「李下=国家戦略特区」に冠を正し、「瓜田=加計学園」に履を納(い)れた安倍首相は、もはや「丁寧なウソ」をつくしかなかった、国民世論は安倍内閣を拒否し始めた(1)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その73)

 7月24日、25日の衆参予算委員会審議のテレビ中継を断続的に見て、もはや安倍内閣は退場するしかないとの感を一層強くした。「丁寧に説明する」とは「丁寧にウソをつく」ことだったのであり、裏付けのない発言を「性懲りもなく繰り返す」ことだったのである。

 一連の審議を通して、安倍首相が「国家戦略特区=李畑」を利用して加計学園獣医学部新設の申請に対して特別の便宜を図り、一方「加計学園=瓜田」のなかではお友達とのバーベキューパーティーやゴルフを思う存分楽しんでいたことが明らかになった。首相にとっては「瓜田に履を納(い)れず」どころか、「加計瓜田」の中に首まで浸かるズブズブの関係だったのである。

それにしても、この人物の身勝手さと厚顔ぶりは目に余る。全ての発言が自分に降りかかった国政私物化疑惑を否定することから始まっているのであり、それが全てと言ってもいい。これまで加計学園との関係については「一点の曇りもない」と断言してきたので、今回の審議でもそのための口実や言い訳を「丁寧に説明する」ことになったのだろう。それが、安倍首相が学校法人「加計学園」の獣医学部新設計画を知ったのは「今年1月20日が初めて」というトンデモナイ答弁だったのである。

国家戦略特区諮問会議の議長は安倍首相自身だ。会議の前には必ず事務方から詳しい事前説明があり、会議進行についての打ち合わせが行われる。首相官邸のホームページによれば、今治市が国家戦略特区に新学部の申請を出したのは2015年6月、翌年1月には今治市が同特区に指定され、11月には国家戦略特区諮問会議が獣医学部新設を認める規制緩和を決定した...とある。自分が議長として決定し、国の公文書としても掲載されている加計学園獣医学部新設計画について、内閣府文科省・獣医師会など関係者は全て知っていたのに、安倍首相だけが今年1月20日まで知らなかったなどということはあり得ない。同じウソでもう少しましなウソはつけないものか。それともこの期間はすべて海外にでも行っていて知らなかったとでもいうのか。

しかし、事実は雄弁だ。2015年6月の加計学園の特区申請を契機にして安倍首相と加計学園理事長との会食やゴルフが一段と頻繁になり、2015年から16年にかけての会食やゴルフなどは実に10回を数える。この中には、昭恵夫人フェイスブックに掲載した安倍首相と加計学園理事長を含む4人組の有名な集合写真もある。すでに「加計瓜田」に首までズブズブに浸かっていた安倍首相には、「腹心の友=加計孝太郎氏」と「加計学園理事長=国家戦略特区利害関係者」との区別がつかなくなっていたのである。昭恵夫人に至っては、もともと「公私」は一体の概念だったのだろう。

だがここにきてやっと、安倍首相は利害関係者である加計理事長と会食やゴルフを繰り返してきたことや、ご馳走(供応)までしてもらっていたことが明るみに出ることは困ると思い至ったのだろう。大臣規範には「国務大臣等は、国民全体の奉仕者として公共の利益のためにその職務を行い、(中略)廉潔性を保持することとする」と規定し、関係業者から供応接待を受けることを禁じていることを遅れ馳せながら思い出したのだ。

 そこで「大臣規範違反」の疑いを避けるため、安倍首相は、加計学園が国家戦略特区の獣医学部新設に関わっていることを知ったのは、今治市とともに行った申請が決定された「今年1月20日」だったと答弁したのだが、このお粗末極まる答弁は、過去の答弁との矛盾を引き出しただけだった。今年6月16日の参院予算委員会においては、社民党福島瑞穂議員の質問に対して、安倍首相は「構造改革特区で申請されたことについては承知していた。その後に、私が議長を務める国家戦略特区に申請するとすれば、私の知り得るところになる」と答えている。福島議員はさらに「首相は加計学園今治市獣医学部を新設したい意向を知ったのはいつか」と質問主意書を出し、これに対し政府は「第2次安倍政権の2013年、14年、15年の構造改革特区申請に書かれている」と答えている(閣議決定)。安倍首相は「今年1月20日」よりはるか以前の2013年段階では、加計学園獣医学部計画を熟知していたのである。

 国政の最高責任者である首相には、もう少しましな人物を選んでほしかった。安倍首相が国民に与えた教訓は、「李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず」を律することのできる人物が必要だということだ。如何なる内閣改造が行われようと、安倍首相自身が退場しない限り国民の追及が止むことはない。この教訓を噛み締めたのが衆参予算委員会の2日間にわたる国会審議だった。(つづく)