安倍政権8年間のレガシーは「アベノマスク」だけだった、安倍内閣支持率下落と野党共闘の行方(41)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その218)

 

毎日新聞6月18日の記事、「安倍政権の8年は何だったのか、「レガシーは『アベノマスク』だけ」、憲法改正困難に」を読んで思わず噴き出してしまった。安倍政権の本質をこれほどまで見事に活写した見出しはかってなかったからだ。6月17日に閉会した通常国会では多数の法案が成立したにもかかわらず、衆参両院の憲法審査会の審議が低調に終わり、自民党が早期成立を目指す国民投票法改正案はたなざらしとなった。安倍首相の党総裁任期満了が来年9月と迫る中、在任中の憲法改正はもはや「絶望状態」になったと言ってもよい。自民党内からは「8年もやってレガシー(遺産)は『アベノマスク』だけでは」と焦りの声が漏れ始めたという。

 

私の手元では安倍政権の「遺産」であるアベノマスクを大切に保存している。友人の中にも同じよう思いの者が結構沢山いて、先日も久しぶりの飲み会では「アベノマスク同好会」をつくり、末永く安倍政権の「遺産」を語り継ごうと大いに盛り上がった。それほどアベノマスクは国民的反響を呼び、安倍政権の本質を象徴する存在になったのである。8年間にわたる歴代最長の政権であるにもかかわらず、国民の記憶に残ったのは「アベノマスクだけ」というのは余りにも惨めで悲しいが、それが現実であるだけに受け入れるしかない。

 

国会閉会翌日の6月18日、安倍首相は官邸で恒例の記者会見を開いた。夕方の6時からという時間帯にテレビ同時中継があるとあって、多くの視聴者の耳目をそばだてたに違いない。私もミーハー的興味で視聴したが、「プロンプター安倍」の冒頭演説はいつも通り。触れたくないことや肝心なことはすっ飛ばし、あとは政策課題を羅列して空虚な決意を示す―という型通りのものだった。外交日程を理由に質問が10分で打ち切られたのもいつも通りで、黒川前東京高検検事長のことや野党の国会延長に関する要求など、都合の悪いことについては一言も語らなかった。これに関するNHK政治部記者の解説もいつも通りで、首相会見の要旨をただなぞらえただけの無内容そのものだった。

 

各紙6月19日の「首相会見の要旨」も読んでみたが、その中で気になったテーマについて2つ取り上げてみたい。第1は河合夫妻逮捕問題、第2は未来投資会議での「新たな社会像、国家像」だ。河合夫妻逮捕についての冒頭発言は、以下のようなものだ(毎日)。

「本日、我が党所属であった現職国会議員が逮捕されたことは大変遺憾だ。法相を任命した者として、責任を痛感している。国民に深くお詫びを申し上げる。国民の厳しいまなざしをしっかりと受け止め、我々国会議員は改めて自ら襟を正さなければならない」

 

この発言については、次のような問題点を指摘できる。

  1. 法と秩序を守る立場にある法相が、あろうことか「巨額のカネで票を買う」という前代未聞の公職選挙法上の買収行為を犯したにもかかわらず、河合(夫)本人の名前や職責を明らかにせず、責任追及をあいまいにしている。また、買収選挙で当選した河合(妻)の名前も伏せ、「我が党の現職国会議員が逮捕された」とだけしか言わない。これは、これまで一切の説明責任を果たさず、議員辞職をも拒んでいる河合夫妻への露骨な擁護姿勢をあらわすもので、目に余るとしか言いようがない。
  2. 河合(夫)を法相に任命した総理責任を「痛感している」と言いながら、具体的にどのような責任を取るかについては、いつものように言及を避けている。河合(妻)が出馬した参院選に際しては、選挙資金として破格の1億5千万円を党本部から支出し、自らも応援演説で「アンリ!」「アンリ!」と絶叫したにもかかわらず、身に降りかかる火の粉を払うため、党総裁としての政治責任を回避している姿は見苦しいことこの上ない。
  3. 極め付きは、自らの責任を棚に上げ、〝国会議員総懺悔〟ともいうべき国会議員全体の責任にすり替えていることだろう。「我々国会議員は改めて襟を正さなければならない」などとはよくも言えたもので、これは戦争責任を免れるため当時の指導者が〝国民1億総懺悔〟と言ったのと同じ論法だ。よく出てくる「与党も野党もない」という安倍首相のフレーズも、与野党ゴッチャにして自民党の政治責任をあいまいにするときによく使われる常套文句と化している。

 

次に、拙ブログがこれまで取り上げてきた「新たな日常」(ニューノーマル)に関する未来投資会議への言及も注目される。

「私たちは今回の感染症を乗り越えた後の新しい日本の姿、ポストコロナの未来も描いていかなければならない。集中から分散へ、日本列島の姿、国土の在り方を今回の感染症は根本から変えていく。コロナの時代、その先の未来を見据えながら、新たな社会像、国家像を大胆に構想していく。未来投資会議を拡大し、幅広いメンバーに参加いただき、来月から議論を開始する」

 

前回の拙ブログでも紹介したように、日本の「成長戦略の司令塔」である未来投資会議では、国民がコロナ恐怖におののき、外出自粛はもとより生活様式に至るまで国家の管理下に置かれようとしている状況に乗じて、マイナンバーカードのひも付けなどを初めとして経済社会の「デジタル化」を一挙に実現すべく、一連のショックドクトリン政策を展開している。ところが今回の記者会見では、それがいつの間にか「新たな社会像、国家像を大胆に構想していく」に格上げされているではないか。コロナ時代だからといって日本国土の姿や日本社会の姿が一挙に変わるわけでもあるまいに、それを「今回の感染症が根本から変えていく」などというのは、そこに何か思惑があってのこととしか考えられない。

 

思いつくのは、最近になって今年秋に解散総選挙が行われるとのニュースが数多く流れるようになったことだ。麻生財務相が安倍首相と差しで会談したとか、甘利氏が「解散真近」などと触れ歩いているとか、二階幹事長が各派閥の会合に出向いているとか、とかく話題に事欠かないのである。私は、未来投資会議で「新たな社会像、国家像を大胆に構想する」のは、支持率下落一方の安倍政権が「九死に一生」の秘策としてコロナ危機に乗じた「新たな社会像、国家像」を打ち出し、それで総選挙を戦おうとしているのではないかと考えている。これまでの失策の全てをコロナ危機に乗じて「帳消し」にし、新たな社会、新たな国家を安倍政権とともにつくろうと訴えるためだろう。

 

共同通信社が6月20、21日両日に実施した全国世論調査によると、内閣支持率は前回(5月29~31日実施)の39.4%から36.7%へ2.7ポイント続落し、2017年7月(加計学園問題当時)の最低35.8%に次ぐ低さとなった。また。不支持率は45.5%から49.7%へ4.2ポイント上昇した。理由は明白で、河合夫妻の議員辞職の必要性について「辞職すべきだ」90.4%、安倍首相の責任について「責任がある」75.9%と驚くべき高さの数字が出ているにもかかわらず、河合夫妻も安倍首相もいっこうにその責任を果たそうとしていないからだ。

 

今年秋までコロナ危機は収束するか、第二波、第三波の感染が襲ってこないのか、河合夫妻立件にともなう裁判はどう進行するかなど不確定要因は山積しており、政局の行方を見通すことは極めて難しい。だが1つ言えることは、未来投資会議でどれほど大胆な構想に彩られた「新たな社会像、国家像」が打ち出されたところで、河合夫妻のような前代未聞の買収選挙の記憶が国民の脳裏から消えるはずがない、安倍政権の「九死に一生」の秘策など通用する余地がないということである。所詮「百の説法、屁一つ」なのである。(つづく)