「安全原則」を頂点とするか、「暮らし・なりわい原則」を上位にするかで、岩手県復興計画はガラリと変わる、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その4、高台移転計画への疑問)

「安全原則」を頂点とするか、「暮らし・なりわい原則」を上位にするかで、岩手県復興計画の性格は大きく変わる可能性がある。というのは、岩手県復興計画の正式名称が「岩手県東日本大震災津波復興計画」とあるように、復興計画の最大の眼目が“津波対策”に置かれ、そこから「津波対策=安全第一主義」という復興原則が導かれているからだ。

津波は確かに怖い。津波への恐怖感は男女差や年齢差も大きい。しかしその頻度が百年に一度、千年に一度ということであれば、これを「絶対的恐怖」(免れることができないと人々が感じるほどの絶対的恐怖)のレベルから解き放ち、「相対的恐怖」(注意すればなんとか免れることもできると思える相対的恐怖)のレベルまで津波対策の視野を広げることも可能になるのではないか。

これまでの津波対策は、端的にいえば「大津波が来ても巨大防潮堤を築けば災害を(絶対に)防ぐことができる」という“ハコモノ計画主義”だった。この防災コンセプトは、津波の脅威は鉄とコンクリートの防災施設で解消できるとする国や専門家の「安全神話」によって権威付けられていた。

こうした「安全神話」にもとづく防災計画は、土建国家の中心にいた族議員や建設官僚、ゼネコンなどにとってはまことに都合のいい手段であり存在だった。小沢氏が岩手県で「小沢王国」を築くことができたのも、「安全神話」とハコモノ計画主義を最大限活用して政治資金と政治基盤の培養に励んできたからに他ならない。

ところが、今回の大震災で巨大防潮堤がいとも簡単に破壊・損傷することが明らかになった。土木技術的な「安全神話」が崩壊し、国家の財政難も加わってハコモノ計画主義が頓挫せざるを得なくなったのである。そこで「防災」から「減災」へと計画コンセプトが修正され、防潮堤の高さは「百年級の津波」(百年あるいは百数十年に1度ぐらいの確率で発生する大津波)に対応できるものと定められた。そしてそれ以上の大津波に対しては、国や専門家は「逃げるしかない」とギブアップしたのである。

問題なのは、津波対策のコンセプトが「防災」から「減災」へ修正されたにもかかわらず、その前提となる人々の津波への恐怖感を修正しようとする努力が意識的になされてこなかったことだ。大津波の直後ということもあって恐怖の記憶が生々しく、それどころではなかったという無理からぬ事情もあったであろう。しかしそうであるならば、まずは「暮らし再建」と「なりわい再生」に全力を傾注して被災者の平常心を取り戻し、然る後に津波対策を考えてもよかったのではないか。

「安全第一主義」にもとづく防災計画が、人々の津波への恐怖感に真正面から対応(対決)しようとする旧来の計画コンセプトであるのに対して、「逃げる」ことも視野に入れた“減災計画”は、津波への恐怖感を婉曲的に相対化しようとする新しい計画コンセプトだと解釈することもできる。津波から「絶対に助かる」方法はないのだから、「何とか助かる」方法をいろいろと考えなければならないことがようやくわかってきたのである。

そう考えると、復興3原則のなかで「安全原則」を無条件に最上位に置き、安全第一を大前提にして復興計画を組み立てることが果たして適当なのかという疑問が改めて湧いてくる。当面は(そしてこれからも)「何とか助かる」方策をいろいろと講じながら、まずは「暮らし再建」と「なりわい再生」に全力を傾注することの方が、はるかに被災者や被災地のニーズに合うと考えられるからである。

この点に関しては、政府の復興構想会議提言をはじめ、今回の復興計画の“切り札”として提起された「高台移転計画」には疑問を感じることが多い。想定外の大津波に対しても「安全」であるような高台への移転計画は、従来の巨大防潮堤と同じく、津波への「絶対的恐怖」を前提とした旧来の防災計画の範疇でしかない。適当な高台が近傍にあればそれに越したことはないが、三陸海岸のような複雑な地形の沿岸地域では、そのような適地がないことははじめから分かり切っているからだ。

このことは、最近になって国から発表された南海トラフ巨大地震による最大津波高の予測数字を見れば一層よくわかる。20メートルから30メートルにも達する大津波に対して東海地方、紀伊半島四国地方の沿岸市街地や漁業集落を「高台移転」させることなどおよそ不可能であることは誰もがわかっている。まして河川沖積層の上に広がった膨大な大都市市街地を「高台移転」させることなど、荒唐無稽な発想以外の何物でもない。

一方では「巨大防潮堤では大津波を防げない」とハコモノ計画主義の限界を認めながら、他方では「大津波でも絶対安全な高台移転計画」という新たなハコモノ計画を持ち出す。表向きは「減災」といいながら、裏では「防災」に固執する。この国の為政者や(土木)専門家の言うことは、まったく支離滅裂という他はないが、国の予算や補助金に頼らなければ何ひとつできない被災自治体ではそれに従う道しか残されていないのだろう。

これは現地で大手土木コンサルタントの某幹部から実際に聞いた話だが、国土交通省が70億円余りの予算を組んで実施した被災地調査は、(事前の予想通り)ほとんど全てが大手土木コンサルに発注されたという。現在、各地の調査報告書が少しずつ公開されてきているが、聞けばその内容は「土木事業博物館」ともいうべき土木防災事業のオンパレードだ。高台移転のための急峻な地形を無視した宅地造成計画、地盤・道路の大規模な嵩上げ計画、そして集団集落移転計画など、美しいリアス式海岸が見る影もないまでに大改造されることになっている。

これではまるで「日本列島改造論三陸版」であり、北海道奥尻島の防災事業を三陸海岸一帯に広げたものでしかない。そこに展開されているのは“臓器移植型手術”ともいうべき自然と人間の摂理を無視した被災地の大外科手術であり、「医者(ゼネコンや建設官僚)のための手術」でしかないのではないか。結果は「手術は成功しても患者が死んでしまう」ことにもなりかねないのである。(つづく)