石原新党の狙いは保守大連立政権樹立への導火線と起爆剤を仕掛けることにある、(大阪ダブル選挙の分析、その11)

 本当かウソかは知らないが、12月3日の産経新聞は、石原新党の基本政策(草案)の概要を報じた。極右政党の機関紙を目指している産経新聞のことだから、「好機至れり」として“誇大宣伝”に打って出たのかもしれない。

 しかしそれにしても、その内容たるや「憲法9条改正による国軍の保持」、「軍事産業の育成と核武装」、「国家公務員3分の1削減」、「首相公選制」、「皇室男子継承」、「平成版教育勅語起草」などなど、戦前はおろか、まるで1世紀以上も前に時計の針を戻したような項目がズラリと並んでいるのだから驚く。

 こんな時代錯誤の政策をもし本気で考えているとしたら空恐ろしくなるが、それがまるきり「虚構の話ではない」と思わせるところに、石原新党の狙いと役割があるのだろう。それほど現在の政局は「出口のない膠着状態」に陥っているからだ。

 当初、石原氏は橋下氏や大村氏との「大都市首長連合」を掲げて、「地方から中央をぶっ壊す」と言明していた。ところがここにきて、平沼氏などとともに右寄り急旋回を始めたのはなぜか(ただし、産経報道がウソでないとすればの話であるが)。

 私は、石原氏の本当の狙いは「第3極」を立ち上げること自体にあるのではなく、その“振り”をすることで(あるいは部分的に実行することで)、「2大政党制をぶっ壊す」ことにあると睨んでいる。要するに、民主・自民両政党の目先の権力争いに終止符を打ち、財界直轄の“保守大連立政権”を樹立するための導火線や起爆剤として「第3極」を打ち出しているのだと思うのだ。

 理由はいくつかある。まず「産経広告」のような時代錯誤の基本政策では、新自由主義バリバリの大阪維新の会みんなの党石原新党に「乗れない」と思うからだ(国民新党もあやしくなるだろう)。グローバリゼーションや地球市民社会を幻想と断じ、「一国家一文明」を唱えるような国粋主義は、なによりも日本を従属的な経済・軍事同盟に縛りつけておこうとするアメリカの戦略にも反する。こんな国粋政党に政治資金を出す財界(グローバル企業)はいまどきいないのではないか。

 そうなると、大言壮語するばかりで自らの手足を持たないような政党は早晩存在感を失い、マスメディアにも相手にされなくなる。石原新党たちあがれ日本と同じく、「立ち枯れ日本」へ没落していく以外に道がなくなるのだ。

 石原氏もバカではないから、まさかこんな自滅作戦は選択しないと思う。となると、残る選択肢は大阪維新の会等との連携になる。しかし維新の会顧問の堺谷氏などは石原氏との「抱き合い心中」を極度に警戒しているので、なかなか新党結成には踏み切らないだろう。「産経広告」の後ではなおさらのことだ。

しかし「石原新党」になるか「橋下新党」になるかは別にして、何らかの形で「第3極政党」が出てくることはまず間違いない。なぜなら「第3極政党」の狙いと役割は、独自の政策を持った自立した政党の擁立ではなく、その策動を通じて「保守2大政党制をぶっ壊す」こと、すなわち政界大再編の機運をつくることにあるからだ。

次期総選挙では、「第3極政党」の国会進出によって民主・自民両党を横断する政界再編の大波が襲うだろう。そして財界直轄の大連立政権の樹立によって、消費税増税、TPP参加、比例代表制廃止、年金・社会保障改革、憲法改正、沖縄軍事基地再編など、長年の財界懸案事項が次々と実現に移されていくことになるかもしれない。

石原新党や橋下新党などへの目下の動きは、所詮「目くらまし策動」の一環に過ぎないのだから、それにだけ目を奪われることは要注意だ。問題は、その背後に流れる財界直轄の大連立政権樹立への策動にある。この動きに対抗するためには、これまでの革新政党間の共闘に加えて、新たに広汎な革新的市民層が参加できる「革新版救国戦線」構築の準備が求められると思う。「極右第3極」の動きに対抗する「革新第3極」の構築である。

「革新第3極」への準備は、目下のところ必ずしも政党結成の形をとる必要はない。「ラウンドテーブル」(円卓方式)で革新諸派が自由に話し合う場をつくり、そこから全国民・全世界に対して「国のかたち」を問うメッセージを継続的に発していけばよいのである。いわばマスメディアも巻き込んで「国民総討論」の場をつくり、世論動向を左右できるぐらいの情報発信力を持てるようにすればよいのである。「9条の会」の面々をはじめ、いまこそもっと広汎な人たちが立ちあがるときだ。傍観座視して日本を「立ち枯れ」にしないためにも。