10月20日夜、JR京都駅前のキャンパスプラザ京都で「菅政権による日本学術会議への人事介入に抗議する緊急集会」が開かれた。急な呼びかけにもかかわらず大講義室に集まった大学関係者は約150人、これ以上だとソーシャルディスタンスの確保が困難になると思えるほどの盛会だった。主催は、各大学の教職員組合や科学者団体、研究者有志で構成される実行委員会だったが、会の進行はスムーズに行われ、用意された資料(日本学術会議法条文、各団体の声明文など)も充実していた。
当事者の一人である松宮孝明氏(立命館大学大学院法務研究科教授)の特別報告の後、各団体からのリレートークが行われた。印象に残ったのは、今回の事件に関して各代表が異口同音に強い危機意識を表明したことだ。菅氏のファッショ的体質は、8年間にわたる官房長官時代の傲慢極まる記者会見でよく知られている。その当人が今度は最高権力者のポストに就いたのだから、これからは「タダでは済まない」との空気を皆が感じ取っているからだろう。
それにしても、菅首相からはえも言われぬ不気味な雰囲気が漂ってくる。権謀術数の世界をくぐり抜けてきた「たたき上げ政治家」特有の得体のしれない匂いが、人々を不安に陥れるのである。その所為か各団体の代表からは、今回の学術会議人事介入について「恐怖を感じる」といった言葉が数多く聞かれた。無表情で感情を表に出さず、木で鼻を括ったような官僚答弁を繰り返す――そんな光景が人々の脳裏に焼き付いているからだろう。その矛先が今度は学問研究の世界に向けられてきたのだから、皆が警戒するのも無理はない。
松宮教授の特別報告で目を開かれたのは、今回の学術会議への人事介入事件は単に〝学問の自由〟を脅かすだけの問題ではなくて、〝法治国家〟の土台を揺るがしかねない大事件だということだ。日本学術会議法という法律を平然と踏みにじり、全ての権限が首相にあるかの如く振る舞う菅首相の行為は、「法の支配」を無視した行政権の濫用であり、事実上の「クーデター」だと言ってもいい。麻生財務相が2013年7月、東京都内のホテルでの講演で、「ドイツのワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気が付かなかった。あの手口に学んだらどうかね」と述べたが、菅首相は学術会議への人事介入という「手口」を通して独裁国家への道を目指しているのではないか。
ここでは多くの声明文に言及する紙幅がないので、松宮教授の所属する立命館大学法学部・法務研究科の教員有志緊急声明、「私たちは、日本学術会議会員任命拒否に抗議し、全員の任命を求めます」の紹介だけに止める。緊急声明は前文、問題点の指摘、後文から構成されている。
【前文】
2020年10月1日、菅内閣総理大臣は、日本学術会議が推薦した新会員候補105名のうち、第1部会(人文社会系)候補6人の任命を拒否しました。その中には、私たちの同僚である本学法務研究科所属の松宮孝明教授が含まれています。刑事法学の優れた研究業績を有する松宮教授が明確な理由も示されず任命されなかったことは、私たちは同僚として強く抗議します。任命拒否された6名のうち、3名は法学、1名は政治学、1名は近代史の研究者であることも、同じ学域の研究者を抱える立命館大学法学部・法務研究科として看過できません。加えて今回の任命拒否は、「法の支配」を無視した行政権の濫用であり、本来的に政治権力から独立していないと成り立たない学問活動に対する極めて政治的な介入行為として、法律学・政治学を学び教える立場として容認できません。
【問題点】(要旨)
- 学問研究活動は、本来的に政治権力から独立していなければ、その真の力を発揮することはできません。日本学術会議法は、会員を内閣総理大臣の任命としていますが(7条2項)、それは学術会議の推薦が前提であり(同)、首相の任命が形式的なものだからこそ、学術会議の政府からの独立性・自律性が担保できるのです。この点は、1993年の政府答弁からも明らかなように、歴代の政府も受け入れてきた「確立した習律」というべきものであり、その時々の内閣の都合で恣意的に破ることはできないものです。
- 首相は、学術会議会員の任命について「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から判断した」と述べています。しかし、これは首相の任命判断がフリーハンドだという誤った学術会議法の解釈に拠るものです。ましてや「優れた研究又は業績」の有無とは別の、政権に批判的か否かといった事由により任命の判断を行うのは、他事考慮そのものです。そうではなくて「優れた研究又は業績」の観点から判断したというのであれば、政府はその判断根拠を明らかにすべきですが、拒否された6人の業績からすれば学術的に耐えうる理由を示すことは困難なはずです。したがって、今回の任命拒否は違法なものというほかありません。
- 「税金を投入しているのだから学術会議の運営や人選に政府が介入するのは当然」といった弁明が与党議員の一部から出ていますが、学術会議は時の政府から独立していてこそその職務を果たすことができることから、恣意的な任命を正当化する理由にはなり得ません。同様に、政府が指摘する国民の公務員選定罷免権(憲法15条)を理由とする介入正当化論も、現行の日本学術会議法は、学問の自由を保障した憲法23条の要請を踏まえ、特別職公務員である学術会議会員の自立性を確保する趣旨から首相の任命を形式的なものにしたのであり、憲法15条と矛盾するものではありません。
- 首相は具体的な拒否理由を明らかにしていませんが、外形的事実に即してみれば、政府の推進する法案に批判的な候補者を「狙い撃ち」で拒否したとみることは十分可能です。政府の政策について学術的観点から疑問を提起した研究者を「狙い撃ち」で不利益扱いするのは、特定の思想や学説を国家が選別する差別行為です。
- 拒否理由の非公表は、拒否された候補者のみならず、市民全体を疑心暗鬼に陥らせ、「萎縮と忖度」で社会を分断させることで統制を行う「人治主義」の手法といえます。このような統制は、やがて大学への補助金や私学助成はもちろん、文化芸術の分野さらには市民の生活全般にも拡大されるおそれがあります。
【後文】
立命館学園は、戦前の重大な学問の自由に対する侵害事件である滝川事件に関わって京大法学部を辞した研究者を多く受け入れ、その中から末川博を日本国憲法下における初代の学長に迎えました。そのような歴史を持つ立命館だからこそ、今回の任命拒否にあたって、大学を挙げて異議を唱える必要があると考えます。私たちは、今回の任命拒否に強く抗議し、拒否に至った経緯を明らかにした上で、すみやかに6人全員を任命することを求めます。
2020年10月15日
立命館大学法学部・法務研究科教員有志
いまさら言うまでもないが、京大滝川事件と末川氏を戦後の初代学長に迎えた立命館大学との間には切っても切れない関係がある。松宮教授は京大法学部・大学院法学研究科で刑法を学び、滝川幸辰教授(刑法)のひ孫弟子に当たる。その後、立命館大学に奉職した松宮教授に対して菅首相が学術会議会員への任命を拒否したことは、戦前の思想統制をともなった政治権力の大学介入事件を想起させる。だからこそ、緊急集会の参加者は身の毛もよだつような恐怖感を覚えたのである。
1960年代には京大に「教官研究集会」というリベラルな学部横断的会合があった。湯川秀樹教授を始めとするリベラルな教官がその時々の政治課題について自由に語り合った場だ。各学部の助手が世話係を務め、助教授たちが会合の企画について相談に乗っていた。私は工学部助手(建築学科)として参加していたが、その時の法学部助手は広渡清吾氏(人文社会系で初めて学術会議会長になった東大名誉教授)だった。また、法学部の相談役は中山研一助教授(刑法、滝川教授の孫弟子)と園部逸夫助教授(後の最高裁判事)だった。
歴史は繰り返すというが、滝川事件のような悲しい歴史は二度と繰り返してはならないだろう。そんな思いが去就した京都の緊急集会だった。