学内教職員意向調査において過半数に満たない湊氏(4割)がなぜ次期京大総長に選考されたのか、山極壽一京大総長の虚像と実像(その3)

 京都大学は2020年7月21日、山極寿一総長(68歳)が9月30日で任期満了になるに伴い、次期(第27代)総長に湊長博理事(69歳)を選考した。総長選考会議(学内委員6名、学外委員6名、計12名)が2020年5月29日に公示した日程は、以下の通りである。

 

(1)2020年5月29日~6月26日、総長選考会議による学外候補者の推薦期間

(2)6月12日、学内予備投票(教育研究評議会による予備候補者の推薦)

 ・学内予備投票の候補者資格は理事又は専任教授。投票資格者は理事及び学内教職員(有期教職員を除く)であり、投票は単記投票で行う。投票結果は公表されず。

   ・学内予備投票は教育研究評議会が管理し、得票多数の15名を総長予備候補者とする。教育研究評議会は、京都大学の教育研究に関する重要事項を審議するため全学機関であり、総長が議長を務め、総長が指名する理事・教育担当副学長、各研究科科長などの評議員から構成される(国立大学法人京都大学の組織に関する規程、第8条)。

(3)7月3日、第一次選考(総長選考会議による第一次候補者の選考)

    ・第一次総長候補者は、総長選考会議の定める者6名とする。

(4)7月20日、意向調査

 ・意向調査は、1人1票の単記無記名投票で行う。投票資格者は教授、准教授又は講師、事務・技術・教務職員のうち課長補佐担当職以上の者。

   ・意向調査は、教育研究評議会が管理する。

(5)7月21日、第二次選考①(総長選考会議による面接対象者、再意向調査の要否検討)、第二次選考②(総長選考会議による面接、総長候補者の最終選考)

 

 7月21日、第一次総長候補者6人に対する意向調査の結果が発表され、湊長博(理事・副学長)640票、寶 馨(総合生存館長)398票、大嶋正裕(工学研究科長)364票、 時任宣博(化学研究所・教授)171票、北野正雄(理事・副学長)117票、村中孝史(法学研究科・教授)41票の順だった。

 

第27代京都大学総長の選考結果は、「京都大学総長選考会議は、候補者より提出された所信表明書等の書面その他当該者に係る事項を総合的に勘案して、第一次総長候補者を選考した。その後、第一次候補者について、学内の意向の調査並びに総長選考会議所定の面接調査を実施し、慎重な審議を重ねた結果、次の者を第27代京都大学総長候補者として決定した」として、湊長博氏(理事・副学長)を選考したとある。

 

その理由は、「同氏は、京都大学における教育・研究及び運営に関する豊富な経験に基づき、京都大学の強みである圧倒的な多様性に基づく独創的な研究開拓精神を活かし、教員・学生がもつポテンシャルを最も有効に発揮するための施策を部局と連携しながら進めることを表明している。京都大学の基本理念を鮮明に掲げることにより、全国、さらに世界の大学をリードしていくことが期待される。また、学内構成員の信頼も得ており、総長選考会議が策定した「望まれる総長像」に掲げている世界をリードする大学としての地位を確立するトップリーダーにふさわしいと判断し、第27代京都大学総長候補者として決定した」というものである。

 

 私は学外者なので京大内部の詳しい事情はわからないが、それでも意向調査1731票のうち640票(40.0%)しか得票できなかった湊氏が、なぜ再意向調査もせずにそのまま総長候補者に選考された理由がよくわからない。「国立大学法人京都大学総長選考規程」には、「第6条、総長選考会議は、意向調査の結果その他第一次総長候補者に関する事項を総合的に判断して、総長候補者を選考する」「前項の規定にかかわらず、総長選考会議は意向調査の結果を踏まえ、必要と認めるときは意向調査で得票上位の者について学内の意向の再調査を行う」とあるように、総長選考会議が必要と認めれば再意向調査が可能だからである。

 

 ちなみに6年前の第26代総長選考においては、学内予備投票では第1位の湊氏(約600票)が第2位の山極氏(約400票)に大差をつけていたが、意向調査になると山極氏が41%で湊氏26%を逆転し、再意向調査(上位2人の決選投票)では山極氏が61%を獲得して総長に選考されている。この経過については、京都大学新聞7月16日号、「総長選を考える/総長選から考える、前編:京大を取り巻く状況の変化」の中で次のような解説がある。

 「山極氏は、2011年度から2012年度まで理学研究科長を務め、理事や副学長の経験はなかったものの、学内予備投票で湊長博氏に次いで学内2位の得票数を得て、第1次総長候補者の6名に選ばれた。後に本人が明かしているように、執行部や理事の経験がなかった山極氏には総長を引き受けることにためらいがあった。しかし、周囲の後押しもあり、『京大は学生が主役になるべき』、『京大は多様な価値観を許容する自由な学問の場であるべき』といった所信を表明すると、職員組合の支持を受けるなど学内に支持が広まり、意向調査において、投票者の約41%の得票で、同26%の湊氏を上回った。湊氏との決戦投票では、投票者の61%の得票で、意向調査第1位となり、総長選考会議から総長候補者に選ばれ就任に至った。就任記者会見では、前任の松本氏の改革を踏まえつつ、ボトムアップでの合意形成や情報公開を進めると語った。また、『京大のアクターは学生』と強調した」

 

 このように前回の総長選考意向調査では、6人の候補者のうち過半数を得票した者がいなかったので、41%得票の山極氏と26%得票の湊氏の間で「再意向調査」(決選投票)が行われた。したがって、今回の意向調査でも40%得票の湊氏、23%の寳氏、21%の大島氏の3人の間で「再意向調査」が行われてもおかしくなかった。にもかかわらず、再意向調査なしで湊氏がそのまま総長候補者に選考されているのは前例に照らしても不思議というほかはない。再意向調査をすれば、本命視されていた湊氏が逆転されることを恐れてのことだろうか。

 

 湊氏は、国立大学法人京都大学の理事7名のうちの1人であり、かつ2017年に新設された「プロボスト」の要職にある。国立大学法人京都大学の組織に関する規程によれば、「第3条の2 総長が指名する理事は、法人及び京都大学の将来構想、組織改革等に関する包括的又は組織横断的課題について、戦略を立案するとともに、策定された戦略の推進に向け、調整を図るものとする」「2 前項の理事をプロボストと称する」「3 プロボストに関し必要な事項は総長が定める」とある。「プロボスト」は、事実上の筆頭副学長と言ってもいい巨大な権限を与えられ、学内諸組織を陣頭指揮する立場にあったのである。

 

 その所為か、湊氏は選考後の記者会見では冷静沈着、「予定通り」との態度で会見に応じていた。総長選考会議では早くから湊氏が本命視され、例え意向調査で過半数が取れなくても相対的多数を得票すれば、おそらく再意向調査なしに総長候補者に選考することが予め決まっていたのだろう。しかし、ここに至る事態が生じたのは、山極総長の致命的な大学ガバナンス能力の欠如にあった。次回はその背景を分析しよう。(つづく)

次期京大総長候補者への学内諸団体の公開質問状を通して考えること、山極壽一京大総長の虚像と実像(その2)

 7月2日に拙ブログ「山極壽一京大総長の虚像と実像(その1)」を書いてから半月が経過した。この間、幾つかの論点を提示するつもりだったが、『月刊ねっとわーく京都』への寄稿、京都の観光問題を論じた出版原稿の校正作業などが重なり、思うように時間が取れなかった。そうこうしているうちに、学内関係者から次期総長選挙に関する公開質問状および回答一覧が送られてきて、学内では活発な動きがあることがわかった。

 

 そこで7月20日には第2次投票が行われ、次期総長が決まるということなので、その前に一言だけでもと思って拙ブログを書くことにした。結論から言えば、7月3日の第1次候補者選考投票で選ばれた6人のうち、山極執行部メンバーであった3人は(京大職組への対応を除いて)公開質問状の受け取りすら拒否するという高圧的な姿勢を示している。このこと自体が山極体制の実像の一端を表すものと言え、学内諸団体との対話を拒否する体質をこれからも引き継ぐと宣言しているようなものだ。

 

 今さらの如く思うが、このようなメンバーによって組織され、学内外の諸課題が専決的に執行されてきた山極体制は、当初から厳しく批判され、指弾されるべきであった。しかし、山極氏が「アンチ体制派候補」として学内リベラル派から支援されたこともあって期待感が大きく、それが「幻想」に変わってからもなお批判に躊躇するという空気を打ち破れなかった。それだけ、学内外の批判勢力が後退しているということでもあろう。

 

 だが、次期総長選挙は対決点が明確だ。山極体制を継承するのか、刷新するのかが問われているのであり、選択肢はこれまでになくはっきりしている。どれだけ刷新派の勢力を結集できるか、どれだけ山極体制派への批判票を集めることができるか、その結果は今後の京大の方向を大きく左右する。送られてきた学内諸団体の公開質問状および回答の中から、全体状況がよくわかる「自由の学風にふさわしい京大総長を求める会」の資料を再掲したい。

 

【参考資料】

自由の学風にふさわしい京大総長を求める会

私たち「自由の学風にふさわしい京大総長を求める会」の発した公開質問状への回答を掲載しています。

2020-07-15

 

京大総長選考の意向投票を前に有権者の皆さんへ

自由の学風にふさわしい京大総長を求める会

 

 7月3日に第一次選考候補者6名が決定し、所信表明とビデオメッセージが発表されました。また、自由の学風にふさわしい京大総長を求める会(以下、求める会)、京都大学職員組合(以下、職組)等から各候補者に公開質問状が発せられ、それに対する回答も寄せられました。各候補者の大学運営に対する考え方が明らかになりつつあります。  求める会は、総長選考を前に「理想の総長像」を発表しました。その内容は「「自由の学風」を堅持する」「対話に基づいて問題解決をはかる」「多様な意見を尊重する」「研究を広く深く耕し、未来に向けて発信する」「権利と雇用、安心した生活を保障する」「平和の実現に貢献する」「地域社会とともに大学文化を守り育てる」です。では、第一次選考候補者が「理想の総長像」にどれほど近く、また遠いのかを考えてみたいと思います。

 

 各候補者の略歴を見ると、山極現体制の運営に執行部として関わった人々(湊氏はプロボスト・理事、北野氏は現理事、村中氏は前副学長)とそうでない人々(時任氏、大嶋氏)、宇治地区の研究所代表として6ヶ月間副理事を務めた寶氏に分かれます。現体制を構成したグループは大学運営の経験が豊富ですが、その分、湊氏、北野氏は他候補よりも年齢が高くなっています。また、現体制に関わってきた以上、これまでの運営方針と所信の内容との整合性をどのように考えるかは検討すべき項目でしょう。

 

 「所信表明」や公開質問状への回答を見ると、多くの候補者が京大の伝統である「自由の学風」に基づいた運営や、教育・研究・国際化の充実を訴えていて、この点では大きな違いはありません。しかし、山極現体制のもとで、吉田寮裁判や立て看板の撤去など、これまでになく「自由の学風」が危機に瀕していることはご存知の通りです。求める会はこの点を深く憂慮しており、各候補者がこれらの問題を実際どのように認識し、改善に取り組もうとしているのかが重要だと考えます。  

そこで、求める会としては、質問1で学生との対話、質問2で吉田寮裁判、質問3で立て看板、質問4で学生処分、質問5で修学支援、質問6で京大に必要なものにつき各候補者に尋ねました。大嶋氏、寶氏、時任氏からは回答がありましたが、山極現体制を担ってきた3氏からは残念ながらこれまでのところ回答がありません。そのことは、教職員、学生との対話を拒否する現体制の姿勢を象徴するものと評さざるをえません。

 

質問1の学生との対話について大嶋氏は対話の必要を認めながらも、『キャンパスライフ』の配信や意見箱設置によって学生との対話は保たれているという見解を示しています。これに対して、寶氏は「学生との定期的な対話のチャネルを復活」させるべきと記し、時任氏は「平和な雰囲気での情報公開連絡ができる環境や仕組みを再構築」すべきと論じています。  

質問2の吉田寮裁判について、時任氏は情報がないとしてコメントを控えています。大嶋氏は学生を訴えたことは「衝撃」であったとしながら「速やかな解消」のために裁判についても議論すべきと記しています。ただし、清掃・点検のための現棟立ち入りが「寮生の安全性の確保にならない」など現執行部と同様の認識を示しています。寶氏もまた「告訴」の解消を示唆し、「吉田寮の課題に尽力されてきた学生・教職員の対話の蓄積」をふまえた解決を図るべきという論点を提示しています。  

質問3の立て看板問題については現状からの転換を明確に訴えた候補者はありませんが、時任氏は現状の学内規程の下で不都合な点を解消すべきと論じています。寶氏は京都市側とも再交渉しつつ、現実的な範囲で学内規程の改正に向けて努力したいとしています。大嶋氏は「大学が京都市の中に作り出す景観とはなにか」ということも含めて議論すべきと述べています。  

質問4の学生処分については、大嶋氏と時任氏が停学(無期)処分はやむをえなかったという認識を示しています。寶氏は「過度に懲罰主義的な対応」への疑問を提示し、学部自治の観点から学部の判断を尊重すべきとしていますが、有期停学と無期停学の量定案に大きな乖離があったわけではないという認識も示しています。  

質問5では、政府が設定した修学支援要件(実務教員、産業界からの外部理事採用)に大嶋氏、寶氏、時任氏ともに疑問を呈し、大嶋氏は「政府や文科省に物申す必要がある」、寶氏は「是々非々の立場で意見の表明と交渉」を行う、時任氏は「政府施策に迎合する形にとらわれないことが重要」と記しています。なお、寶氏は学生の成績や出席率をも修学支援のための「厚生的条件」とみなすことは「やむをえない」としています。

 

 「自由の学風にふさわしい総長」は誰かを総合的に判断するためには、各候補者の所信表明や職組の公開質問状への回答もふまえて、以上の3氏の回答を未回答の3氏の見解と対比することが必要です。未回答の3氏の所信表明に照らして寶、時任、大嶋の各氏に共通しているのは、昨今の京大の変化を受けて現状からの転換を訴えていることです。寶氏は「大胆な転換」が必要と述べ(求める会質問1)、時任氏は「京大再起動」と書いています(所信表明)。大嶋氏は2人ほど強い言葉を用いていませんが、現状が「外部から押し付けられたものに従わざるを得ない状況」(求める会質問6)にあるとの認識を明らかにしています。つまり、3氏とも、文科省など外部からの圧力に対する違和感とともに、現状からの変化の必要を綴っています。

 寶、時任、大嶋各氏の方針が、湊、北野、村中各氏の方針と明確に異なる点は、「対話」を掲げていることです。寶氏は、多様性と対話と合意形成が重要だと述べて、具体的には定期的な記者会見と若手教職員や学生との対話を掲げています(所信表明、求める会質問1・6)。大嶋氏も対話を基本とした運営体制を掲げて、部局長、事務職員、学生との直接の対話を掲げています(所信表明)。時任氏も構成員との真摯な対話が必要と述べるので(所信表明)、その重要性を認識しておられるようです。

 他方で、湊氏と村中氏は組織問題について気になる発言をしています。湊氏は自己目的化しない組織改革(所信表明)、村中氏は大学運営の効率化が必要と述べています(所信表明)。村中氏は部局自治も掲げていますが、他方で大学本部機能の強化を論じています。よって、二人とも、「対話」を他候補ほどは重視していないと評さざるをえません。従来以上に強力なトップダウンで組織改革を実施していくことが予想されます。つまり、トップダウンで強力に組織改革を推し進める大学運営のあり方と、大学内外の対話に基づいたボトムアップ式で進める大学運営のあり方の好対照が生まれています。時任氏と寶氏は吉田寮自治会からの公開質問状、大嶋氏と寶氏は「学問と植民地主義について考える会」からの公開質問状にも回答しているのに対して、湊氏と村中氏はこれらの公開質問状には回答せず、北野氏にいたっては職組からの公開質問状を含めて一切、回答していません。

 

 以上から考えると、今回の総長選挙は、どの候補を選ぶかという個別具体的な問題であるだけではなく、政府・文科省が推し進めている、トップダウン式で、強力なガバナンスのもとで大学運営を目指すのか、ボトムアップ式で、各組織・学問分野の自律性や自由を尊重し「対話」しながら意思決定を積み上げる大学運営を目指すのかを選択する問題でもあると言えます。京都大学の理念や伝統に立つのであれば、今一度後者に立ち戻りながら、日本の大学の未来を描いていく必要があると思います。

 投票する資格のある教職員は構成員のごく一部に限られていますが、学生の立ち上げたサイト「京大総長選学生情報局」ではバーチャル「意向投票」として学生・市民を含めて様々な立場からの意見を集めています(https://sites.google.com/view/ku-sochosen-gakusei-johokyoku/)。投票権のある者は、こうした学内外の声も受けとめながら、京都大学の未来を形作るための一票を投じる責務があります。

霊長類学者でありながら、関東軍731部隊軍医将校の「さる実験(人体実験)」に関する学位論文の検証を一貫して拒んできた山極京大総長、山極壽一京大総長の虚像と実像(その2)

 メディアでは「ゴリラ研究の第一人者」と紹介される山極氏が、関東軍731部隊軍医将校の「さる実験(人体実験)」に関する学位論文の検証を一貫して拒み続けてきたことはあまり知られていない。2018年2月に結成された「満洲731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」(以下「求める会」という)は、連続企画「研究者が戦争に協力する時、731部隊の生体実験をめぐって」を開催し、京大関係者や市民に問題の所在を訴える一方(※)、京大当局に対して事態解明の要請行動を数知れず繰り返してきた。

 

※第1回(2019年6月)、講演「731部隊の生体実験をめぐって」、松村高夫・慶応大学名誉教授、第2回(2019年10月12日)、シンポジウム「軍医将校学位論文への疑義」、西山勝夫・滋賀医科大学名誉教授、池内了・名古屋大学名誉教授、松宮孝明・立命館大学法科大学院教授、第3回(2019年11月9日)、霊長類研究者の意見を聴く会「どんな“さる”だったのだろう」、好廣真一龍谷大学名誉教授

 

 だが、メディアやジャーナリズムの世界では雄弁極まりない山極氏が、「求める会」の要請には沈黙を押し通し、また会見に応じることもなかった。京都大学を代表する立場にあるにもかかわらず、大学としての社会的責任はもとより霊長類学者としての良心をも顧みないその態度は、氏の実像を物語るものとして長く記憶に留められるだろう。以下2つの文章は、私が「求める会」の声明にあたって作成した原案である。声明文本文は「求める会」のホームページを参照されたい。

 

【資料1】

総長離任に際し、当会との会見を要請します

2020年2月

満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会

 

時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。貴下が2014年10月の総長就任以来、6年間にわたり京都大学における自由の学風を継承し、人類の幸福と平和に貢献する教育研究活動を発展させるため、日々努力を重ねてこられたことに深い敬意を表します。

 

私たちは、日本学術会議の「軍事的安全保障研究に関する声明」(2017年3月)及び京都大学の「軍事研究は行わない」とする軍事研究に関する基本方針(2018年3月)に賛同する立場から、京都大学関係者が731部隊のような非人道的軍事研究に再び携わることがないよう、「満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」(2018年1月)を結成し、2年余にわたって検証を求める活動を続けてきました。(※添付資料1、要請書、活動経過)

 

当会の検証を求める要請に対し、野田亮京都大学研究倫理・安全推進担当副学長(医学系研究科大学院教授)は2018年7月26日、公式面談の席上において「皆さんの要請書を深く受け止める」「過去を変えることはできないが、未来に生かすようにしたい」「未来に生かすということは、現在の問題として捉え、過去の検証をすることも含まれている」「皆さんの言われたことを執行部で検討する」「9月にその結果を会に報告する」と述べられ、9月18日には野田副学長から「予備調査を開始する」との通知がありました。

 

私たちは、野田副学長の真摯な対応を心から歓迎し、予備調査に必要な関係資料の提出をはじめ全面的な協力を表明しました。しかし、年が明けた2019年2月8日、野田副学長から「本調査は実施しない」との通知があり、その理由は「当該学位論文の使用された動物がサルであるということを明確に否定できるほどの科学的合理的理由があるとは言えず、実験報告の捏造・改ざんであるとまで断定できない。」というものでした。(添付資料2、予備調査結果通知)

 

当会は、直ちに「学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(2019年2月8日通知)に対する異議申し立て」(2月19日)を書面で行い、学術的根拠を示して誠意ある回答を待ちましたが、野田副学長からは「異議申し立て」に応じない旨の連絡がありました(3月15日)。またその後、当会の関係資料の情報開示請求(6月8日)に対して大学当局からの然るべき対応がなく、開示された資料のほとんどが「黒塗り」で判別のつかないものでした。(※添付資料3、異議申し立て文書、情報開示請求文書、黒塗り資料など)

 

以上の経過からもわかるように、この間の大学当局の対応は京都大学の自由の学風にふさわしいものとは言えず、また「軍事研究は行わない」とする基本方針に照らしても到底納得できるものではありません。日本学術会議会長や国立大学協会会長の要職を歴任され、かつ大学当局の最高責任者であり、京都大学を代表する学者でもある貴下が、このような事態をいったいどう考えておられるのか、率直なご意見をうかがうことができれば幸いです。

 

貴下はまた日本を代表するゴリラ研究者として知られ、総長在任中もゴリラ研究者としてのマスメディアへの登場には際立ったものがありました。当会が731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動を続けてきた背景には、当該軍医将校の学位論文が「さる」ではなく、実は「ヒト」の実験に基づくものではないかという根本的な疑問があったからです。

 

このような疑問は学術的に解明されなければならず、それはまた霊長類学研究者の果たすべき学問的使命であるはずとの観点から、当会は熊本で開催された第35回日本霊長類学会大会に参加し、好廣真一氏(龍谷大学名誉教授、元ヤクザル調査隊隊長)の「どんな“さる”だったのだろうか?―イヌノミのペスト媒介能カの実験―」の研究発表に同席しました。この研究発表は霊長類学会報告の抄録に掲載され、多くの参加者が関心を示して討論が行われました。貴下は霊長類学研究者の1人として、当該軍医将校の学位論文についてどのような見解をお持ちなのか、この点についてもご意見をうかがえれば幸いです。(※添付資料4、好廣論文)

 

以上、総長離任間際の御多忙な時期にこのようなお願いを申し上げることは誠に恐縮ですが、当会の意のあるところをお汲み取りいただき、会見の場を設けていただくことを要請する次第です。

 

 

【資料2】

京都大学総長・山極壽一氏の不誠実な態度について

~会見要請無視の姿勢が物語るもの~                      

                     2020年6月 

       満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会

 

本会は、2020年3月3日付で京都大学総長・山極壽一氏に対し、満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証にかかわる大学当局の対応についての見解を求めるべく、会見要請を行いました。しかしながら、要請書が総長室及び自宅に届いていることが確認されているにもかかわらず、回答期限の3月末を過ぎても返事がなく、山極氏が本会の会見要請を無視する態度であることが明らかになりました。

 

本会は、2年間にわたる大学当局との交渉を通して満州第731部隊軍医将校の学位授与の問題点を明らかにし、その詳細な事実経過を要請書に添付しました。本会の要請書を一読すれば、大学当局の理不尽な態度が明らかになるばかりでなく、その一連の対応が真理を探究する大学の社会的責任を放棄し、京都大学の自由な学風の伝統に反するものであることは明白です。

 

京都大学総長の山極氏は、大学の代表者であり大学当局の責任者として、本会の会見要請に応える責務があります。然るに、山極氏が要請書を無視して回答すら拒否したことは、京都大学総長としてあるまじき行為であり、社会に開かれた京都大学の名を汚すものです。本会は、このような山極氏の不誠実極まりない態度を強く抗議します。

 

山極氏は、総長在任中、異例ともいえるメディアとの積極的な対応が目立ちました。新聞、雑誌、テレビはもとより、出版業界とも密接な関係を持ち、その活動はコメディアンとの共著出版までに至る活躍ぶりです。これほどまでメディアへの露出には時間とエネルギーを割きながら、本会の会見要請には回答すら拒否することは、山極氏がもはや学者としての存在よりもタレント業に精を出す存在に成り下がっていることを示すものです。

 

山極氏はまたこの間、学内の重要問題に対しても一貫して背を向けてきました。タテカン問題、吉田寮生追い出し問題、琉球王朝人骨返還問題など、大学自治の原則を投げ棄て、大学として果たすべき役割を果たさず、当事者との交渉もありませんでした。その一方、山極氏とは切っても切れない関係にある京都大学霊長類研究所で研究費不正問題が持ち上がり、松沢哲郎研究所長(当時)らが5億円を超える研究費の不正支出に手を染めていたことが明らかになりました。盟友の松沢氏を定年後も京都大学高等研究院特別教授に任命したのは山極総長であり、山極氏はその任命責任を免れるわけにはいきません。

 

京都大学における一連の問題の発生は、これまで大学自治の伝統によって支えられてきた真理探究の場である大学が、一部の大学官僚及びそれに連なる有力幹部たちの手によって変質させられているところに根本原因があります。山極氏はそれを糺すことなく放置し、京都大学全体の構成員から選出された総長としての役割を果たすことができませんでした。

 

山極氏の今年10月の総長離任を目前にして、京都大学霊長類研究所の研究費不正問題が摘発されたことは象徴的です。山極総長6年間の任期中、真理探究の場としての京都大学にいったいどのような発展があったのでしょうか。また、京都大学に問われた数々の問題に対してどのような社会的責任を果たしたのでしょうか。本会は、本会の活動に賛同された多くの市民とともに、山極氏の晩節が汚されたものになったことを惜しむものです。

以上

 

次回以降は、タテカン問題、吉田寮問題、琉球人骨問題などについて解説する。

京都大学霊長類研究所、松沢哲郎元所長らによる研究費5億円不正支出の背景 山極壽一京大総長の虚像と実像(その1)

 2020年6月26日午後、時計台ホールで開かれた京大霊長類研究所の研究不正に関する記者会見は大変な盛況だったらしい。なにしろ40社に近いメディアが詰めかけ、報告に当たった3人の京大関係者(湊・潮見副学長、湯本霊長研所長)は汗だくで釈明に追われたという。話題になるのも当然のこと、不正の規模が5億円と(大学の研究現場としては)桁外れに大きく、そこに登場する人物もニュースの焦点にふさわしい著名な研究者だったからだ。

 

長年にわたって研究不正を繰り返してきた松沢哲郎氏は、チンパンジーの知性を探る霊長類研究の第一人者として知られる。1976年に霊長研助手に採用されて以来、霊長研一筋で研究生活を送り、所長を2006~12年の6年間にわたって務めた生え抜きの人物である。松沢氏は数々の学会賞受賞に加えて、2013年の文化功労者にも選ばれている。この他、友永・平田教授、森村准教授の3人も霊長研の中核メンバーだというから、これはもう「組織ぐるみの不正行為(犯罪)」だと言ってもいい。

 

 4人は、霊長研と野生動物研究センターの大型ケージ整備をめぐり、杜撰(ずさん)な仕様書に基づいて取引業者と契約を結び、後に業者の損失を補てんするなどして支出を過大に膨らませた。このほか、納品偽装や二重支払いなどの架空取引も行われたという。不正行為は、過大支出12件(1498万円)、架空取引14件(4880万円)、目的外使用1件(47万円)、入札妨害7件(4億4242万円)と各分野にわたり、関与した件数は、松沢氏14件、友永氏26件、平田氏1件、森村氏3件の多数に上る。

 

 当然の疑問として、どうしてこんな不祥事が長年にわたって続いてきたのか、また見過ごされてきたのか―といった気持ちを抑えきれないが、それに応えるような記事はほとんどなかった。翌日の各紙を丹念に読んでみたが、いずれも発表通りの内容で肝心なことはいっこうにわからない。唯一、毎日新聞が総合・社会欄で「研究優先し順法意識欠如、特定業者と密接な関係、不正流用 後絶たず」とする大型の解説記事を掲載し、注目すべき事実を明らかしている(毎日2020年6月27日、福富・菅沼記者)。以下、肝の部分を抜粋しよう。

 

 「京都大学霊長類研究所(愛知県犬山市)の設備工事を巡り、5億円を超える不正支出が京大の調査で明らかになった。京大は、閉鎖的な研究環境やコンプライアンス(法令順守)よりも研究を優先させた研究者の姿勢があったと説明。だが、京大は2015年に業者に提訴されて問題を把握しながら、本格調査に乗り出したのは18年以降に外部の指摘を受けてからで、大学としての運営管理も問われそうだ」

 

 「この問題を巡っては業者側が『工事費の残額を支払うと約束したのに支払ってもらえなかった』などと訴え、京都大と松沢氏らに約5億円の損害賠償を求めて15年7月に東京地裁に提訴。17年5月の判決で棄却され、控訴も同年11月に東京高裁で棄却された。だが、京大の調査は18年12月にこの業者からの公益通報を受けて開始。19年5月には会計検査院の検査も受けていた。業者は毎日新聞の取材に『こちらとしては(工事の)赤字の一部を埋めてもらっただけ。裁判で問題を把握しながら、調査もせずに放置していた大学にも襟を正してほしい』と話した」

 

 取引業者が京大と松沢氏らを訴えたのは2015年7月、山極氏が2014年10月に京大総長に就任してから間もない頃のことだ。山極氏は、研究開始期の10年近くを霊長研助手(1988年7月~1997年12月)として過ごしており、松沢氏とは寝食を共にする関係だった。松沢氏は1987年9月に助手から助教授に昇任、1993年9月からは教授として研究指導に当たっている。しかし、それほど大きくない研究所のスタッフは同じ釜の飯を食う仲間意識が強く、交友関係も密だった。加えて、松沢氏と山極氏は年齢差もほとんどなく(1年余り松沢氏が年長)、山極氏が理学部に移ってからも「盟友」といわれる関係が続いていた。

 

 注目されるのは、松沢氏が研究費の損害賠償を巡って提訴され、まだ判決も出ていない段階で、山極総長から「高等研究院」の特別教授に任命されていることだ。高等研究院は、京大が「世界の最先端研究のハブとなる組織」として2016年4月に設置したもので、最初の特別教授(2人)にはフィールズ賞受賞者で京大数理解析研究所所長を務めた森重文氏が院長に、松沢氏が副院長に任命されている。特別教授は「国際的に極めて顕著な功績などがあり、京大の研究教育の発展に貢献すると認められる者」であり、定年後も有給(年俸360万円~2640万円)で研究指導にあたることになっている。特別教授にはその後、ノーベル賞を受賞した本庶氏と高分子科学者の北川氏の2人が加わって現在は4人となっている。

 

 毎日新聞が指摘するように、山極総長は松沢氏らが研究費不支払い問題を巡って取引業者から提訴されていたにもかかわらず、この間調査を一切行わず、学内の公益通報規程(公益通報者保護法の2016年4月施行にともない、京大が学内規程として2016年3月に制定)に基づき、取引業者が2018年12月に通報するまでは何の措置も取らなかった。しかし、学内規程第17条には「本学の職員以外の者からの通報については、第3章及び前章に規定する公益通報の例に準じて取り扱うものとする」との条文があり、かつ第3条には「本学における公益通報の処理に関しては、法務・コンプライアンス担当の副学長が総括する」との条文があるので、山極総長の意向とはかかわりなく、取引業者は「本学以外の者」として通報し、調査は担当副学長の手で行われることになったのである。

 

だが、いざ調査を始めてみると、事態は複雑かつ大掛かりなものであることが判明し、学内調査のレベルでは手に負えないことがわかった。このため、2019年5月にはその道のプロである会計検査院の手で調査が行われることになり、当該問題はもはや京大の学内問題から文科省補助金の不正支出に関する国の問題へと移行することになった。それから約1年、事態の全容がほぼ解明されて今回の記者会見に至ったわけだが、調査結果は、(1)チンパンジーの飼育・実験という分野の特殊性と、飼育施設を扱う特定の業者との長期にわたる密接な関係、(2)研究優先で順法意識の欠如や会計制度の軽視、(3)著名な研究者に対して事務職員が強く意見を言えない現状――があったと報告されている。

 

問題は、山極総長の当該問題の検証に関する態度だろう。霊長研で10年近く研究生活を送った経験を持つ山極氏からすれば、松沢氏らの研究不正支出は一目でわかったはずだ。それでいて取引業者からの度重なる訴えを無視して、問題の究明を(意図的に)怠ってきた運営責任は計り知れないほど重いものがある。また、松沢氏は文化功労者であり、かつ学内に4人しかいない特別教授でありながら、長年研究不正支出を繰り返してきた責任は限りなく大きい。学内で山際氏と松沢氏は、京大の看板に泥を塗った「盟友!」といわれているのはそのためだ。松沢氏は目下当該問題について一切のコメントを避けているが、文化功労者や特別教授の返上はもとより、今回の研究不正支出に関する責任あるメッセージを表明しなければならない。山極総長もまた、自らの責任について公開の席上で声明を発表する必要があるだろう。

 

私たち「京大に満洲731部隊隊員の学位論文の検証を求める会」は、偶然にも6月26日の前日に記者会見を開き、この間の山極総長の態度について強い批判を投げかける声明を発表した。次回はその声明文を中心に語りたい。(つづく)

安倍政権8年間のレガシーは「アベノマスク」だけだった、安倍内閣支持率下落と野党共闘の行方(41)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その218)

 

毎日新聞6月18日の記事、「安倍政権の8年は何だったのか、「レガシーは『アベノマスク』だけ」、憲法改正困難に」を読んで思わず噴き出してしまった。安倍政権の本質をこれほどまで見事に活写した見出しはかってなかったからだ。6月17日に閉会した通常国会では多数の法案が成立したにもかかわらず、衆参両院の憲法審査会の審議が低調に終わり、自民党が早期成立を目指す国民投票法改正案はたなざらしとなった。安倍首相の党総裁任期満了が来年9月と迫る中、在任中の憲法改正はもはや「絶望状態」になったと言ってもよい。自民党内からは「8年もやってレガシー(遺産)は『アベノマスク』だけでは」と焦りの声が漏れ始めたという。

 

私の手元では安倍政権の「遺産」であるアベノマスクを大切に保存している。友人の中にも同じよう思いの者が結構沢山いて、先日も久しぶりの飲み会では「アベノマスク同好会」をつくり、末永く安倍政権の「遺産」を語り継ごうと大いに盛り上がった。それほどアベノマスクは国民的反響を呼び、安倍政権の本質を象徴する存在になったのである。8年間にわたる歴代最長の政権であるにもかかわらず、国民の記憶に残ったのは「アベノマスクだけ」というのは余りにも惨めで悲しいが、それが現実であるだけに受け入れるしかない。

 

国会閉会翌日の6月18日、安倍首相は官邸で恒例の記者会見を開いた。夕方の6時からという時間帯にテレビ同時中継があるとあって、多くの視聴者の耳目をそばだてたに違いない。私もミーハー的興味で視聴したが、「プロンプター安倍」の冒頭演説はいつも通り。触れたくないことや肝心なことはすっ飛ばし、あとは政策課題を羅列して空虚な決意を示す―という型通りのものだった。外交日程を理由に質問が10分で打ち切られたのもいつも通りで、黒川前東京高検検事長のことや野党の国会延長に関する要求など、都合の悪いことについては一言も語らなかった。これに関するNHK政治部記者の解説もいつも通りで、首相会見の要旨をただなぞらえただけの無内容そのものだった。

 

各紙6月19日の「首相会見の要旨」も読んでみたが、その中で気になったテーマについて2つ取り上げてみたい。第1は河合夫妻逮捕問題、第2は未来投資会議での「新たな社会像、国家像」だ。河合夫妻逮捕についての冒頭発言は、以下のようなものだ(毎日)。

「本日、我が党所属であった現職国会議員が逮捕されたことは大変遺憾だ。法相を任命した者として、責任を痛感している。国民に深くお詫びを申し上げる。国民の厳しいまなざしをしっかりと受け止め、我々国会議員は改めて自ら襟を正さなければならない」

 

この発言については、次のような問題点を指摘できる。

  1. 法と秩序を守る立場にある法相が、あろうことか「巨額のカネで票を買う」という前代未聞の公職選挙法上の買収行為を犯したにもかかわらず、河合(夫)本人の名前や職責を明らかにせず、責任追及をあいまいにしている。また、買収選挙で当選した河合(妻)の名前も伏せ、「我が党の現職国会議員が逮捕された」とだけしか言わない。これは、これまで一切の説明責任を果たさず、議員辞職をも拒んでいる河合夫妻への露骨な擁護姿勢をあらわすもので、目に余るとしか言いようがない。
  2. 河合(夫)を法相に任命した総理責任を「痛感している」と言いながら、具体的にどのような責任を取るかについては、いつものように言及を避けている。河合(妻)が出馬した参院選に際しては、選挙資金として破格の1億5千万円を党本部から支出し、自らも応援演説で「アンリ!」「アンリ!」と絶叫したにもかかわらず、身に降りかかる火の粉を払うため、党総裁としての政治責任を回避している姿は見苦しいことこの上ない。
  3. 極め付きは、自らの責任を棚に上げ、〝国会議員総懺悔〟ともいうべき国会議員全体の責任にすり替えていることだろう。「我々国会議員は改めて襟を正さなければならない」などとはよくも言えたもので、これは戦争責任を免れるため当時の指導者が〝国民1億総懺悔〟と言ったのと同じ論法だ。よく出てくる「与党も野党もない」という安倍首相のフレーズも、与野党ゴッチャにして自民党の政治責任をあいまいにするときによく使われる常套文句と化している。

 

次に、拙ブログがこれまで取り上げてきた「新たな日常」(ニューノーマル)に関する未来投資会議への言及も注目される。

「私たちは今回の感染症を乗り越えた後の新しい日本の姿、ポストコロナの未来も描いていかなければならない。集中から分散へ、日本列島の姿、国土の在り方を今回の感染症は根本から変えていく。コロナの時代、その先の未来を見据えながら、新たな社会像、国家像を大胆に構想していく。未来投資会議を拡大し、幅広いメンバーに参加いただき、来月から議論を開始する」

 

前回の拙ブログでも紹介したように、日本の「成長戦略の司令塔」である未来投資会議では、国民がコロナ恐怖におののき、外出自粛はもとより生活様式に至るまで国家の管理下に置かれようとしている状況に乗じて、マイナンバーカードのひも付けなどを初めとして経済社会の「デジタル化」を一挙に実現すべく、一連のショックドクトリン政策を展開している。ところが今回の記者会見では、それがいつの間にか「新たな社会像、国家像を大胆に構想していく」に格上げされているではないか。コロナ時代だからといって日本国土の姿や日本社会の姿が一挙に変わるわけでもあるまいに、それを「今回の感染症が根本から変えていく」などというのは、そこに何か思惑があってのこととしか考えられない。

 

思いつくのは、最近になって今年秋に解散総選挙が行われるとのニュースが数多く流れるようになったことだ。麻生財務相が安倍首相と差しで会談したとか、甘利氏が「解散真近」などと触れ歩いているとか、二階幹事長が各派閥の会合に出向いているとか、とかく話題に事欠かないのである。私は、未来投資会議で「新たな社会像、国家像を大胆に構想する」のは、支持率下落一方の安倍政権が「九死に一生」の秘策としてコロナ危機に乗じた「新たな社会像、国家像」を打ち出し、それで総選挙を戦おうとしているのではないかと考えている。これまでの失策の全てをコロナ危機に乗じて「帳消し」にし、新たな社会、新たな国家を安倍政権とともにつくろうと訴えるためだろう。

 

共同通信社が6月20、21日両日に実施した全国世論調査によると、内閣支持率は前回(5月29~31日実施)の39.4%から36.7%へ2.7ポイント続落し、2017年7月(加計学園問題当時)の最低35.8%に次ぐ低さとなった。また。不支持率は45.5%から49.7%へ4.2ポイント上昇した。理由は明白で、河合夫妻の議員辞職の必要性について「辞職すべきだ」90.4%、安倍首相の責任について「責任がある」75.9%と驚くべき高さの数字が出ているにもかかわらず、河合夫妻も安倍首相もいっこうにその責任を果たそうとしていないからだ。

 

今年秋までコロナ危機は収束するか、第二波、第三波の感染が襲ってこないのか、河合夫妻立件にともなう裁判はどう進行するかなど不確定要因は山積しており、政局の行方を見通すことは極めて難しい。だが1つ言えることは、未来投資会議でどれほど大胆な構想に彩られた「新たな社会像、国家像」が打ち出されたところで、河合夫妻のような前代未聞の買収選挙の記憶が国民の脳裏から消えるはずがない、安倍政権の「九死に一生」の秘策など通用する余地がないということである。所詮「百の説法、屁一つ」なのである。(つづく)

 

安倍経産内閣の堕ち行くところ、新型コロナ対策補正予算にみる究極の腐敗構造、安倍内閣支持率下落と野党共闘の行方(40)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その217)

 

 安倍内閣が、新型コロナウイルス感染症緊急経済対策として打ち出した1次補正予算および2次補正予算案をめぐって国会が紛糾している。「Go To キャンペーン委託費最大3095億円」「持続化給付金委委託費769億円」「予備費10兆円」が3大テーマだ。いずれもコロナ危機に乗じて巨額の予算を組み、その執行を経産官僚が仕切り、経産省関連企業や関係外郭団体に膨大な事務委託費や事業費を流すという〝税金私物化事業〟が国会の俎上に上がっているのである。

 

 安倍内閣は、かねてより官邸官僚(経産官僚)が支配する独断専決内閣として知られてきたが、それが「モリカケ問題」や「桜を見る会」などの国政私物化につながり、今度はコロナ危機に乗じた〝税金私物化〟にまで発展してきたのだから、その腐敗ぶりは止めを知らない。しかも、その規模が半端なものではなく、「Go To キャンペーン事業(1次補正)」は1兆7千億円、「持続化給付金(1次補正+2次補正)」は4兆2千億円、「予備費(1次補正+2次補正)」はなんと11兆5千億円に上るのである。

 

 6月9日の衆院予算委員会の国会中継を見たが、知れば知るほど疑惑が増し、腹立たしさを抑えることができない。中小企業などへ国が最大200万円を支給する持続化給付金事業769億円を受諾したのは、経産省が便宜を図って電通やパソナなどが2016年に設立した名もない「トンネル組織」の社団法人だ。社団法人のオフィスはビルの一角の誰もいない小部屋で、明かりも点いていなければ電話も通じない。聞けば、社員は「リモートワーク」で仕事をしているのでオフィスには居ないのだという。社団法人の代表役員は「私は飾りですよ」と言って即座に辞任したが、そんな幽霊組織が769億円もの持続化給付金事業を受託し、差額20億円を「中抜き」して電通にそのまま「丸投げ」(749億円で再委託)したのだから、まるで三文小説張りの絵に描いたような話ではないか。

 

 新型コロナウイルス感染症緊急経済対策の中に、「次の段階としての官民を挙げた経済活動の回復」という項目で計上された観光や飲食の喚起策、「〝Go To″キャンペーン事業」に至っては、まさに経産省肝いりの生々しい(毒々しい)〝税金私物化事業〟そのものだろう。6月4日の毎日新聞は、この点に鋭く切り込んでいる。本来、今回の事業が観光行政を担う国交省ではなく、経産省が所管しているのはなぜかということについて、野党からは「どうして経産省なのか?」との質問が相次いだが、経産省担当者は「いろいろな業種がかかわるので経産省で一括して計上した」と訳のわからない説明を繰り返すばかり。赤羽国交相も「経産省の言う通り」と追随し、観光業の支援策が中心となる巨額事業を経産省が取り仕切ることになった経緯ははっきりしなかった――と結んでいる。

 

 しかしその回答は、経産省が「Go Toキャンペーン事業」の運営事務局となる事業者への委託費を最大3095億円と見積もっていることにある。赤羽国交相は巨額の委託費の算出根拠について「経産省が18%ぐらいの想定をした」(毎日、6月4日)と答弁していることから、経産省が事業費の2割にも上る巨額の予算を最初から計上し、それらを経産省の関係企業や関係団体に流すことを意図していることは明らかだろう。すでに委託先は公募が始まっており(5月26日~6月8日)、専門家ら6人の有識者でつくる第三者委員会で事業者の提案内容を審査して選定するのだという。ところが、野党から第三者委員会のメンバーや議事録を公開すべきだと求められたところ、経産省の担当者は「個別事業の採択を選定する審査会のため、公表は考えていない」と拒否した。これでは、第三者委員会が「身内専門家」で構成されることも可能になるし、3095億円もの巨額委託事業の選定過程が「個別事業」ということで、談合や取引の実態はすっかり隠されてしまうことになる。要するに「Go Toキャンペーン事業」は、「Go To=イケイケドンドン」という名の通り経産省の「やりたい放題事業」であり、安倍経産内閣における経産官僚の驕りと専制支配を示す生々しい(毒々しい)〝税金私物化事業〟なのである。

 

さすがに、こんな露骨極まりない事業は(そのまま)通らない。轟々たる批判の声が沸き起こるなかで政府は6月5日、「Go Toキャンペーン事業」の事務局を委託する事業者の公募を中止し、やり直すと発表した。見直しの肝は経産省が一手に仕切っていた事業者の選定を(当たり前のことだが)観光支援は国交省、飲食支援は農水省、商店街とイベント支援は経産省に各々事業分野ごとに分けることにある。「安倍経産内閣」の一角が崩れた瞬間だ。「Go Toキャンペーン事業」の旨味を経産省が独占できなくなり、国交省や農水省にも応分の「分け前」を与えることになったのである。だが、それでも経産省は引き下がらない。菅官房長官は6月8日の記者会見で、野党が「税金の無駄」と批判している最大3095億円の事務委託費について、「過去の類似事業を参考に計上したもので、減額は考えていない。予算の範囲内で極力、効率的に執行することが重要だ」と述べた(時事ドットコム、6月8日)。赤羽国交相が「説明責任が尽くせるよう可能な限り縮小する」と6月3日の衆院国交委員会で言明したにもかかわらず(毎日、6月4日)それを真っ向から否定する見解だ。背後にはあくまでも3095億円の委託費を死守しようとする経産官僚の暗躍があるのであろうが、もはやこんな態度は維持できないだろう。早晩、何らかの形で委託費減額の措置に踏み切らざるを得ないに違いない。

 

 最大の問題は、31兆9千億円の2次補正予算案の中に約3分の1に当たる10兆円もの巨額予備費が計上されていることだ。日経新聞(6月3日)は、「予備費10兆円 異例の巨額」の中でこう書いていている。「政府は新型コロナウイルスの感染拡大を受けた2020年度第2次補正予算案で10兆円の予備費を計上した。過去20年の平均予備費と比べると20倍近い異例の規模で、新型コロナの感染が再拡大するリスクに備える。巨額の使い道は政府の裁量が大きく、国会の監視が届かない危険性がある」。だが、日経記事には決定的に見落としている点がある。それは「新型コロナ再拡大のリスクに備える」という政府口上をそのまま信じるのなら話は別だが、通常ならば10兆円という巨額予備費に中に、何か政府が実現を担う「隠し予算」が含まれていると考えるのが自然ではないか。

 

前回の拙ブログでも紹介したように、日本の「成長戦略の司令塔」である未来投資会議においては、〝ショックドクトリン=惨事便乗資本主義〟のセオリーに忠実な政策形成が行われている。国民がコロナ恐怖におののき、外出自粛はもとより生活様式に至るまで国家の管理下に置かれようとしているいま、マイナンバーカードのひも付けなど長年の国家的懸案を一気に実現しようとする絶好の機会と把握されているからだ。実際、コロナ危機に乗じてデジタル政策を推進しようとする財界の勢いには凄まじいものがある。4月当初に生まれたばかりの「新たな日常」というキーワードが、5月には早くも国際共通語の〝ニューノーマル〟と改名され、「ポストコロナ時代に目指すべき社会像」として定立された(知的財産戦略本部会合、5月27日、首相官邸HP)。5月に策定されたばかりの「知的財産推進計画2020~新型コロナ後の『ニューノーマル』に向けた知財戦略~」では、知的財産戦略本部がこれまで検討を進めてきたデジタル社会への知財戦略が、新型コロナによって一気に実現できる「千載一遇の機会」が訪れたとの認識が示されている。少し長い引用になるが、政府の基本認識を紹介しよう(「知的財産推進計画2020」、同概要、2020年5月、首相官邸HP)。

 

「今般の新型コロナの世界的蔓延は、経済社会システムの在り方自体に不可逆的な大きな変革をもたらすものであり、その流行が沈静化して緊急時モードが解除された後においても、世界は『元に戻る』のではなく、経済社会の多くの側面で『新型コロナ以前』の常識が『ニューノーマル(新たな日常)』に取って代わられるであろう。その認識を広く共有することが肝要であると同時に、世界がニューノーマルへと動く中で、我が国はむしろその変革を先頭に立ってリードすべく、官民を挙げて必要な取組を加速すべきである」

 

 「新型コロナ以前の段階においては、知財戦略を検討する上での指針となる我が国が目指すべき社会像として、『価値デザイン社会』と『Society 5.0』が示されていた。知的財産戦略本部・構想委員会では、2019年10月以降、これらの社会像の実現に向けた知財戦略の検討を行ってきたが、その過程でコロナ・パンデミックが発生した。平時においては『価値デザイン社会』や『Society 5.0』に向けた変化は連続的であったが、新型コロナは劇的に社会全体のリモート化・オンライン化や人々の行動変容、さらには変化に対する高い受容性をもたらし、『価値デザイン社会』と『Society 5.0』を一気に実現させる非連続的な社会変革が可能な千載一遇の機会が訪れている。我が国は、こうした社会変革を達成した姿としてのニューノーマルを目指すべきであり、その実現のための知財戦略が求められている」

 

 就任3年目を迎えた経団連の中西会長も共同通信などインタビューに応えて、感染収束後の「新たな成長」を実現するため、デジタル化を梃子に社会構造改革に取り組む意気込みを示している。デジタル革新への投資を加速させ、大幅に悪化した経済の回復を目指す考えだ。また、新型コロナ問題への対応では、「政府や行政の電子化の遅れを皆が感じた。企業だったら潰れている」と危機感を示し、医療や教育、産業などさまざまな分野での徹底した規制改革とデジタル化・データ共有化の推進が重要だと訴えた(京都新聞、6月2日)。

 

こうした情勢をみるに、総額11兆5千億円に上る巨額予備費のなかに「新たな成長=デジタル革新=ニューノーマル社会(新たな日常)」を実現するための「隠し予算」が含まれていると考えない方がおかしい。安倍経産内閣が計上する巨額予備費は、二波三波の新型コロナウイルスに備えると称して、その実は「ニューノーマル社会」を実現するための予備費であることが明らかなのである。(つづく)

新型コロナウイルス騒動の裏にショックドクトリン政策の影を見る、安倍内閣支持率下落と野党共闘の行方(39)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その216)

 5月25日に全国の緊急事態宣言が解除されてから1週間余りの時が流れた。1週間後の6月1日がちょうど月の変わり目でしかも月曜日、何だか空気が変わったような気がして少し楽な感じになった。だが、外出して見ると、圧倒的多数の人々がマスクをして歩いている。それも人出の多い場所だけではなく、公園や広場などでも同じ光景が広がっているのである。

 

 個人的なことを言えば、私はマスクが嫌いでできるだけつけないことにしている。だから、この間も人混みの多い場所や電車の車内以外はほとんどマスクをつけることはなかった。まして屋外を散歩するときは、マスクをつけることなど思いもよらない。新鮮な空気に触れることが目的なのに、なぜそれを遮るような物体でわざわざ口を覆わなければならないのか。こんなことが習慣になると、国民全体がまるで〝猿轡〟(さるくつわ)を嵌められて、物言わぬ民にさせられるような気がする。

 

 それにマスクというと、すぐに「アベノマスク」を連想するのでなおさら気分が悪い。我が家にも数日前「アベノマスク」が届いたが、こんなものに数百億円近い予算を浪費したというから、見るだけで涙が出るぐらい腹が立つ。聞くところによると、国民全体にマスクを配るとみんなが喜ぶ、首相に感謝する...と馬鹿な側近が言ったというが、それを真に受けて御当人が実施に移すのだから、そのレベルは想像の域を越えている。20世紀の政治史上、これほど幼稚で姑息な施策は例を見ないとして、また日本の政治や政治リーダーの資質がここまで劣化した記しとして、「アベノマスク」は末長く保存されるに違いない。

 

 だが、笑ってばかりはいられない。「アベノマスク」に象徴されるような安倍政治の裏では、新型コロナウイルス感染症への恐怖に乗じた〝ショックドクトリン政策〟が展開している――というのが私の見立てである。ショックドクトリン政策とは、人々が政変戦争災害・疫病などの危機的状態に直面したとき、ショックで茫然自失状態に陥り正常な判断力を失う事態に便乗して、時の権力が過激なまでの市場原理主義を導入して経済改革・構造改革を実現しようとすることをいう。

 

 その第1号が、6月1日の毎日新聞が1面及び3面トップで伝えた「全口座 マイナンバー連結、政府、義務化を検討」の策動だ。安倍首相は5月25日の記者会見で、一律10万円の給付金の支給に時間がかかっていると指摘され、「十分に進んでいない点があると認めなければならない。マイナンバーカードと銀行口座が結び付いていれば、スピード感を持って対応できたんだろうと思う」と釈明した。

 

 毎日記事によれば、事態はもっと進んでいる。高市総務相が5月1日の記者会見で「今後の災害対応や相続を考えると、ひも付け(預金口座とマイナンバーカードを連結)は重要なポイント」と口火を切り、8日には稲田自民党幹事長代行が「ひも付けして、次に給付する時には使えるようにすべきだ」と首相に進言している。これを受けて、自民党は11日にマイナンバー活用のプロジェクトチームを設置し、21日に首相に提出した2次補正予算に関する提言では、「政府は緊急時の給付や相続整理をより効率化するため、利便性向上と安心の観点から、ひも付けの義務付けを目指すこと」を求めたという。

 

 要するに、「国民総背番号制」を実質化して政府がマイナンバーカードと国民の全預貯金口座をひも付け(連結)し、国家が国民の資産状況を全て把握することによって徴税に役立てることはもとより、国民生活をまるごと管理して国家統制を強めようということなのである。だが、このアイデアが安倍内閣やその周辺から出てきたと考えるのは甘すぎる。今回の新型コロナ対策に当たっては、その「司令塔」ともいうべき財界主導の組織が存在するのである。

 

よく気を付けないとわからないが、実は政府の新型コロナ対策は「新型コロナウイルス感染症緊急対策」ではなく「新型コロナウイルス感染症緊急〝経済〟対策」として打ち出されており、背景にはコロナ危機に乗じて「新たなビジネスモデル=新たな日常」を構築しようとする政府・財界の経済戦略がある。その舞台となったのが政府未来投資会議(議長、安倍首相)である。

 

未来投資会議は、「日本経済再生本部の下、第4次産業革命をはじめとする将来の成長に資する分野における大胆な投資を官民連携して進め、『未来への投資』の拡大に向けた成長戦略と構造改革の加速化を図るため、産業競争力会議及び未来投資に向けた官民対話を発展的に統合した成長戦略の司令塔として、未来投資会議を開催する」(2016年9月日本経済再生本部決定)というもので、総理が議長、副総理が議長代理、経済再生担当相、経済産業相、内閣官房長官が副議長を務め、構成員には日本経団連会長、経済同友会代表幹事、竹中平蔵元経済相をはじめ国家改造志向の経済人が数多く有識者として参加している(「未来投資会議」、首相官邸HP)。

 

日本政財界挙げての「成長戦略の司令塔」である未来投資会議において、なぜ新型コロナウイルス感染症対策の議論が行われるのか、一般的には理解し難いだろう。しかし、〝ショックドクトリン=惨事便乗資本主義〟のセオリーからすればこれほどわかりやすい例はない。国民がコロナ恐怖におののき、外出自粛はもとより生活様式に至るまで国家の管理下に置かれようとしているいま、マイナンバーカードのひも付けなど長年の国家的懸案を一気に実現しようとする絶好の機会と把握されているからだ。

 

第37回未来投資会議(2020年4月3日)において、内閣官房事務局から提起された「論点メモ」には、その意図が以下のように述べられている。

【新型コロナウイルス感染症拡大への対応、(1)基本的な考え方】

「新型コロナウイルス感染症の完全収束は、ワクチンができるまで長期的なものとなる可能性。今は新型コロナウイルス感染症の感染拡大の防止や重症化防止が最優先課題であり、事業者の雇用維持や事業継続・資金繰りへの支援等に万全を期す必要がある。その上で、経済活動について感染症拡大の前のビジネスモデルに完全に戻ることは難しいと認識すべきであり、かってのオイルショックのように、中長期的に、不可逆的なビジネスモデルの変化、産業構造の変化をともなうものと考えるべきではないか。今後は、感染拡大防止と経済活動を両立する『新たな日常』を探るべきであり、新たなビジネスモデルの検討が必要ではないか」

 

 これを受けた第38回未来投資会議(5月14日)では、桜田経済同友会代表幹事の勇ましい発言もある(議事要旨)。

「もう次はないと思っている。コロナ危機後、日本の再生あるいはリセットのためのラストチャンスのつもりで、財界、政府、学会、国民。これら全部が日本のステークホルダーという意識の下、取り組んでいかないと、この国は沈没しないまでも埋没していくという危機感を是非共有したいと思う。今回をきっかけに、今度こそ日本の社会構造を転換していく。その取組に当たって同友会としても微力を尽くしていきたいと思っている」

 

実は、マイナンバーカードと預貯金口座のひも付けは、第37会議での竹中平蔵氏の発言の中で提起されたものだ。竹中氏は次のように言う。

 「経済対策として、現金などの給付にあたっては、これはぜひマイナンバーとひも付けていただきたい。今回のコロナショックはリーマンショックと比較されるけれども、根本的に違う点があると思う。リーマンショックというのは金融という1つのポイントから実業に波及したわけであるが、今回は需要が一気にサービス産業全体で蒸発していまっている。したがって、資金繰り倒産とか失業が一気に生じるという、かってない問題が予想されるわけである。だから、各国で給与の保障やきわめて幅広い層への現金給付が行われている。日本もその方向へ向かっているのだと思っている。その際、マイナンバーにひも付けて、例えば高額所得者は確定申告や年末調整でも返してもらえるようなことができるであろうし、これがきっかけになって個人認証システムという重要な社会のインフラが進むことを期待している」

 

 以下、具体的な議論は省略するが、安倍政権のコロナ対策は財界主導のショックドクトリン政策と表裏一体で進められていることに注意してほしい。(つづく)