菅政権のダッチロール(その7)、民主党は「偽装政党」だったのか

 昨日12月6日、臨時国会終了後の菅首相の記者会見を聞いて、「民主党はもはや政権政党の体をなしていない」と思ったのは私だけではないだろう。テレビの街頭インタビューでも、人びとは「菅さんが何をいおうとしているのかさっぱりわからない。フニャフニャ言わないではっきり言ってほしい」と鋭い意見を述べていた。まったく同感だ。

 今期の臨時国会は辛うじて補正予算を通しただけで、それ以外は柳田法相の辞任、仙谷官房長官と馬渕国交相への問責決議可決など、民主党政権には散々な結果に終わった。それに岡田幹事長が野党各党に約束した「国会会期中の小沢招致」も依然として五里霧中の中だ。「有限実行」を掲げた菅内閣の看板はいったいどこに行ったのか。

 菅首相に(本来の)政治家としての矜持やリーダーシップが欠落している原因として、彼自身の個人的資質や志の低さを挙げることは簡単だ。だが世襲議員でもなく有力労組の役員出身でもない一介の「市民運動家」が、政治権力の頂点まで上り詰めるのは容易なことではない。その意味では、彼はむしろ「非凡な能力」を持っていたというべきだろう。

 問題は、その「非凡な能力」がどのような場面で発揮されてきたかということだ。その時々の政治情勢に応じて政党から政党へ渡り歩き、いつの間にか「日のあたる場所」に然るべき位置を占めている政治家は珍しくないが、その中でも菅氏は群を抜いた存在として知られている。リスクのある前面には決して出ないで、いつでも転進(後退)できる「第4列」にいたという伝説が生まれる所以だろう。

 だが今となって思い返してみると、政権交代時の民主党マニフェストはそのほとんどが「偽装」だったのではないかと思えてくる。それどころか、民主党という政党そのものが「偽装政党」ではなかったのかという疑惑さえ浮かび上がってくる始末だ。要するに自民党から政権を奪い取るために、中身は別にして「それらしき体裁を整えた」というだけのことではないか。

 その出発点は、すべて小沢自由党と鳩山・菅民主党の「民由合併」にある。「水と油」といわれた両党がそもそもなぜ合併できたのか。政党は意志と政策を同じくする政治集団・政治結社である以上、連携や連立はともかく余程のことがなければ合併できるものではない。それが易々と合併したのだから、その時点で、私たちはそれが「本物」か「見せ掛け(偽物)」かをもっと疑って然るべきだったのだ。

 小沢自由党自民党エキス満載の「油」だったことは誰もが知っている。しかし鳩山・菅民主党のほうはどんな「水」なのか当時はわかりづらかった。おそらくその実態は、雑多な渡り鳥たちが一時的に寄り集まってつくった「闇汁」だったのであろうが、そのときは何となく「それらしく」見えたのである。

 雑多な「烏合の衆」とも言うべき渡り鳥たちを束ねた錦の御旗が「政権交代」だった。蓮ほう議員の「大活躍」を見るまでもなく、権力の座はとかく眩しいものだ。とりわけ政権与党の場合は、辻元議員でも目が眩むほどだといってよい。「政権交代」(だけ)が目的で集まった「民由合併」の立役者たちはとりあえずその目的は達した。だが問題はその次だった。

 「政権交代」を実現するためには、自民党に愛想を尽かしていた国民に対してその必要性をアピールしなければならない。民主党が耳障りのよい大盤振る舞いのマニフェストを掲げたのはそのためだ。しかし当たり前のことだが、政権与党になってみると、今度はそのマニフェストの実現を要求されることになる。とはいえ、景気が低迷し税収が思うように上がらない状況下では、無い袖は振りたくても振れない。

 ここで「水と油」、「烏合の衆」の集まりである民主党の正体が前面に出てくる。メリハリをつけた予算編成をしなければならないにもかかわらず、安全保障問題にしても農業政策にしても悉く意見が違うので党内の収拾がつかない。鳩山前首相が政権を投げ出し、菅首相が立ち往生して何もできないのは、彼らの能力や資質にも原因はあるが、より基本的には民主党という政党そのものが政策的にも組織的にも整合性の無い矛盾に満ちた存在であるからだ。

 政党という政治結社は、立党の基盤として「政治綱領」を持っている。政治綱領の無い政党なんてそもそも存在できないと考えるのが近代民主主義政治の常識だ。しかし、日本の政権与党である民主党は未だに政治綱領を持っていない。本来ならば、「民由合併」の時点で民主党としての政治綱領を作るべきだった。出来なければ、新しい政党など作るべきではなかったのである。

 私は、政治綱領も定立できないような政党は「偽装政党」だと思う。だが有権者もマスメディアもそのことを厳しく指摘しなかった。そしてあたかも「政権交代」が可能な2大政党体制が成立したかのような空気をバラ撒き、民主党の誕生を天まで持ち上げたのである。

 そのツケが早くも日本全体を覆っている。民主党政権だけの危機ではない、日本全体の政治危機だといわれるのはそのためだ。これだけ不人気な菅首相の首を挿げ替えられないのは、それが個人的問題でなく民主党自体の存立基盤にかかわる問題であり、そのような偽装政党に政権を委ねた政党政治の危機でもあるからだ。(つづく)