乗用車といった割合だろうか。人を運ぶ交通機関はもとより、農産物や生活必需品を運搬する必要最小限の運送手段ですら皆無に近い。これではまるで「中世の農村」だといっても過言ではないだろう。

また道路の至る所で補修工事(らしきもの)が行われていたが、全てが手作業で建設機械はまったく見られなかった。このことは農村ではもちろんのこと、地方都市や大都市でもすべて同様だった。ハンマー、ドリル、ウインチ、ポンプなどの初歩的な建設機械もなく、ショベルカー、クレーンカー、トレーラー、ダンプカー、ブルドーザー、ミキサカーなどの大型重機はいうまでもなく影も形もなかった。いわゆる「ツルハシとモッコ」の世界なのだ。

暑いさなかの屋外労働だから酷く疲れるし、それに栄養状態もよくないのだろう。3人に1人は道端の木陰で腰をおろしてしゃがんでいたし、歩いている人たちも仲間が固まってあちこちで休んでいた。中には持っていた袋を開けて何かを売っている人もいた。ひょっとすると道端で物々交換していたか、「ミニ市場」でも開いていたのかもしれない。

これでは災害復旧工事など事実上不可能だといわなければならないだろう。まず復旧工事のための労働力が圧倒的に少ないし、おまけに建設機械も重機も何もないのだから労働生産性はおそろしく低い。人民軍が復旧工事のために動員されるというが、今回の被害の大きさと深刻さからいって軍隊がすべてをカバーすることなどおよそ不可能だ。

今回の異例ずくめの金正日総書記の中国電撃訪問は、当初、9月上旬に予定されている後継者問題の地ならしのためだと観測されており、主目的はその通りだろう。「金王朝」といわれる北朝鮮体制にとって世襲後継は不可欠であり、世襲体制を是認していない中国にそのことを「黙認」させることが、今後の労働党代表会などの国内会議を乗り切っていくうえで欠かせないからだ。しかしわざわざピョンヤンを訪れたカーター元米大統領を袖にしてまで、なぜ中国に電撃訪問する必要があったのか。

8月28日の毎日新聞は、その理由として「国内不安定化の兆し」と「経済支援取り付け急務」を挙げ、金正日総書記が後継者への権力継承をスムーズに進めるために、中国側から大規模な投資を含む経済協力を取り付けようとする意図があったと指摘している。しかしこの5月訪中で取り付けたとされる、北朝鮮鉄道網の抜本的整備の約束もまだ実行に移されていない矢先、災害復旧支援を含めたさらなる経済支援要請がそうやすやすと実現されるなどとは到底思えない。

中国側の目下の試算によれば、北朝鮮の食糧事情は悪化の一途をたどっており、200万トンの穀物支援がなければ大量の餓死者が出るという深刻な状況だという。それをさらに新義州で発生した大水害が追い打ちをかけているのだから、金正日総書記がなにをさておいても中国へ行かなければならなかった理由は明らかだろう(朝日、8月28日)。(つづく)