道州制導入をめざして政府、財界・野村総研、村井知事が結ぶ“太い絆”、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(4)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その21)

東日本大震災からの復興、とりわけ甚大な被害を受けた東北3県の1日も早い再生を願うのはひとり日本国民だけではない。海を超えた数多くの国や地域からも、無数の人びとの深い思いが同じように寄せられている。その気持ちを象徴する言葉が“絆”(きずな)であり、宮城県復興計画のサブタイトルも「宮城・東北・日本の絆、再生からさらなる発展へ」となっている。

だが、宮城県復興計画の策定プロセスを追えば追うほど、政府や財界、野村総研と村井知事を結ぶ“太い絆”がくっきりと浮かび上がってくる。このことは、野村総研(NRI)が村井知事を「全面支援」しているのだから当然といえば当然のことだが、それにしてもこれほど政府や財界との密接な連携プレーによって策定された自治体計画の前例は寡聞にして知らない。なかでも村井知事にとって「晴れの舞台」になったのは、首相官邸で13回(2011年4月14日〜11月10日)にわたって開催された東日本大震災復興構想会議だった。

復興構想会議は、閣議決定(2011年4月11日)にもとづき設置された首相の諮問機関(審議会)であり、設置目的は「復興に向けた指針策定のための復興構想について幅広く議論を行う」、「会議の議論の結果を復興に関する指針等に反映させる」というものだ。同会議は、現職の防衛大学校長が議長を務めるという異例中の異例の審議会であったが、私が注目したのは閣議決定文書のなかの次の一節だった。

「未曾有の被害をもたらした東日本大震災からの復興に当たっては、被災者、被災地の住民のみならず、今を生きる国民全体が相互扶助と連帯の下でそれぞれの役割を担っていくことが必要不可欠であるとともに、復旧の段階から、単なる復旧ではなく、未来に向けた創造的復興を目指していくことが重要である。このため、被災地の住民に未来への明るい希望と勇気を与えるとともに、国民全体が共有でき、豊かで活力ある日本の再生につながる復興構想を早期に取りまとめることが求められている。」

復興構想会議の趣旨としてここに述べられている「単なる復旧ではなく、未来に向けた創造的復興を目指す」というキーフレーズは、いうまでもなく野村総研が提起し、村井知事が即座に同調した“構造改革的復興理念”にもとづくものであろう。野村総研は、閣議決定前に5回にわたる『緊急提言』をすでに発表しており、なかでも『第2回提言、東北地域・産業再生プラン策定の基本方向』(2011年4月4日)は、その後の国や宮城県の復興基本方針に大きな影響を与えた提言だった。震災発生から1カ月後、漸くにして発足した政府の復興構想会議は、早くもこの時点から財界・野村総研のイニシャティブのもとにあったのである。

それでは、政府や財界、野村総研と村井知事を結ぶ“太い絆”とはいったいいかなるものなのか。なかでも最も太い結び目は、東日本大震災に乗じて「道州制導入」のきっかけを作ろうとする関係者の強い思惑だった。大災害に乗じて日本の地方自治制度・統治構造を根本から変えようとする道州制導入の策動は、各種の災害便乗型計画のなかでも最も大掛かりなものであり、まさに「日本型ショックドクトリン計画」という名にふさわしいものであった。

いうまでもなく道州制の導入は、日本経団連が「究極の構造改革」と位置づけ、その実現のために長年にわたって執念を燃やしてきた究極の課題だ。2006年に奥田トヨタ自動車会長から御手洗キャノン会長に日本経団連会長がバトンタッチされたとき、新しい政策ビジョン『希望の国、日本』(2007年1月)が発表され、そのなかで「希望の国」の実現に向けた最優先課題として、平成大合併の終着点である「道州制」が以下のような内容で大々的に打ち出された。

「今後、グローバル化は国内にも浸透し、各地は地域間競争のみならず国際競争にもさらされる。地方はそれぞれに差別化戦略を展開し、グローバルな地平でコンペティティブ・エッジを確立しなければならない。このような地方分権の担い手となる地方を実現するために、経団連は2015年を目途に「平成の廃藩置県」として道州制の導入をめざす。(道州制が実現すれば)地方体制は、自立的な市町村と道州に再編成されている。現在1800強ある市町村は少なくとも半分程度までに統合されている。47都道府県は、社会経済・地理・歴史・文化など諸条件に配慮して、10程度の道州に再編されている。」

 続いて『道州制の導入に向けた第1次提言−究極の構造改革を目指して−』(経団連、2007年3月)が発表され、財界のいう「新しい国の姿」がより具体的になった。「平成の廃藩置県」すなわち「平成の廃県置州」によって形づくられる新しい国の骨格は、10程度の道州と300〜500程度の基礎自治体からなり、道州は「選択と集中」を原理とする地域経営の実践によって民主導の活力ある経済社会と個性ある地域づくりを推進し、分散型の国土構造と経済構造を造り上げる。基礎自治体は、国と道州、地域コミュニティ間の適切な役割分担と住民間の共助によって、簡素で効率的な行政を目指すというものだ。

 おまけにこの第1次提言は、道州制導入を目指す国民運動の理念として、地域やコミュニティを舞台にした以下のような「道州制憲章7か条」まで提案している。傑作なのはその文面だが、こんな道徳教育のような代物を臆面もなく公表するところに、もはや滑稽さを通り越して恐ろしささえ感じられる。

(1)国に依存せず、地域の個性を活かし、それを磨き上げる心が日本全体に活力をもたらす。
(2)地域の自立は、そこに住まう住民の発意と熱意により実現される。
(3)日本にそして世界に誇れる街づくり・地域づくりを進める。そのため住民全員が努力し、各々の責任を果たす。
(4)地域を愛し、地域のために尽くす人材は、地域の宝である。
(5)一人ひとりが生涯を通して地域に根ざし、はつらつと生活し、学び、働ける地域をつくりあげる。
(6)多様なチャレンジの機会にあふれ、全ての人々が切磋琢磨する社会をつくる。また弱者には手が差し伸べられる。
(7)家庭を基本単位とし、住民が相互に支えあう地域をつくりあげる。

2015年を目途に道州制の導入を目指し、そのための国民運動の組織までを考えていた財界のことだから、そのゴール直前に発生した東日本大震災を「奇貨」として見逃すはずがない。復興構想会議はその格好の舞台となったのであり、野村総研と村井知事はそれに必要なメインプレーヤーとなったのである。次回以降は、村井知事の活躍ぶりを紹介しよう。(つづく)