この総選挙はいったいなんだったのか、総選挙後に広がる野党状況の異変、立憲民主を軸とした新野党共闘は成立するか(6)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その93)

 総選挙が終わってからというものは、社会や政治を取り巻く空気がどす黒く澱んでいるように思えて仕方がない。息苦しいというか、重苦しいというか、諦めとも無力感とも付かないどんよりとした空気が上から下まで覆っている感じなのだ。深呼吸しようにも力が湧いてこず、低肺活量のままで息切れしそうな気さえする始末。こんなことでは駄目だと気を奮い起こしても、いつの間にかまたもとの状態に戻ってしまう。いったいどうすればいいのか。

 こんなことは個人的状況なら体調不良やスランプなどと思ってやり過ごせるかもしれないが、社会状況や政治状況ともなるとそうはいかない。自分の受け止め方に問題があるのか、それとも周辺状況そのものに問題があるのか、原因を突き止めなければ納得がいかないのだ。そんな鬱々とした気分でここ1週間ほどは過ごしてきたが、自分の気持ちに決着をつけるためにも(主観的であれ)考えを一応整理してみたい。

総選挙前の一種の興奮状態が過ぎていま思うことは、今度の総選挙はいったいなんだったのかということだ。結局は「何も変わらなかった」との徒労感だけしか残らない。毎日新聞オピニオン欄は、森健氏(ジャーナリスト)を起用してこのような「衆院選後の光景・社会に広がる無力感の正体」の分析を試みている(2017年11月28日)。

森氏は次のように述べる。
「『大義なき解散』と批判された総選挙だったが、結果は与党が3分の2議席を維持。そんな拍子抜けも一因にはあるだろう。だが、もう一つ無力感の要因として思い至るのが、安倍首相周辺が一連の疑惑に答えないという不作為だ。」
「選挙の混乱で隠されたのは、国会論戦で追及されたであろう森友学園加計学園問題だったはずだ。その両問題は、選挙後、権力との関係性の変化を示唆するように明暗が分かれており、そこに気味悪い違いがある。」
「学園問題とはいえ、首相と仲がいい方は学部新設が認可され、首相に疎まれた方は逮捕・勾留されたまま。どちらも法的な整合性に関しては合理的な理由や根拠が明らかにされていないが、こうも対応が異なるのはなぜなのか。」

その通りだと思う。総選挙後に加計学園獣医学部の新設が認可されることは既定の事実だったのであろうが、それでも認可後には加計孝太郎理事長がせめても一応は記者会見するものとみなされていた。ところがどうだろう。加計学園は、読売新聞を先頭に全国紙に次々と加計学園獣医学部新設認可の全面広告を載せ、大々的に学生募集を始める傍ら、当の加計孝太郎氏は国民の前にいっこうに姿を現そうともしない。まるで、国民の疑惑を陰であざ笑うかのような態度ではないか。

一方、安倍昭恵首相夫人の方も、森友学園との関係で国会証人喚問や参考人招致に関して度重なる要請を受けていることなどどこ吹く風。各地の講演会では「最近は学校問題で世間が騒がしくなっているようですが...」など、まるで他人事のように言って笑いを取るのだという。国有財産のタダ同然の払い下げに手を貸した張本人でありながら、それを笑いネタにするほどの余裕はいったいどこから生まれるのか。これも国民をあざ笑い、馬鹿にすることなしには考えられない不遜な態度ではないか。

私は、会計検査院の報告が出たときからこのような状況が覆るのではないかと期待していた。確かにこの間の衆参予算委員会の論戦を通して森友学園への国有地売却が「特別扱い」であったことは明らかになった。だが、これほどの露骨な「特別扱い」が次から次へと暴露されてきているにもかかわらず、それが財務官僚や国交官僚の詭弁に阻まれ、安倍首相や昭恵夫人への責任追及に結び付かないことに例えようのない苛立ちを覚える。自公与党をはじめ維新や希望の党が共同戦線を張って分厚い防護壁を築き、安倍首相を四方八方から擁護している布陣が余りに強大なためだ。そのことが国民に無力感を与え、社会に閉塞感をもたらしている。

そのことを象徴するのが、国会代表質問直後の11月24〜26日に実施された日本経済新聞世論調査結果だろう。文科相加計学園獣医学部新設の認可については「評価する」27%を「評価しない」60%が大きく上回り、学部新設の手続きをめぐる政府の説明に「納得できない」71%が「納得できる」19%を圧倒しながら、それでいて内閣支持率52%(前回54%)、不支持率39%(同38%)はほとんど変わらないのである。

そして何よりも注目されるのは、総選挙後の政党支持率の変化だ。立憲民主が前回と同じく14%と野党としては突出した支持率をたたき出したものの、その他の野党の方は、共産3%、維新2%、希望2%、民進1%、社民・自由0%と見る影もない。希望や維新が国民の信頼を失って没落していくのは当然だとしても、野党共闘に尽力した共産や社民がかくも低迷するのはなぜなのか。

とりわけ共産の場合は、野党共闘に力を尽してこれまで5%台を上回る支持率を安定して維持してきたのが、また「元の木阿弥」の状態に戻ってしまった。これではいったい何のために頑張ったのか、支持者はさぞがっかりしていることだろう。社民に至っては今回総選挙の比例代表得票数が100万票を割って94万票となり、前回よりも37万票減らしただけに、もはや党の存続自体が問われるような状況だ。

経世論調査でもう一つ注目されるのは、民進党から分裂した立憲民主、希望、無所属の会について「ひとつにまとまる必要はない」61%が「ひとつにまとまるべきだ」30%を大きく引き離したことだ。このことは、国の基本政策において統一した態度を打ち出せない民進に対する批判があらわれたものと言えるが、それが野党共闘全体に関わる否定的評価につながっていくとなると、今後の政治情勢はますます暗くなる一方だ。

立憲民主は、目下地方組織の設立を巡って民進と激しい駆け引きを続けているが、地方議員も来年の統一地方選を前にして所属を決めなければならず浮足立っている。民進京都府連でも前原・泉氏らと福山氏が希望と立憲民主に分裂する中で事態を収拾できない有様で、この混乱は当分収まりそうにない。となると、分裂騒動を引きずる野党のイメージは悪化するばかりで、安倍政権がどれだけ不評であっても当面は打開する方向が見つからない。

結局は、希望や維新が与党陣営に加わって与党体制が確立し、残された立憲民主、共産、社民、無所属の会などがどう態勢を立て直すかというギリギリの選択を迫られるまでこんな状態が続くのだろう。問題は、その間に国民の無力感と諦めが広がり、改憲国民投票を阻止するエネルギーまでが失われてしまいかねないことだ。さて、野党各党はどうする。(つづく)