菅政権のダッチロール(その6)、北朝鮮の軍事的挑発行動をどうみるか、「飼い犬」に手を噛まれた中国、その2 

アムネスティ講演会において、講師(アジアプレスのジャーナリスト)が繰り返し強調したのは、北朝鮮の独裁体制は世界でも類を見ない特異な専制体制であり、群を抜いた完成度をもつ抑圧体制だというものだった。その象徴が、1974年に決定された「党の唯一思想体系確立の十大原則」(1974年朝鮮労働党中央委員会決定)であろう。

恥ずかしいことに、私は「主体思想」については薄々知っていたが、「唯一思想」に関しては北朝鮮を訪問するまで深く考えたことがなかった。だが金日成肖像画に取り囲まれた鉄道駅の空気を吸ったとき、そしてアリラン祭の練習のために千人単位の女性や子どもたちが炎天下の人民広場で何時間も練習させられている光景をみたとき、「唯一思想」がどれほど国民に浸透(洗脳)させられているかを痛感せずにはいられなかった。

たとえば「党の唯一思想体系確立の十大原則」のなかには、次のような原則が列挙されている(全部を並べると気分が悪くなるので抜粋にとどめる)。たとえば、「偉大な首領金日成同志の革命思想で、全社会を一色化するために命を捧げて闘争しなければならない(第1原則)」、「偉大な首領金日成同志の権威を絶対化しなければならない(第3原則)」、「偉大な首領金日成同志の教示の執行において、無条件性の原則を徹底して守らなければならない(第5原則)」、「偉大な首領金日成同志が開拓された革命偉業を、代を継いで最後まで継承し完成していかねばならない(第10原則)」などなど、「一色化」「絶対化」「無条件」「代を継いで」といった言葉がズラリと並んでいるのである。

また、各原則には詳細きわまる解説が添付されていて、たとえば第4原則の「偉大な首領・金正日同志の革命思想を信念として受け入れ、首領に教示を信条化しなければならない」の項目には、以下のような「絶対服従マニュアル」が列挙されている。

「偉大な首領・金日成同志の革命思想を学ぶ学習会、講演会、講習をはじめとする集団学習に欠かさず誠実に参加し、毎日二時間以上学習する規律を徹底的に打ち立てなければならない」
「偉大な首領・金日成同志の教示浸透体系を徹底して確立し、けっして歪曲して伝達したり、自分なりの表現で伝達するようなことがあってはならない」
「偉大な首領・金日成同志の教示と個別の幹部の指示を厳格に区別し、個別幹部の指示に対しては首領の教示に立脚したものであるかを確認して、もし少しでもそれと食い違うときには、即刻問題を提起して闘争しなければならず、個別幹部の発言を「結論」であるとか、「指示」であるとかして組織的に伝達したり、意図的に討論することがあってはならない」
「偉大な首領・金日成同志の教示をすなわち法として、至上の命令として受け止め、どのようなささいな理由も口実もつけることなく、無限の献身性と犠牲精神を発揮して、無条件に徹底的に貫徹しなければならない」
「偉大な首領・金日成同志の教示と党の政策について、誹謗中傷したり反対するような反党的行動に対しては、寸毫も融和・黙過してはならず、これと厳しく闘争しなければならない」

要するに「唯一思想」の体現者である金日成、そしてその世襲代理人である金正日金正恩を絶対化し、その指導下にある労働党の指示命令に無条件に従うというのが「十大原則」なのである。だから北朝鮮の独裁体制は「一党支配」ではなくて「一人支配」であり、金日成の「唯一思想」を一子相伝した金正日金正恩による「個人独裁」でなければならない。

私は金正恩が後継者として姿を現したとき、彼の年齢と経歴の浅さからして、北朝鮮は今後「集団指導体制」をとらざるを得ないだろうと考えていた。中国や韓国のメディアもほぼ同様の見方をしていたように思う。だが今回の軍事挑発行動は、金正恩を「唯一絶対の指導者・支配者」として世襲権力を確立しようとするあからさまな意図を示すものとなった。

金正日金正恩は、その第一歩として情報統制が比較的容易な軍隊(それも軍事境界線に配置された軍隊)を選び、徹底的に計画された軍事挑発を通じて緊張を高め、軍内部で金正恩を「戦略的な天才」・「大胆な指導者」として偶像化していく作業に着手したものと思われる。そして今後、この種の軍事挑発行動を繰り返しながら、金正日の「目の黒いうち」に世襲権力を確かなものにしていくプログラムを遂行していくものと思われる。

しかし問題は、中国と北朝鮮の一般国民だ。中国にとっては金正恩金正日と同じような「唯一絶対の支配者」に成長することは好ましくない。しかしそれでも権力世襲を認めたのは、金家族や側近による集団指導体制のもとで中国の意向を反映できると踏んでいたからだ。中国の「安定支配」の枠内に金正恩体制を封じ込めることができれば、敢えて世襲に反対することもないというのが中国の基本スタンスだった。だが、金正恩が「中国の飼い犬」にならないで「狂犬」に変貌するかもしれないとなると、話は別だ。中国は現在のところ北朝鮮に自制を求め、ことを穏便に収拾させようとしているが、それで収まらないような事態に発展してくると今までのような態度では済まされなくなる。

一般国民の方はもっと深刻だ。今回の軍事挑発行動によって韓国からの支援活動は一切受けられなくなった。新義州の大水害にたいする支援物資は一部北朝鮮側に渡されているが、丹東で荷積みを待っていた食料やセメントなどの救援物資は全て輸送中止となった。迫りくる冬将軍を前にして食料も燃料もない被災者や一般国民は、いったいどうして冬を越せというのか。

少なくとも食料を配給されている軍隊や幹部には、「唯一思想」は通じるかもしれない。だが自前でヤミ市場からその日その日の食料を調達しなければならない一般国民にとっては、「唯一思想」は「死ね」ということと同じことだ。「人はパンだけでは生きられない」というが、「パンがなければ生きられない」ことの方がより上位の法則であることは間違いない。

金正恩体制が「いつ」破綻するか、それはわからない。しかし「いつか」、それも「遠からず」破綻することは間違いない。ひとつは中国からの圧力によって、もうひとつは「唯一思想」からの国民の離反によって。